虐殺行脚 千葉編2(1):習志野(16.12)

 関東大震災時における虐殺行脚、まだ続けています。千葉県はすでにまわったのですが、その後、『地域に学ぶ関東大震災 千葉県における朝鮮人虐殺 その解明・追悼はいかになされたか』(田中正敬・専修大学関東大震災史研究会編 日本経済評論社)という好著を読む機会がありました。専修大学関東大震災史研究会が、「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」の方々に案内してもらったフィールドワークの記録です。史跡や事件の現場が、地図とともに紹介されており、これを片手にふたたび千葉県を訪れることにしました。今回は、最高の伴侶を同行します。あっ、いやいや、山ノ神ではなくて、ブロンプトンです。そう、知る人ぞ知る、知らない人は知らない、世界最高の折りたたみ自転車、分解・組み立てが約一分にしてコンパクト・サイズという優れもの。結果から言えば、たいへん重宝いたしました。持参した本は、同書と『在日外国人 第三版 -法の壁、心の溝』(田中宏 岩波新書1429)です。

 「第2章 八千代市高津・大和田新田・萱田を歩く」で紹介されている史跡をメインにまわろうと、東西線に乗って八千代中央駅をめざしますが、車内で同書の「第3章 「軍郷」習志野を歩く」を読んでいるうちに、気が変わりました。まず習志野を訪れましょう。習志野には騎兵第十三・第十四・第十五・第十六連隊が駐屯し、震災直後直ちに東京方面などに出動し、朝鮮人を大量に虐殺しました。その駐屯地の近くには、9月5日、朝鮮人「保護」のため収容所が開設され、朝鮮人が護送されてきましたが、収容所では憲兵が思想調査を行ない、あやしいと判断した朝鮮人を殺し、また近隣の住民に殺させたのも、この騎兵連隊です。
 東西線で西船橋まで行き、総武線に乗り換えて船橋へ。京成船橋から京成本線に乗って京成大久保駅に到着です。ブロンプトンを組み立てて、まずは駅の南側に向かいました。すぐに大久保公民館に着きましたが、このあたりも騎兵連隊による朝鮮人虐殺の現場です。

 合掌

 会沢泰さん(当時騎兵第十四連隊本部書記)の証言を『地域に学ぶ関東大震災』から引用します。
 救護する目的でつれて来たんですけれども、朝鮮人が暴動を起こしそうだっちゅうんで、朝鮮人をひっぱり出せという事で、ひっぱってきたんですねえ。私の連隊の中でも16人営倉に入れた。それが四個連隊あるんですから。おかしいようなのは、みんな連隊にひっぱり出してきては、調査したんです。
 ねえ、軍隊の中で…そしておかしいようなものを…ホラ、よくいうでしょう…切っちゃったんです。日本人か朝鮮人かわからないのも居たわけですね。切ったところは、大久保公民館の裏の墓地でした。そこへひっぱっていってそこで切ったんです。…私は切りません…30人ぐらいいたでしょうね。
 ところが、私の連隊ばかりじゃない。他の連隊もみんなやる。いきなりではなく、(連隊の中で)ある程度調べてね。ナニしとったんだか、どこに居たんだかを。(p.69~72)
 現在は中央公園ですが、当時は人気のない墓地だったのでしょうか。習志野収容所で取調べや調査などをして、民族主義者・労働運動家・社会主義者などをあぶり出してこのあたりで殺害したのでしょう。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2017-04-17 08:07 | 関東 | Comments(0)
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