虐殺行脚 神奈川編(6):宝生寺(16.9)

 なお根岸駅から宝生寺へと向かう際に、堀割川沿いの横須賀街道をバスで通ったのですが、このあたりでも朝鮮人虐殺が行われたことが一昨日わかりました。いやはや、やはり勉強をしなくてはいけませんね。『関東大震災・虐殺の記憶』(姜徳相[カン・ドクサン] 青丘文化社)の中に、下記の一文がありましたが、中村町・根岸橋・中村橋という地名・橋梁名からして間違いないと思います。三好橋・倉木橋は確認できませんでしたが。
 田畑潔(会社員)は「横浜の中村町周辺は木賃宿が密集した町だった。木賃宿には朝鮮人労務者が多く住みつき、数百名からいたように思う」と前提して次のように証言している。
 「二日朝から、朝鮮人が火を放けて回っているという流言がとぶと、ただちに朝鮮人狩りが始まった。根岸橋のたもとに通称『根岸の別荘』と呼ばれる横浜刑務所があって、そこのコンクリート壁が全壊したため、囚人がいちじ解放されていたが、この囚人たち七、八百人も加わって、捜索隊ができた。彼らは町中をくまなく探し回り、夜を徹して山狩りをつづけたのである。見つけてきた朝鮮人は、警察が年令、氏名、住所を確かめて保護する間もなく町の捜索隊にとっ捕まってしまう。…そしてグルリと朝鮮人をとり囲むと、何ひとついいわけを聞くでもなく問答無用とばかり、手に手に握った竹ヤリやサーベルで朝鮮人のからだをこずきまわす。それもひと思いにバッサリというのではなく、皆がそれぞれおっかなびっくりやるので、よけい残酷だ。頭をこずくもの、眼に竹ヤリを突き立てるもの、耳をそぎ落すもの、背中をたたくもの、足の甲を切り裂くもの…朝鮮人のうめきと、口々にののしり声をあげる日本人の怒号が入りまじり、この世のものとは思われない、凄惨な場面が展開した。こうしてなぶり殺しにした朝鮮人の死体を、倉木橋の土手っぷちに並んで立っている桜並木の川のほうにつきだした小枝に、つりさげる。しかも一本や二本じゃない。三好橋から中村橋にかけて、戴天記念に植樹された二百以上の木のすべての幹に、血まみれの死体をつるす。それでもまだ息のあるものは、ぶらさげたまま、さらにリンチを加える…人間のすることとも思えない地獄の刑場だった。完全に死んだ人間は、つるされたツナを切られ川の中に落とされる。川の中が何百という死体で埋まり、昨日までの清流は真っ赤な血の濁流となってしまった」 (『潮』 71.9) (p.159~60)
 言葉もありません。日本の民衆が、なぜこのような非人間的な虐殺を行なったのか、朝鮮人への差別意識・蔑視感・恐怖心だけでは説明しきれないと考えます。その真因を本気で究明しないと、私たちはまた同じことをくりかえすのではないか、という恐ろしい予感を抱いています。そして忘れてならないのは、こうした関東大震災時の朝鮮人虐殺に日本政府が深く関与し、かつ軍隊・警察が虐殺を行なったということです。研究者の山田昭次氏は、これを国家責任と民衆責任と呼んでいます。政府・軍はその経過や責任を隠蔽し続けてきたのですが、研究の進展によってその全容が明らかになりつつあります。これについては近々、報告したいと考えています。
 言うまでもありませんが、軍隊・警察・民衆が三位一体となって非武装かつ無辜の朝鮮人を、残虐な方法で大量に殺害した事件です。これを過ちと言わずして何と言えばよいのでしょうか。しかし過ちを犯さなかった国家も民衆もありません。『普遍の再生』(井上達夫 岩波書店)に教示していただいた、大沼保昭氏の言葉に私も共鳴します。
 過ちを犯したからといって卑屈になる必要はない。過ちを犯さない国家などというものは世界中のどこにもないのだから。しかし、過ちを犯さなかったと強弁することは自らを辱めるものであり、私たちの矜持がそうした卑劣を許さない。私たちの優れた到達点を率直に評価し、同時に過ちを認めるごく自然な姿をもつ国家こそ、私たちが愛し誇ることのできる日本という国ではないか。私はそう思う。(「日本の戦争責任と戦後責任」 『国際問題』 501号 2001年12月号) (p.68~9)
 そう、孔子もおっしゃっています、「過ちて改めざる、是これを過ちという」と。しかし残念ながら、日本政府は、いまだにこの虐殺を認めず、その真相を調査・究明しようとせず、謝罪もせず、賠償もしていません。やれやれ、こういう国家にどういう言葉を捧げましょうか。

 恥知らず。
by sabasaba13 | 2017-01-13 06:27 | 関東 | Comments(0)
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