続・前原誠司という男

 アメリカの飼い犬、前原誠司氏については、以前に拙ブログで紹介しましたが、『新崎盛暉が説く構造的沖縄差別』(新崎盛暉 高文研)を読んでいたら、また登場しました。以下、引用します。
 だが(※2010年)9月に行われた名護市議選では、稲嶺市長派が4議席増の16議席、島袋前市長派が1議席減の11議席となって稲嶺市長支持基盤は強固なものになった。前原誠司国交相(沖縄担当相)などが、民主党も推薦して当選した稲嶺市長の頭越しに、自公推薦で落選した島袋前市長やその周辺の利権がらみの地域ボスたちと接触し、多数派工作を繰り返したことへの反発もあっただろう。前原国交相や北澤防衛相は、鳩山首相が「国外、県外」の旗を降ろしてはいない1月の市長選挙の段階から、民主党沖縄県連は稲嶺支持であるにもかかわらず、裏で島袋前市長を支持していたとも言われ、落選後上京した島袋吉和を慰労していた。(p.55~6)

 すでにこれより先の(※2011年)7月、前原政調会長は、自民党の中谷元、公明党の佐藤茂樹と共に「新世紀の安全保障体制を確立する議員の会」の代表幹事として沖縄を訪れ、自公民いずれが政権を担おうとも、超党派で辺野古移設を推進していくと強調している。彼らの地元分断工作に尻を叩かれ、地元容認派は、「普天間移設と北部振興策は明らかにリンクしている」として「北部振興推進・名護大会」を開き(10月26日)、容認派から誘致派へと脱皮しつつある。(p.63~4)

 2010年9月、尖閣諸島海域で、中国漁船と海上保安庁の巡視船の衝突事件が起こった。当時、海上保安庁を所管する前原誠司国交相(沖縄担当相兼担)らは、この問題を利用して中国脅威論をあおり、在沖米軍基地、とりわけ普天間の海兵隊基地やそれに代わる辺野古の新基地建設の必要性を強調する根拠として、最大限利用しようとした。(p.78)
 今、読んでいる『終わらない〈占領〉』(孫崎享・木村朗編 法律文化社)にも登場しました。引用します。
 普天間基地問題で政権交代前に「国外移設、最低でも県外移設」を掲げていた鳩山民主党政権が、その基本方針を何ら具体化できずに「迷走」して放棄することになったのは、当時の官邸(平野博文官房長官)・外務省(岡田克也大臣)・防衛省(北澤俊美大臣)・国交省(前原誠司大臣)が、外務・防衛官僚と一体となって鳩山由紀夫首相の意思を無視して、従来の対米従属路線で動いたからに他ならない(のちにウィキリークス情報によって判明)。(p.77)
 やれやれ。ま、でも、極右の「希望の塔」に合流したことですっきりしました。後は衆議院議員選挙で、主権者である私たちが審判を下すのみですね。このまま沖縄の人々に犠牲を強いて平気でいる政党に投票するのか、道義心と人間性をもとに新基地建設に反対する政党に投票するのか。

 沖縄「返還」時に佐藤首相の密使を務めた若泉敬氏は晩年、平和を享受しながら沖縄に目を向けない本土を「愚者の楽園」と呼んだそうです(2010年6月19日放送NHKスペシャル 『密使 若泉敬 沖縄返還の代償』)。このまま「愚者の楽園」にいることを選ぶのか、それとも誇り高き別の道を歩むことを選ぶのか。
by sabasaba13 | 2017-10-08 07:38 | 鶏肋 | Comments(0)
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