『スノーデン 日本への警告』

 映画『スノーデン』と『シチズンフォー』を見て、エドワード・スノーデン氏の高い志と不屈の勇気にいたく感銘を受けました。彼に関することをもっと知りたいと思っていたところ、『スノーデン 日本への警告』(エドワード・スノーデン 青木理 井桁大介 金昌浩 ベン・ワイズナー マリコ・ヒロセ 宮下紘 集英社新書0876)という本が出版されていることが分かり、さっそく購入して読了しましました。
 2016年6月4日に行なわれた、自由人権協会(JCLU)70周年プレシンポジウム「監視の"今"を考える」に参加したスノーデン氏の発言をまとめたものです。なお周知のように彼は今、アメリカ政府の追及から逃れるためにロシアにいるので、衛星テレビを通しての参加となっています。
 書名の通り、アメリカと同様に、市民の自由やプライバシーを脅かしている日本政府の実態を告発し、それを私たちに警告するという内容です。なにはさておき、彼の発言をいくつか紹介しましょう。
 暗号化という技術は、適切に用いられればすべての人を平等に保護します。しかし、私は軍拡競争を提唱したいわけではありません。テクノロジーの専門家たちのコミュニティはこの競争に勝てる可能性があるとは思いますが、そのような競争は望ましいものではありません。技術による人権保障は、最終手段だと考えています。むしろ政治的な状況や、私たち自身の無関心と知識の欠如がもたらす脅威に目を向ける必要があります。
 このテーマは現在の日本にとっても極めて重要な問題です。ここ数年の日本をみると、残念ながら市民が政府を監督する力が低下しつつあるといわざるを得ません。2013年には、政府がほとんどフリーハンドで情報を機密とできる特定秘密保護法が、多数の反対にもかかわらず制定されてしまいました。(p.43)

 より便利であるという理由だけで、政府の求めに応じて無制限の権力を与えることは大変危険なことです。民衆が政策に反対しているのに、政府が民意を無視することを何とも思っていない時にはとりわけ危険です。ここで私が問題にしているのは、日本国憲法第九条の解釈のことです。
 安倍政権にとって、憲法を改正したいのであればそれもひとつの政策でしょう。しかし、改正をしたいのであれば手続きを踏む必要があります。安倍政権はその手続きを踏むべきでした。有権者の三分の二が、日本をより軍国主義的にするような憲法九条の削除、改正、そして再解釈に反対しているにもかかわらず、安倍政権は、憲法改正という正攻法ではなく、裏口入学のような法律解釈の行ってしまいました。これは世論、さらには政府に対する憲法の制約を意図的に破壊したといえます。
 もちろん私は、日本にとって何が正しいかということを言う立場にはありません。でもこれだけは言えるでしょう。政府が、「世論は関係ない」、「三分の二の国民が政策に反対しても関係がない」、「国民の支持がなくてもどうでもいい」と言い始めているのは、大変危険です。
 このような時こそ、ジャーナリストは政府が何をしているかを把握しなければなりません。にもかかわらず、すべての情報が特定秘密として閉じられてしまう。これは非常に危険です。こうした問題に関しては公共での議論が必要です。また、メディアも連帯を確保して、政府の政策や活動を批判しないようプレッシャーを掛けてくる政府に対抗する必要があるでしょう。(p.49~50)

 今、日本のプレスは脅威にさらされています。その態様はピストルを突き付けられたり、ドアを蹴られたり、ハードドライブを壊されたりという形の恐怖ではありません。日本における恐怖は、静かなる圧力、企業による圧力、インセンティブによる圧力、あるいは取材源へのアクセスの圧力です。テレビ朝日、TBS、NHKといったような大きなメディアは、何年にもわたって視聴率の高い番組のニュースキャスターを務めた方を、政府の意に沿わない論調であるという理由で降板させました。
 政府は自分たちの持つ地位と権力を理解しています。政府は放送法の再解釈を通じてプレッシャーをかけています。政府はあたかも公平性を装った警察のようにふるまいます。「この報道は公平ではないように思われますね。報道が公平でないからといって具体的に政府として何かをするわけではありませんが、公平でない報道は報道規制に反する可能性がありますね」などとほのめかすのです。
 こうした類の脅迫は、メディア各社の上層部に明確に伝わっています。これは驚くことではありません。メディアの事情も理解はできますが、脅威に屈してはいけません。政府が嫌いなニュース会社やニュースキャスターを排除してはなりません。今求められていることは連帯です。
 ニュース組織、TBS、NHK、テレビ朝日、その他のさまざまなテレビ・チャンネル、そしてジャーナリスト団体が一緒になって、自由な報道というものは政府の言いなりになって書くのではないこと、開かれた社会における報道の自由の目的は政府による情報の独占に対抗することにあることを訴え続ける必要があります。
 とりわけ、日本社会や日本で暮らす人々の権利に大きな影響を及ぼす事項については、対抗していく必要があります。政府の働きを調査できなければ、企業の動きを調査できなければ、また調査の結果判明した実態を人々に伝えることができなければ、ジャーナリストではなくなってしまいます。ジャーナリストではなくただの速記者です。それは日本の市民社会にとって非常に大きな損失であり、ひいては日本にとっても大きな損失だと思います。(p.53~4)

