京都錦秋編(26):二条城(14.11)

 七条駅から京阪電車に乗って三条京阪駅へ、地下鉄東西線に乗り換えて二条城前駅で下車、すぐ目の前が二条城です。東大手門、唐門、二の丸御殿など見所はたくさんありますが、本日は時間の関係で二の丸庭園のみを拝見しました。
c0051620_635517.jpg

 まずは解説板を転記します。
 池を中心とした書院造庭園であり、池には三つの島を築き、四つの橋を架け、西北隅に滝を落とし、池の汀に多くの岩石を配した景観は、変化に富んで秀麗であり、豪壮な趣がある。
 庭園は、大広間の西、黒書院の南に位置し、主として大広間からの鑑賞を想定して造られているが、寛永三年の後水尾天皇行幸の際、行幸御殿が庭園の南側に建造されたことから、南方からの鑑賞も配慮して、庭園南部の石組に変更を加えた形跡が見られる。
 作庭年代については、記録や作風から推察して、1603年(慶長8年)の二条城築城の際にその建築に調和させて造営されたもので、後水尾天皇の行幸の際に、数多くの名園を手がけた小堀遠洲によって一部改修が加えられ、今日に至ったものと考えられる。
 桃山末期から江戸初期に大成された書院造りの大建築に伴う庭園の特徴をよく示しており、現存する歴史的庭園の中でも最も優れた作品の一つに数えられている。
 広大な池に浮かぶ蓬莱島・鶴島・亀島、そして青石を主とした豪壮な石組が随所に配されています。なおこの青石は、結晶片岩という石で、紀伊半島や四国で多く産出する石だそうです。雨が降って濡れると一段と鮮やかな色合いになるため、多くの庭園で使われていますが、ここまでの数を据えているところはそうはないとのこと。徳川氏の権勢を目の当たりにするようです。そういえば先日訪れた桂離宮で、係の方が梅雨の時期が狙い目だと教えてくれました。来訪者が少ないことと、雨に濡れた石が美しいからとおっしゃっていましたっけ。また菰を巻かれた蘇鉄がありましたが、寛永年間当初には60本あまりのソテツが植えられていたそうです。そのほとんどは自生地の琉球か薩摩から運んで来たものと考えられますが、これは関ヶ原で西軍に属していた薩摩島津氏も徳川家の威に伏していることを示したのですね。
c0051620_6353011.jpg

 ちなみにこのお庭は、米国の庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」(JOJG)が発表する2015年の「日本庭園ランキング」の第15位に選定されています。"So what"と(以下略)

 本日の三枚です。
c0051620_636046.jpg

c0051620_6362488.jpg

c0051620_6364821.jpg

by sabasaba13 | 2016-10-09 06:37 | 京都 | Comments(0)
<< 京都錦秋編(27):二条城(1... マーボー焼きそば >>