言葉の花綵163

 伝わらぬ人には百万言を費やしても何も伝わらない。音楽的メッセージとは、そういう性質のものなのだ。(さだまさし)

 晩年のある日、彼女はこう言った。原爆を生む悪魔は私の心の中にもすんでいる。向こうが落とさなきゃこっちが落としている。戦争というものはそういうものだよ、と。だから恨むなら兵器じゃなく、戦争そのものだよ。ヒロシマ・ナガサキが戦争の歯止めにならなきゃ、皆浮かばれないじゃないの、と。(さだまさしの叔母)

 ぼくは、広島へ行って、驚いた。これはいけない、と狼狽した。ぼくなどは「ヒロシマ」を忘れていたというより、実は初めから何も知っていなかったのだ。今日もなお「ヒロシマ」は生きていた。それをぼくたちは知らなさすぎた。いや正確には、知らされなさすぎたのである。(土門拳)

 にほんの ひのまる
 なだて あかい
 かえらぬ
 おらがむすこの ちであかい (おはん)

 私を、あの人と、代わらせてください。私は神父。妻もなければ、子もいませんし、それに年寄りです。彼を、あの若い彼を、妻子のもとにかえしてやってください。(マキシミリアノ・コルベ)

 ごらんなさい 母よ
 あなたの息子が何をしようとしているかを
 あなたの息子は人を殺そうとしている
 見も知らぬ人をわけもなく突き殺そうとしている
 その壁の前にあらわれる人は
 そこであなたの柔しいもう一人の息子の手で
 そのふるえる胸板をやにわに抉られるのだ (中野重治 『新聞にのった写真』)

 映画は真実を伝える眼であり、政治や社会の不正を批判し、本当に大衆の幸福を願うものでありたい。(山本薩夫)

 僕は若いヤツらには、電信柱にしがみついて、身体を鎖でくくりつけてでも戦争には行ったらあかん、親兄弟にまで国賊と罵られても山の中に逃げろと言いたい。(井筒和幸)

 戦争はすべての人間から末来を奪う。私たちが愚かだったとすれば、それは末来を考えることの出来ない坩堝の中にいたためである。(佐藤愛子)
by sabasaba13 | 2017-07-07 06:28 | 言葉の花綵 | Comments(0)
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