 市民が反対しているのに政府が意に介さず法律を成立させるような社会では、政府は制御不可能となります。あらゆることのコントロールが失われます。人々は政府と対等のパートナーではなくなります。全体主義にならない保証はありません。(p.82)

 人と話して下さい。価値観を共有して下さい。会話をして下さい。議論をして下さい。そして決して恐れないで下さい。リスクを認識すること、それが現実にあると認識することは大事なことです。
 手榴弾の上に身を投げ出しましょうなどと言っているわけではありません。誰もそんなことしたくありません。殉教者など必要ありません。
 けれども行動を怖がらないで下さい。過ちを見つけたならば、すぐに行動に移して下さい。既定路線になる前に動いて下さい。政府の方針となることを待たないで下さい。物事を注意深く見て下さい。よく考えて下さい。受け身にならないで下さい。そして最後のこのことを忘れないで下さい。自由を享受できる社会は市民が主役になって初めて実現されるということを。
 あなたは誰かをサポートする脇役ではなく主役なのです。(p.83~4)
 最新テクノロジーを駆使して情報を独占し、私たちを監視し、ジャーナリズムを屈服させ、市民によるコントロールから自由となって暴走・腐敗する国家権力。アメリカと同様の状況が日本においても起こっていることを、スノーデン氏は的確に指摘されています。そしてその行き着く先は全体主義であることも。特定秘密保護法や共謀罪を遮二無二求める安倍政権の姿勢を見れば、一目瞭然です。事態がここまで進んだのは、私たち市民の知識の欠如と無関心に責任があるという指摘にも汗顔の至りです。
 こうした動きに抗い、自由を守るためには、人と話すこと、恐れないこと、行動すること、そして自分が主役だと認識すること大事であるという氏の言葉を銘肝したいと思います。

 パネリストとして参加した四人による討論も興味深く、たいへん参考になりました。スノーデン氏の法律アドバイザーであるベン・ワイズナー氏、ニューヨーク市警によるムスリム監視の差止を求める訴訟の代理人を務めるマリコ・ヒロセ氏、プライバシーの専門家である中央大学准教授の宮下紘氏、そして日本の警察組織を取材するジャーナリストの青木理氏です。
 ベン・ワイズナー氏と青木理氏の発言を紹介しましょう。
(ベン・ワイズナー) 確かに脅威が存在しないわけではありません。しかしスノーデン氏が指摘する通り、テロリストによって殺される確率よりバスタブで溺れる確率の方が高いのです。テロの脅威は、政府が毎年800億ドルを費やして対策すべきほどの脅威なのか、改めて考えるべきです。
 情報当局にとってはテロの危険は大きければ大きいほど良いわけですが、私はこれを、"脅威という燃料"と呼んでいます。諜報機関という装置が自らの存在を正当化するために必要とする燃料です。(p.136)

(青木理) 僕はアメリカが全部いいなんてまったく思いませんけれども、こうしたアメリカなどの状況と比べ、日本ではジャーナリストやメディアの仕事に対する理解が、政権レベルでも市民レベルでも非常に低いと思います。これは僕らがサボってきたという面もあると思うのですが、紛争地取材にあたるジャーナリストを「自己責任だ」などと言って切り捨ててしまうという風潮が強まれば、僕たちは紛争地の真実を知ることができない。あえて攻撃的に言えば、この程度の市民があってこそ、この程度のメディアと言えるのかもしれません。(p.148)
 ベン・ワイズナー氏が言う"脅威という燃料"という言葉は、政府の行為を批判的な視点で考える際に非常に有効だと思います。例えば、北朝鮮の発射するミサイルはほんとうに"脅威"なのか。"脅威"だとしたら、それが命中した時にはかなりの確率で日本を破滅させる原子力発電所をなぜ再稼働させるのか。ほんとうは"脅威"ではなく、安倍政権および官僚機構が、己の権力や利益を増進させるための"燃料"に過ぎないのではないのか。

 二本の映画ともども、私たちを勇気づけてくれるお薦めの一冊です。
by sabasaba13 | 2017-05-31 06:25 | | Comments(0)
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