『韓国現代史』

 関東大震災時の朝鮮人虐殺についてずっと追いかけていますが、ふと立ち止まると、朝鮮の歴史についてあまりに無知なことに気づき愕然としました。いかんいかん、すこし勉強しなければ。というわけで手に取ったのが『韓国現代史』(文京洙[ムンギョンス] 岩波新書984)です。

 日本による植民地支配からの解放(光復)、米ソによる南北分断と済州島4・3事件、李承晩による独裁、朝鮮戦争、学生と市民のデモで李承晩政権を倒すも(4・19革命)、朴正熙によるクーデターで軍事政権が成立。彼が射殺されて民主化(ソウルの春)への期待がふくらみますが、全斗煥による5・17クーデターが成功。民主化運動が沈黙を余儀なくされるなか、唯一この新軍部政権に抗議して立ち上がったのが光州の市民・学生ですが、アメリカの協力のもと全斗煥政権は武力でこの動きを鎮圧します(光州事件)。これに関して、文氏はこう述べられています。
 だが、光州事件は、この学生運動にとっても骨身にしみる体験であった。光州の悲劇は、体験者の口コミや運動歌謡「ニムの行進曲」などを通じて外部にも伝えられた。そうした体験談や目撃談を伝えきいて、「憤怒して涙を流し、社会の現実に無知であった自身を恥じ、また罪責感にさいなまれ、学生運動に参画していった者も数知れない」(真鍋祐子 『光州事件で読む現代韓国』)という。(p.156)
 そして1987年、民衆デモの巨大なうねりがこの新軍部政権を力でねじふせます(六月民主抗争)。全斗煥を退陣に追い込んだのですが、新憲法下での大統領選挙で民主化勢力は候補者を一本化できず(金大中・金泳三)、軍部の盧泰愚が当選します。しかし多数派を制した野党が国政調査権を発動、政財界の有力者を聴聞会に召喚し、新軍部政権期の不正や人権弾圧を次々と暴いたのです。これが盧泰愚政権の息の根を止め、三十年ぶりの文民政権・金泳三政権が誕生しました。その後、金大中政権を経て、韓国の宿痾とも言うべき地域主義と、保守勢力の打破を掲げて盧武鉉が大統領選に立候補します。ネティズン(インターネット+市民)と呼ばれる若い有権者の支持を得ますが、やがて日韓共催W杯の熱気によって、人びとの政治に対する関心が冷え切っていきます。ところが…
 (※2002年)11月、米軍事法廷の下したある無罪判決がネティズンたちを激怒させ、数万の市民の反米蝋燭デモが全国の主要都市で繰り返された。五カ月前に女子中学生二人が米軍装甲車によって轢死する事件があり、米軍は駐韓米軍地位協定(SOFA)を盾に加害米兵の引渡しを拒んで米軍軍事法廷に処分を委ねていたのである。W杯から蝋燭デモへと、ネティズンたちの気分は、もう一度政治へと傾き、投票日を間近にひかえて盧風(ノブン)が猛烈な勢いで再燃した。(p.204~5)
 こうして盧武鉉が大統領に当選。彼は、強い意志をもって韓国が犯してきた過ちの清算に乗り出し、民主主義を進化させていきます。2005年の光復節(クァンボクチョル)(8月15日)、この解放六十年の記念すべき式典で盧武鉉大統領は演説し、過去清算について次のように述べています。
 「国民に対する国家機関の不法行為によって国家の道徳性と信頼が大きく毀損されました。国家は自ら率先して真相を明らかにし、謝罪し、賠償や補償の責任を尽さなければならないでしょう。(中略)国家権力を乱用し、国民の人権と民主的基本秩序を侵害した犯罪に対しては、そしてこのために人権を侵害された人びとの賠償と補償については、民・刑事の時効の適用を排除したり、適切に調整したりする法律をつくらなければなりません」 (p.214~5)
 そして2004年の韓国国会は、過去清算に関する立法のラッシュとなりました。朝鮮戦争の民間人虐殺の被害者救済にかかわる法律、植民地期の強制連行などにかかわる特別法、さらになんと一世紀以上前の甲午農民戦争に関する特別立法、植民地期における親日反民族的行為を究明する特別法などが次々と制定されました。そしてこうした特別法を総括する母法として、植民地期から軍事政権期にいたるすべての事案に適用して真相究明や責任の追及、補償を効率的に実施できるような特別法(真実・和解のための過去事整理基本法)が成立します。(p.215~6) こうした動きに反発する野党勢力(ハンナラ党)も強かったのですが…
 ところが、2005年の3~4月におきた思わぬ事態が法案成立の追い風となった。島根県議会の「竹島の日」条例案の採択や、扶桑社の歴史教科書問題をめぐって対日批判の機運が盛り上がったのである。過去を忘れ去ろうとする日本人・日本社会のあり方がいわば「反面教師」となって、韓国人の過去に向き合おうとする意識があらためて喚起され、ハンナラ党もそういう機運におされて譲歩する以外になかった。(p.217)
 しかし反対勢力は、不正な選挙運動・側近の不正などを理由に、国会において大統領弾劾訴追案を可決させます。しかし世論はこの弾劾に激しく反発。
 こうして、弾劾反対の世論を主導したのは、国会に長年巣くいながら有権者不在の派閥争いや不正に明け暮れてきた政治家たちに対する、まったく未組織のネティズンたちの積もり積もった怒りであった。それは、インターネット時代における直接民主主義の新しい可能性を示したともいえる。(p.222)
 弾劾の当否を問うかたちとなった2004年の総選挙では、盧武鉉とウリ党を支持するネティズンたちが活発な活動を行ないました。インターネットによる情報発信、大規模なデモや集会、落選運動や選挙監視、さらにじかに候補を擁立するなどの運動を追い風にして、ウリ党は圧勝。これをもって事実上の大統領信任と見なされ、さらに憲法裁判所により大統領弾劾訴追が棄却されました。
 さらにこの総選挙ではドラスティックな国会の刷新が実現します。議員の63%が新人に入れ替わり、国会の八割が新人と二選の議員で占められました。87年の民主化以前からの国会議員は一人のみとなり、多選議員のボスが党運営を牛耳って党改革の足を引っ張るといった構造は大きく払拭されます。そして70~80年代に街頭で民主化運動をたたかった世代が大半を占める形となりました。

