関東大震災と虐殺 20

 さてこの9月3日に第二次山本権兵衛内閣が成立し、内務大臣は水野錬太郎から後藤新平に代わりました。そして政府は東京府全域と神奈川県にも戒厳令を施行しました。
 関東戒厳司令官は、この日、その職権によって、戒厳令第14条の適用について次のように定めました。(②p.125~6)
一 警視総監及関係地方長官竝ニ警察官ノ施行スベキ諸勤務。…
  四 各要所ニ検問所ヲ設ケ通行人ノ時勢ニ妨害アリト認ムルモノノ出入禁止又ハ時機ニ依リ水陸ノ通路停止。
  五 昼夜ノ別ナク人民ノ家屋建造物、船舶中ニ立入検察。
  六 本令施行地域内ニ寄宿スル者ニ対シ時機ニ依リ地境外退去。…
 さらに同時に発せられた関東戒厳司令官告諭に「此際地方諸団体及一般人士モ亦極力自衛協同ノ実ヲ発シテ災害ノ防止ニ努メラレンコトヲ望ム」とあります。
 既述のように、9月2日午後6時頃に政府は戒厳令を布告し、戒厳執行の職についた森岡東京衛戌司令官は、「警備に関する訓令」を発して軍隊の兵器使用を解禁しました。そしてこの決定によって、軍隊が検問を直接行ない、検問体制の下部機構に自警団をとりこみ、検察権のない軍人による令状なしの捜索と逮捕が可能になったわけです。大江志乃夫氏によると、これは合囲令の発動です。行政戒厳であるにもかかわらず、戦時における真正戒厳の、しかも臨戦令ではなく合囲令を発動するとは、本来の趣旨を逸脱したものです。臨戦令は、戦時にあって警備を要する地域で施行され、軍事に関する事件に限り、地方行政・司法事務が当該地域軍司令官の管掌となります。合囲令は、より緊迫した状況の時に施行され、敵に包囲されている、または攻撃を受けている地域で施行され、一切の地方行政・司法事務が当該地域軍司令官の管掌となります。戒厳軍が警察・自警団を指揮して、検問・捜索・逮捕を行ない、また拡大解釈の可能な抽象的規定によって武器の使用を認めたわけですから、あまりにも過剰な対応ですね。大江志乃夫氏曰く、"戦場にある軍隊に匹敵するほどの広範な権限を有するに至"りました。

 そして9月3日午前9時に開かれた臨時震災救護事務局警備部の打ち合わせでは、「第三、市街及び一般民衆の保護取締に関する件」について、次のように決定しました。(①p.147~8)
一、検問所の設置、市の周辺並市内枢要の場所に検問所を設け、軍隊及警察官を配置し、容疑人物の尋問を行ひ、容疑すべき人物は、之を警察官に引渡し取調を為さしむべし。
  二、検問所又は巡邏兵の他警備に配置せられ居る者に於て、容疑人物を尋問する際には、携帯品に就て検索を行ひ危険物件を所持せる場合は之を領置すること
 そして、戒厳軍の区署を受ける警察は、各検問所に次のような指示を出しました。
一、巡査五名、監督者一名ヲ配置シ、軍隊ト協力シテ検問ニ従事セシムヘキコト
一、検問ハ軍隊ノ援助ヲ得テ警察官之ヲ行フヘキコト
一、検問ニ際シテハ通行人ノ服装携帯品ニ注意シ、夜間ハ一切ノ通行人ニ対シ、昼間ハ不審ト認ムル者ニ対シテ其住所、氏名、出発地、目的地通行ノ要件其他ニ付キ充分ナル取調を行ヒ容疑ノ者アラハ直ニ検束ヲ加ヘ所属署ニ送致スヘキコト (『東京震災録』中巻 p.196)
 関東戒厳司令官の決定と符合します。警察は軍の補完機関として位置づけられ、幹線の枢要検問所に鉄壁の封鎖体制が敷かれることになりました。そして朝鮮人が「非行」をはたらき、「治安秩序を紊る」と判断したら武器を使用できる。この打ち合わせ会議では、次のような決定もなされました。
 朝鮮人ニシテ容疑ノ点ナキ者ニ対シテハ之ヲ保護スルノ方針ヲ採リ来ルヘク適当ナル場所集合セシメ苟モ容疑ノ点アル鮮人は悉ク之ヲ警察官又ハ憲兵ニ引渡し適当処置スルコト

