『シーモアさんと、大人のための人生入門』

『シーモアさんと、大人のための人生入門』_c0051620_6302662.jpg 根津美術館で応挙展を見た後、いったん自宅に戻り、山ノ神と合流して渋谷に向かいました。そして渋谷アップリンクで映画『シーモアさんと、大人のための人生入門』を鑑賞。パンフレットから引用します。
 人生の折り返し地点--アーティストとして、一人の人間として行き詰まりを感じていたイーサン・ホークは、ある夕食会で当時84歳のピアノ教師、シーモア・バーンスタインと出会う。たちまち安心感に包まれ、シーモアと彼のピアノに魅了されたイーサンは、彼のドキュメンタリー映画を撮ろうと決める。
 シーモアは、50歳でコンサート・ピアニストとしての活動に終止符を打ち、以後の人生を「教える」ことに捧げてきた。ピアニストとしての成功、朝鮮戦争従軍中のつらい記憶、そして、演奏会にまつわる不安や恐怖の思い出。決して平坦ではなかった人生を、シーモアは美しいピアノの調べとともに語る。彼のあたたかく繊細な言葉は、すべてを包み込むように、私たちの心を豊かな場所へと導いてくれる。
 賞賛につつまれたコンサート・ピアニストとしての地位を投げ捨て、後半生を一介のピアノ教師として生きているシーモア・バーンスタインを描いたドキュメンタリー映画です。彼の日常生活、監督や知人との会話、レッスン風景を軸に、音楽の素晴らしさと人間や人生の崇高さを訥々と語るその姿、そして慈愛にあふれた微笑みにすっかり魅了されました。パンフレットに掲載されていたその言葉をいくつか紹介します。
 じぶんの心と向き合うこと、シンプルに生きること、成功したい気持ちを手放すこと。積み重ねることで、人生は充実する。

 音楽に対する最初の反応は、知的な分析なしに起こる。たとえば才能豊かな子供は、音楽の構造的なことや背景を知らずとも、音楽をとても深く理解できる。こうした無知さには、大人も学ぶことがある。だからこそ練習の時は、過剰な分析を避けるべきだ。そして音楽そのものの美が現れるままにする。さらに自分も、その美に感化されるままにする。禅の思想家は言った。"菊を描く者がすべきことは、自身が菊になるまで10年間、菊を眺めることだ"

 音楽の教師が生徒にできる最善のことは、生徒を鼓舞し 感情的な反応を引き出させること。音楽のためばかりではない。人生のあらゆる場面で、重要なことだから。

 誰もが皆、人生に幸せをもたらすゆるぎない何かを探している。聖書に書いてある――救いの神は我々の中にいると。私は神ではなく、霊的源泉と呼びたい。大半の人は、内なる源泉を利用する方法を知らない。宗教が腹立たしいのは、答えは"我々の中にはない"と思わせていること。答えは神にあると。だから皆、神に救いを求めようとするが、救いは我々の中にあると私は固く信じている。

 音楽を通じて、我々も星のように永遠の存在になれる。音楽は悩み多き世に調和しつつ、語りかける-孤独や不満をかき消しながら。音楽は心の奥にある普遍的真理、つまり感情や思考の底にある真理に気づかせてくれる手段なのだ。音楽は一切の妥協を許さず、言い訳やごまかしも受けつけない。そして、中途半端な努力も。音楽は我々を映す鏡と言える。音楽は我々に完璧を目指す力が備わっていると教えてくれる。

 音楽に情熱を感じていたり、楽器を練習する理由を理解していたりすれば、音楽家としての自分と普段の自分を、深いレベルで一体化させることが必ずできる。するとやがて音楽と人生は相互に作用し、果てしない充実感に満たされる。
 そしてクライマックスは、イーサン・ホーク監督の依頼で35年ぶりに開かれた演奏会です。スタインウェイ社の地下室でほんとうに嬉しそうにピアノを選ぶシーモアさんの姿を見ていると、ああ本当にこの人は音楽を愛しているのだなと感じ入ります。そして友人や知人、教え子が集まったアット・ホームな演奏会が、ガラス窓の向こうに行き交う人や車が見えるスタインウェイ社の小さなホールで開かれます。曲目はブラームスの『間奏曲イ長調 Op.118 №2』と、シューマンの『幻想曲第3楽章』。特に後者は、曲とシーモアさんが渾然一体となった滋味あふれる素晴らしい演奏でした。その演奏とともに、いろいろな国・地域の人々がいろいろな音楽を楽しんでいるシーンが次々と映し出されると、もう私の涙腺は決壊寸前。
 音楽の、そして人間の素晴らしさをあらためて教えてくれた映画です。シーモアさん、ありがとう。

