近江編(30):寺田屋(15.3)

 そして濠川沿いの遊歩道を散策、見ていて赤面したくなるような「龍馬とお龍、愛の旅路」像があったので撮影。
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 解説を転記します。
 薩長同盟を締結させた直後の慶応2年(1866)寺田屋に宿泊していた坂本龍馬は伏見奉行所配下の捕り手に囲まれます。この時、危機を察知したお龍により命を救われた龍馬は、しばらく伏見薩摩藩邸にかくまわれていましたが、右手の傷を癒すためここ寺田浜から三十石舟に乗りお龍とともに、九州の霧島へと旅立ったのです。
 そういえば日豊本線の隼人駅を訪れたときに、「龍馬とお龍 日本最初の新婚旅行の地 霧島市」という大きな看板がありました。西郷隆盛と小松帯刀が温泉療養をすすめたのですね。

 そして、その寺田屋に着きました。そう、幕末に起こった二つの事件の現場となった旅館です。ひとつは、1862(文久2)年、薩摩藩主の父・島津久光が、暴走する薩摩藩尊王攘夷派を殺害した事件。もうひとつが前述した、坂本龍馬の遭難です。1866(慶応2)年、京での薩長同盟の会談を斡旋した直後に、寺田屋に宿泊していた坂本龍馬を、伏見奉行配下の捕り方が捕縛ないしは暗殺しようとした事件です。いち早く気付いたお龍が、風呂から裸のまま裏階段を二階へ駆け上がり投宿していた龍馬らに危機を知らせたというのは、有名なエピソードですね。
 それでは入場料を払って中へ入りましょう。そこかしこに「刀痕」「昔白刃の裏梯子 "お龍さん恋の通路の裏梯子"」「お龍さんが急を知らせた階段です」「裸のお龍さんで有名なお風呂です」といった手書きのビラが貼ってあるのには、ちょっと眉に唾をつけたくなりますね。ほんとなのかな。
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 帰郷後に調べたところ、やはり偽物でした。『ニホンシログ』というサイトによると、寺田屋は鳥羽・伏見の戦いにより焼失し、今の建物はその後に再建されたものです。そしてこの建物を、幕末当時のままの「寺田屋」と偽った張本人が第14代寺田屋伊助という方だそうです。ちなみに「寺田屋」とは血の繋がりのない赤の他人。1962(昭和37)年に司馬遼太郎が新聞に『竜馬がゆく』の連載を始めたころに、この建物を買い取り旅館経営を始めたとのこと。ま、目くじらをたてず、龍馬のテーマ・パークとして楽しめばいいのでしょうが、本物ではない旨は明言してほしいですね。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-09-12 14:16 | 近畿 | Comments(0)
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