 要視察人危険ナル朝鮮人其他危険人物ノ取締ニ付テハ警察官及憲兵ニ於テ充分ノ視察警戒ヲ行フコト (「関東戒厳司令部詳報」第三巻、田崎公司他『関東大震災陸海軍関係史料』)
 「要視察人」とは既述のように、独立運動や労働運動に関わる朝鮮人を意味するカテゴリーで、官憲の警戒・監視の対象とされた人びとです。甲号視察人には五人、乙号視察人には三人の尾行をつけて日常生活を監視していました。文中にある「適当処置」とは、暗黙のうちに「殺害差支えなし」という意味を含んでいるのではないでしょうか。
そしてなにより重要なのは、この会議で、容疑のない朝鮮人は保護し、容疑のある朝鮮人は警官・憲兵が「適当処置」する方針が決定されたことです。戒厳行動を展開しているうちに、戒厳司令部は、流言は無根で朝鮮人暴動は起きていないのではないかという疑問をいだきはじめたのでしょう。また内外に対する体面上、自警団の熱狂的な暴走を抑制する必要を感じたのかもしれません。つまりこれまでの無差別敵視策を撤回して、大部分の朝鮮人は保護し、一部の「容疑ノ点アル」朝鮮人を「適当処分」する方策に変更しました。いうまでもなく、"容疑の点ある朝鮮人"とは、独立運動や労働運動・社会主義運動・無政府主義運動に関わっていた方々です。

 これは推測ですが、戒厳司令部としては、今さら朝鮮人暴動は事実無根であったと認めることは絶対にできません。これまで見てきたように、組織的に流言蜚語を流布し、朝鮮人虐殺を実行してきたのは軍隊・警察なのですから、これを認めたら重大な過失であり責任を問われます。かといって朝鮮人の虐殺を放置しておくこともできない。そこで数は少ないが朝鮮人による放火や暴動はあったと嘘をついて責任を免れ、同時に流言蜚語を取り締まり、朝鮮人の保護を命じる。またその嘘に真実性をもたせるために、疑わしい朝鮮人をあぶりだして「適当処分」する。朝鮮人による独立運動・労働運動・社会主義運動の萌芽を、先手を打って潰すためにも有効ですね。
 この決定をうけて、戒厳司令部が9月3日に発表した一般国民宛の訓示を見ると、そのことがわかります。(①p.168~70)
 不逞鮮人ニ就テハ三々伍々群ヲナシテ放火ヲ遂行又ハ未遂ノ事実ハナキニアラザルモ既ニ軍隊ノ警備力完成ニ近ヅキツツアレバ最早決シテ恐レル所ハナイ数百数千ノ不逞鮮人ガ襲撃シ来ルナド動モスレバ出所不明ノ無頼ノ流言蜚語ニ迷ワサレ徒ニ軽挙妄動ヲナスガ如キハ今後大ニ考慮スルコト肝要デアロウ。
 "事実ハナキニアラザルモ"という表現に、この作文をつくった軍部官僚の苦心がにじみでています。官僚が要求される重要な能力は、責任を免れるための技術なのだと痛感します。

 そして9月3日午後4時、第一師団司令官・石光真臣による「隷下各団体に対する訓示」には、注目すべき表現がまぎれこんでいます。
 (※朝鮮人が)計画的ニ不逞ノ行為ヲナサントスルガ如キ形勢ヲ認メズ、鮮人ハ必ズシモ不逞者ノミニアラズ之ヲ悪用セントスル日本人アルヲ忘ルベカラズ宜シク此両者ヲ判断シ適宜ノ指導ヲ必要トス
 ここにも軍部や官憲の責任を免れようとする苦心の跡が見られます。"鮮人ハ必ズシモ不逞者ノミニアラズ"と、不逞な=日本の国家権力に逆らう朝鮮人がいることを公認し、"之ヲ悪用セントスル日本人"の存在をほのめかす。この日本人とは、もちろん社会主義者や労働運動家です。一部の朝鮮人と社会主義・労働運動に関わる日本人が暴動や放火を起こした、あるいは起こす可能性があるとして厳しい取り締まりを命じたのですね。あくまでも自らの責任に対してしらを切りとおそうとする官僚たちの厚顔無恥さ、恐れ入谷の鬼子母神です。

 さて、それでは大部分の順良なる朝鮮人と、一部の「不逞」なる朝鮮人をどうやって見分けるか。自警団の暴虐から保護するためにすべての朝鮮人を一斉検束し、そのうえで軍・警察が捜査・尋問を行ない、後者を炙り出す。こうして軍・警察による朝鮮人狩りが始まりました。
by sabasaba13 | 2017-10-07 07:04 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)
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