『アルジェの戦い』

c0051620_6252067.jpg 以前からどうしても見たかった映画、『アルジェの戦い』が新宿の「K's cinema」で上映されるという情報を入手し、喜び勇んで見てきました。監督はイタリア人のジッロ・ポンテコルヴォ、第二次世界大戦ではレジスタンス運動に参加した方です。彼はロベルト・ロッセリーニの『戦火のかなた』に感銘を受け、映画の世界に入ったとのことです。『Movie Walker』に要を得たストーリー紹介がありましたので、引用します。
 1954年11月1日、仏領アルジェリアのカスバを中心として、暴動が起きた。それはアルジェリアの独立を叫ぶアルジェリア人たちの地下抵抗運動者によるものだった。激しい暴動の波はアルジェリア全域から、さらにヨーロッパの街頭にまで及び、至る所で時限爆弾が破裂した。1957年10月7日、この事件を重大視したフランス本国政府は、マシュー将軍(ジャン・マルタン)の指揮するパラシュート部隊をアルジェに送った。独立運動地下組織の指導者はサアリ・カデル(ヤセフ・サーディ)という青年であった。彼はマシュー将軍の降伏勧告に応じようとせず、最後まで闘う決意であった。日増しに激しさを加えるテロ行為に対処するため、マシュー将軍は市内に数多くの検問所を設け、現地人の身体検査から、パスポートの検閲まで、厳しく取締まった。そしてテロ容疑の情報が入ると抜き打ち的に民家やアパートを襲って、アラブ人の強制逮捕を行なった。そのたびごとに地下指導者たちは監禁され、ある者は拷問され、またある者は殺された。しかしサアリは屈せず、女性連絡員ハリマ(ファウチア・エル・カデル)をはじめとするわずかの部下を率いて、地下活動を続けた。パラシュート部隊の執拗な追求の手を巧みにのがれてきた彼も、ある日、街頭でフランス官憲に目撃され、ついに本拠をつきとめられてしまった。彼はマシュー将軍の投降の呼びかけにも応じなかったため、ハリマと共に軍隊の手にかかって射殺された。サアリの死後三年経た1960年12月、平静だったアルジェは、独立を願うアルジェリア人たちの叫びで再び騒然となった。
 冒頭のシーンではいきなり息を呑みました。拷問の痕らしいひどい火傷のある、怯えた表情の半裸のアルジェリア人。どうやら苦痛に耐えかねて、独立運動のリーダーをフランス軍に密告したようです。その苦悩と悔恨の表情が印象的です。バックにはJ・S・バッハの「マタイ受難曲」冒頭のコラールが荘重に鳴り響きます。リーダーたち、いやアルジェリア人すべての受難と、ユダのような彼の裏切りを象徴しているのでしょうか。そして彼を伴ってアジトを取り囲むフランス軍、追い詰められたリーダーたち。ここから過去にさかのぼって映画は始まります。
 圧倒的な武力と警察力で独立運動を弾圧するフランス。それに対して徒手空拳、対抗テロルをからめながら抵抗するアルジェリア人。息詰まるような場面の連続です。中でも、バーナーや電気ショックを使った拷問のシーンは衝撃的でした。自由・平等・博愛というのは国内向けの美辞麗句でしかなかったことを思い知らされます。しかし見ていてあまり沈鬱な気持ちにならないのは、映画全編を通じてあふれでる人々のパワーを感じるからでしょうか。男性・女性・子供・老人、自由と独立を求める気持ちがびしびしと伝わってきます。そした圧巻はラストシーン。独立運動が息の根を止められた二年後、突如、人びとが自由と独立を求めながら町にあふれでます。結局、この動きが二年後のアルジェリア独立につながるのですね。その迫力たるや、見ていて圧倒されました。パンフレットによると、主要キャストには実戦経験者を含む素人たちが多数参加し、アルジェリア市民8万人が撮影に協力したそうです。そう、これはたんなる映画ではなく、彼らの戦いを再現してフィルムに焼きつけたドキュメント作品なのですね。

『〈新〉植民地主義論』(平凡社)の中で、西川長夫氏はこう述べられています。
 私のとりあえずの(※植民地主義の)定義は、「先進列強による後発諸国の搾取の一形態」というきわめて簡単なものです。これを「中核による周辺の搾取の一形態」と書きかえてみると、植民地主義という用語に秘められたより深い真実が見えてくるのではないでしょうか。(p.53)
 そしてアルジェリア独立運動の指導的理論家、フランツ・ファノンは『地に呪われたる者』(みすず書房)の中でこう語っています。
 〈第三世界〉は今日、巨大なかたまりのごとくにヨーロッパの面前にあり、その計画は、あのヨーロッパが解決をもたらし得なかった問題を解決しようと試みることである筈だ。
 だがこの場合に、能率を語らぬこと、〔仕事の〕強化を語らぬこと、〔その〕速度を語らぬことが重要だ。否、〈自然〉への復帰が問題ではない。問題は非常に具体的に、人間を片輪にする方向へ引きずってゆかぬこと、頭脳を磨滅し混乱させるリズムを押しつけぬことだ。追いつけという口実のもとに人間をせきたててはならない、人間を自分自身から、自分の内心から引きはなし、人間を破壊し、これを殺してはならない。
 否、われわれは何者にも追いつこうとは思わない。だがわれわれはたえず歩きつづけたい、夜となく昼となく、人間とともに、すべての人間とともに。(p.183)
 先進列強による後発諸国の搾取、中核による周辺の搾取、強者による弱者の搾取といった"植民地主義"が消滅したとはとても言えないのが現状です。あるところでは相も変わらずに、あるところでは巧妙に姿を変え、搾取が続けられていると思います。それに抗して、すべての人間とともに歩きつづければ世界は変わるのではないか。そんな希望を与えてくれた映画です。
by sabasaba13 | 2016-10-21 06:26 | 映画 | Comments(0)
<< アルジェリア 言葉の花綵149 >>