虐殺行脚 東京編(23):日本工業倶楽部(16.10)

 そして麻布十番駅から都営地下鉄12号線に乗って大門へ、山手線の浜松町駅へと歩き山手線に乗り換えて東京駅へ。東京駅から北に向かって歩きます。ここに来るとついつい足が向いてしまう日本工業倶楽部へ行き、上部に設置されている工夫と女工に最敬礼。
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 『日本の歴史28 ブルジョワジーの群像』(安藤良雄 小学館)から引用します。
 明治30年代以降、工業の発展にともなって工業経営者、とくに大工業の経営者の団結の必要が説かれ、33年に「工業倶楽部」(のちに日本工業協会)が設立されたが、この段階ではまだ政府にたいする民間の連絡機関的性格が強かった。しかしながら大正6年、三井・三菱等の大財閥のバックアップのもとに、大橋新太郎(出版社博文館・共同印刷の前身であった博文館印刷所を創設)、和田豊治(富士瓦斯紡社長)、植村澄三郎(札幌麦酒の創設者)、諸井恒平(秩父セメントの創設者)、藤原銀次郎(三井の重鎮で王子製紙社長・のち商工大臣)らによって「日本工業倶楽部」が設立され、その初代理事長には三井財閥の最高指導者(合名理事長)団琢磨が就任した。なおこの日本工業?楽部は「製鉄業保護意見書」の提出ほか、税制・労働問題について活発な行動をおこなった。いまも東京丸の内にある日本工業?楽部の建物にかかげられている炭鉱夫と紡績女工の像は、日本工業倶楽部の象徴として有名であるが、これは石炭業と紡績業が日本の工業を代表していた時期のなごりである。(p.232)
 途中で、竹中工務店が工事をしているビルがありました。「想いをかたちに 未来へつなぐ」というスローガンがかかげられていましたが、たしか竹中工務店は朝鮮人強制労働に関係していたような気がします。今、インターネットで調べると、歴史研究家の竹内康人氏が作成された「朝鮮人強制労働現場一覧」がありました。どれどれ、検索をかけてみたら四つの事例がわかりました。
鏡石飛行場建設 竹中工務店 飛行場建設 福島 鏡石町
日本光学南工場(竹中工務店) 土木建設 神奈川 横浜市戸塚
三菱重工静岡工場・竹中工務店 土木建設 静岡 静岡市
竹中工務店大村 軍工事 長崎 大村市
 朝鮮人・中国人強制連行によって、日本企業がどれくらいの利益を得たのか。またこの問題に対する綿密な調査、被害者への謝罪や補償はどうなされたのか、あるいはどうなされなかったのか。関東大震災時における虐殺と同様、これも"語られなかった歴史"です。私も勉強しなければと一念発起、てはじめに『日本企業の戦争犯罪』(古庄正・田中宏・佐藤健生他著 創史社)を購入しました。その近くにあった、立派な時計塔のあるビルを撮影。今インターネットで調べてみたら、大手町野村ビルでした。
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 佐藤功一設計によって1932年に竣工されたビルのファサードと時計塔を保存しつつ、1994年に高層ビルが建設されたそうです。佐藤功一といえば、早稲田大学に建築科を創設した建築家ですね。代表作は、大隈記念講堂、鶴舞公園普選壇群馬県庁舎日比谷公会堂群馬会館などです。
by sabasaba13 | 2017-04-05 06:27 | 東京 | Comments(0)
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