 そして今、韓国市民はまた立ち上がり、朴槿恵大統領を退陣へと追い込みました。

 著者の文京洙氏は、最後にこう述べられています。
 市民社会が幼弱だった70年代までの韓国では、反共と開発を掲げた「強い国家」のもとで学生や市民による自発的な協働は、いともたやすく捻じ曲げられたり捻じ伏せられたりしてきた。だが、70年代以降の民主化過程で韓国社会は実に豊かにこの下からの自発的な協働に発する組織や運動団体(アソシエーション)をはぐくんできた。それは、「強い国家」の時代から「強い市民社会」のそれへの転換であったと言い換えることもできる。韓国のサイバー空間が一方的な中傷や誹謗、差別表現や人身攻撃の場に堕することなく、市民参加や水平的な討議の手段となりえたのも、基本的にはインターネットの普及がそういう市民社会の成長の時代と軌をいつにしていたからであろう。
 市民社会の強さとは、互いに異なる立場や見解をもつ実に多様な集団や個人どうしの尽くされた討議や対話を前提としている。(p.229)
 韓国の現代史を理解するためのキーワードが、「強い市民社会」であると痛感しました。文氏の言を借りれば、"多様な考え方や主張が対等で開かれた討議や対話を通して問題解決に貢献しようとするときの場やルールをいかに確保するのか"ということです。(p.233) そして「強い市民社会」を闘いによって自らの力で勝ち取った韓国の市民、心の底から尊敬します。その不撓不屈の闘いを支えたものは何か。まずは、引用文の中にあるように、"憤怒""激怒""怒り"です。義憤と公憤。自国他国を問わず、国家権力による人権侵害や市民社会への攻撃に対して、きちっと怒ってきたこと。そして植民地期には日本によって、戦後は軍部政権によって、言語に絶するような人権侵害・虐殺・弾圧を受けてきたこと。国家権力に対する不信感・警戒感と、市民社会に対する不信感が、市民の心根にしっかりと根づいているのではないでしょうか。

 できればしたくはないのですが、わが日本と比較しましょう。米兵の犯罪に激怒した韓国市民、怒らない日本国民。パチンコを全廃させた韓国市民、カジノ法案を成立させてしまった日本国民。反民主的な大統領を何度もやめさせてきた韓国市民、「他の首相より良さそう」という理由で安倍伍長政権を六割が支持する日本国民。国家の犯した犯罪や過ちを究明し謝罪し補償しようとする韓国政府とそれを後押しする市民、それを隠蔽する日本政府とそれを支持する、あるいは無知・無関心な国民市民社会を守るために怒り闘ってきた韓国市民、市民社会を守ろうとしない日本国民。怒る韓国市民、怒らない日本国民。
 その絶望的な懸隔には目が眩みます。それにしてもなぜこのような状況になってしましったのか。歴史に学びましょう。『永続敗戦論』(太田出版)の中で、白井聡氏はこう述べられています。
 戦後のある時期までの台湾や韓国の政治体制の抑圧性は、言ってみれば、日本において「デモクラシーごっこ」が成り立つための条件であった。ここに浮かび上がるのは、敗戦による罰を二重三重に逃れてきた戦後日本の姿である。実行されなかった本土決戦、第一次世界大戦におけるドイツに対する戦後処理の失敗の反省の上に立った寛大な賠償、一部の軍部指導者に限られた戦争責任追及、比較的速やかな経済再建とそれに引き続いた驚異的な成長、かつての植民地諸国に暴力的政治体制の役回りを引き受けさせた上でのデモクラシー、沖縄の要塞化、そして「国体の護持」…。冷戦構造という最も大局的な構図に規定されることによって、これらすべての要素が、「日本は第二次世界大戦の敗戦国である」という単純な事実を覆い隠してきた。(p.42)

 付記。韓国の軍部政権を日本政府が支えてきたことも絶対に忘れないようにしましょう。例えば、1982年末に登場した中曽根政権は、韓米日の新次元での安保協力関係の構築に意欲を燃やし、40億ドルの借款供与によって全斗煥政権を支えました。(p.154)

 付記その二。朴槿恵大統領は、朴正熙の娘さんだったのですね。
by sabasaba13 | 2016-12-27 06:28 | | Comments(0)
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