虐殺行脚 東京編(15):両国(16.10)

 さて、そろそろ小腹がへったので、地元資本の喫茶店でモーニング・サービスを食したいところですが…見当たりません。せんかたなし、駅前にあった「EXCELSIOR CAFFE」に入ってモーニング・サービスをいただきました。珈琲を飲みながら、さきほど「亀戸梅屋敷」の塀に置いてあったチラシを拝見。
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 東日本大震災から5年。復興への長い道のりを覚悟しながらも、必死に立ち上がり、前を向いて力強く歩き出す人々の物語。
 原発を受け入れ。原発と共に生き。そして原発に故郷を追われた人々。その故郷を悼む、悲しき挽歌。
 差別、人権と人命の軽視という点で、朝鮮人虐殺と原発事故はつながっていると思います。そしてマイノリティをいたぶって己を強く見せ、ストレスを発散させるところも。最近報道される、原発事故から避難してきた子どもたちへの「いじめ」を見ても、この虐殺事件の真相究明と責任追及、謝罪と補償を怠ってきたつけがまわってきているのではないでしょうか。犠牲者がいないと稼働しない日本というシステム。いつまで続ける気なのでしょう。

 JR亀戸駅から総武線に乗って両国駅へ、横網町公園へ向かいます。途中に、「置いてけ堀・御竹蔵跡」という解説板があったので、後学のために転記します。
 この辺りには、幕府の資材置き場だった御竹蔵があり、その周りには掘割がありました。
 ある日、町人がこのあたりの堀で釣りをしたところ、たくさん魚が獲れたので、気を良くして帰ろうとすると、堀の中から「置いてけ!」という怪しい声がしました。逃げるように家に帰って、恐る恐る魚籠をのぞくと、釣れた魚が一匹も入っていませんでした。
 これが、本庄七不思議の一つ、「置いてけ堀」の話です。話の内容や場所には諸説があり、置いてけ堀は「錦糸堀」との説もあります。作られたのは寛政年間(1789~1801)といわれ、七つ以上の話が伝えられています。
 インターネットで調べたところ、あとの六つは、送り提灯、送り拍子木、消えずの行灯、足洗い屋敷、片葉の葦、狸囃子だそうです。津軽の太鼓と落葉なき椎を入れる説もあるとのことでした。
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by sabasaba13 | 2017-03-25 07:25 | 東京 | Comments(0)
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