江戸東京たてもの園編(1):(14.9)

 近代の名建築を野外展示した「明治村」の記事は先日掲載しましたが、実は東京にも同様の博物館があるのですね。その名も「江戸東京たてもの園」。同園のホームページより、そのコンセプトを引用します。
 江戸東京たてもの園は、1993年(平成5年)3月28日に開園した野外博物館です。都立小金井公園の中に位置し、敷地面積は約7ヘクタール、園内には江戸時代から昭和初期までの、30棟の復元建造物が建ち並んでいます。当園では、現地保存が不可能な文化的価値の高い歴史的建造物を移築し、復元・保存・展示するとともに、貴重な文化遺産として次代に継承することを目指しています。
 なお私が私淑する建築史家の藤森照信氏が、野外収蔵委員として参画されています。
 以前に、山ノ神を同伴してお花見がてら訪れたことがあるのですが、今回はじっくりと拝見したいと思います。というわけで2014年の九月末、爽やかな秋晴れの某日、ふらりと小金井公園に行ってみました。JR中央線の武蔵小金井駅北口からバスに揺られて五分で公園に到着。緑の木々や芝生、紺碧の空を愛でながらすこし歩くと「江戸東京たてもの園」に到着です。付近にあった「エサやるな」「花火禁止」のピクトグラムと、宮崎駿氏制作のマスコットキャラクター「えどまる」を撮影して、ビジターセンターへ。
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 この建物は旧光華殿で、1940(昭和15)年に皇居前広場で行われた紀元2600年記念式典のために仮設された式殿です。「仮設」というのが気になりますが、そう言えば『夢と魅惑の全体主義』(文春新書526)で、井上章一氏が興味深い指摘をされていました。ファシズム体制がいだいていた意欲は建築や都市計画に投影されるという観点から、ドイツ・イタリア・ソ連・日本のファシズム期建築を比較・考察したのが本書です。ドイツ・イタリア・ソ連のファシズム体制は、権力の簒奪者が支配の正統性を補うために、明るく素晴らしい未来像を建築や都市計画という可視的な形で民衆に提示し大衆動員を行ったと分析されています。それに対して日本では、日中戦争開始直後の1937年10月に「鉄鋼工作物築造許可規則」が公布され、鉄材を50トン以上使う建築(※軍関係は例外)を禁止したそうです。その結果、建設中の鉄筋コンクリート建築は未完成のままほうりだされ、官庁を含めて首都中枢に木造のバラック群があらわれました。この光華殿もその一端を示すものかもしれません。未来への幻想を提供するのではなく辛くて厳しい生活への覚悟を国民に求めた、あるいは独裁者の夢想ではなく官僚の現実主義が支えたのが、日本のファシズムであったと著者は述べられています。『昭和ナショナリズムの諸相』(名古屋大学出版会)の中で、橋川文三氏は"結局日本ファシズムは、ファシズムに値するほどの異常性を表現したものではなく、近代日本の伝統的な官僚制の異常な戦時適応にすぎなかった…"(p.184)と指摘されていますが、官僚によって築き上げられた日本ファシズムの矮小性を語り継ぐ、歴史の証人なのかもしれません。
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by sabasaba13 | 2016-06-28 06:39 | 東京 | Comments(0)
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