 なおパンフレットに、教え子である大木裕子さんが、ピアノ教師としての彼についてこう書かれています。
 一度、私は彼に、「生徒によく伝えるためには、どういう教え方が良いのであろうか?」と問うたことがある。彼の答えは「誘導尋問することだ」だった。「結論的に、こういうものだと教えると、すぐに良くなったとしても、本当にその人のものにはならない。その人が一つ一つ考えを積み立てていって結論に達したと思えたとき、元は誰の考えであったとしても、そこに至る過程を自分で踏んでいるので、自分のものとして残る」と。
 もう一つの質問。「教えることと自身が演奏することの違いは?」という問いに、彼はこう答える。「要は同じ。但し、長い年月をかけて見出したことを、自分だけでやっていれば、一つの花しか咲かないが、同じことを生徒たちに伝えれば、いろいろな色の様々な花が咲く。自分にも必要な栄養を他の花にも注げば、美しい花で辺りは一杯になる」と。
 これは日本の、いや世界中のすべての先生に銘肝していただきたい言葉です。花は自ら育つ力を持ち、教師は自分にも必要な栄養を与えるだけ。そしていろいろな花を咲かせることによって、世界をより美しくする、それがシーモアさんの考える教育観なのでしょう。子どもたちを盆栽のように変形しねじまげ、国家権力や企業のために有意な人材につくりあげようとしているどこかの国の教育との何たる違い。

 余談です。映画の中で、シーモアさんが朝鮮戦争に従軍し、ピアニストとして慰問をする場面がありましたが、彼は涙ぐんでいました。いったい朝鮮で何を見てどういう体験をしたのでしょう。多くを語らないだけに気になるところです。すっかり忘れられた戦争ですが、決して忘れてはいけない戦争だと思います。『転換期の日本へ』(ガバン・マコーミック NHK出版新書)の中に、重要な指摘があったので紹介します。
 朝鮮戦争は夥しい残虐行為の修羅場でした。長いあいだ、北朝鮮によるものだとされてきた朝鮮戦争でのもっとも凶悪な行為の多くはいわゆる「国連軍」が関与したものでした。韓国政府による近年の調査によって、戦争初年のおよそ十万人の人々が韓国軍、米軍、国連軍によって殺されたことが明らかになっています。国連軍としては、国連の旗を掲げ、戦場へ赴いた最初にして唯一の戦いでした。米国主導の国連軍は制空権を握り、その空爆は情け容赦なく、しばしば無差別で、それはウィンストン・チャーチルが、民間人を標的にバラ撒くナパーム弾の使用に反対し抗議したほどです。米空軍は、第二次大戦の時、日本の都市へ投下したよりもずっと多くの爆弾を北朝鮮に投下しました。米空軍は、日本の主要都市の約40%を破壊し、50万人の人びとを殺戮したのですが、日本と朝鮮半島双方への爆撃の立案者であるカーティス・ルメイ将軍によれば、米空軍は朝鮮半島で「三年余りにわたって…北朝鮮と韓国のあらゆる街々を焼き払った」といいます。作戦に従事したパイロットたちは、もう爆撃する街など残っていなかった、と訴えています。空爆による死者は少なくとも300万人か400万人で、そのうち少なくとも200万人は北朝鮮市民でした。
 戦争の後半になって米空軍は、パニック状態を作りだし、北朝鮮の人々を兵糧攻めにするためにダムを爆撃しました。ナチスが第二次大戦で実行した時、それは、はっきり戦争犯罪として罰せられた行為でした。さらに米国政府は、戦争の早い段階から核兵器使用を振りかざして脅迫したのです。(中略) 核兵器に対して北朝鮮が持つ強迫観念はこの時に始まったのです。
 (中略) 北朝鮮研究者のあいだでは、同国は「ハリネズミ国家」である、というのが大方の見方です。韓国、日本、米国という圧倒的に強力な敵を向こうにまわして、恐怖と同時に近寄ればどんな目に遭わせるかわからないぞと、恐ろしいうなり声をあげて断固立ち向かう決意を示し、体じゅうの針をピンと立てている状態です。(p.267~9)

by sabasaba13 | 2016-12-22 06:30 | 映画 | Comments(0)
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