関東大震災と虐殺 27

 さて亀戸署におけるその後の動きです。(⑩p.51~6) 9月4日午後7時過ぎ、古森繁高署長は留置場に四人の自警団員を拘留しました。彼らは日本刀を携帯して、勝手に通りがかりの人を呼びとめ、怪しい人物に私刑を加えていたのでした。たまたま通りがかった警官が検問をやめるよう勧告すると、怒って日本刀で切りかかってきました。本人たちは官憲に協力しているつもりだから、不本意だったのでしょう。 彼らは応援の警官によって公務執行妨害、傷害罪で正式に逮捕されました。しかし、本人たちは不当逮捕と信じているので、留置場内で騒ぎに騒いぎます。警察と軍隊への悪口をあれこれ述べたて、「さあ殺せ」とわめいたりしました。ついに古森は「兵器ヲ用ウルニアラザレバ之ヲ鎮圧シガタキヲ認メ」軍隊(警備の騎兵十三連隊・田村春吉少尉ら)に引き渡して、刺殺させました(警視庁編『大正大震火災誌』)。
 この四人のなかに、石炭仲買い兼人夫差配師の秋山藤次郎が含まれていました。彼は中国人労働者多数をかかえていましたが、当時、亀戸署の特高刑事から「支那人を百人解雇して、日本人を使うようにせよ」と迫られ、拒否し続けていました(『報知新聞』 1923.10.14)。王希天と同じように、中国人サイドに立つ人物だったのですね。秋山は、あるいは大島事件など中国人虐殺を知っていて、留置場内で告発したかもしれません。いずれにせよ、軍隊と警察が共謀して日本人を虐殺した事件です。

 そしてこの9月4日、東京の周辺でも朝鮮人虐殺が猖獗を極めはじめていました。既述のように、9月2日、内務省が周辺各県へ、朝鮮人暴動という誤報と「町村当局者は、在郷軍人分会、消防手、青年団員等と一致協力して其警戒に任じ、一朝有事の場合には、速かに適当の対策を講ずるよう至急相当御手配相成度」という指示を伝えています。壊滅状態にある警察力を補強するために、各町村においていわゆる「自警団」を結成し協力するよう指示したわけです。注目すべきは「適当の対策」という文言、これは「場合によっては殺害やむなし」という暗黙の内容を含みもたせています。これによって東京周辺での虐殺が始まった可能性が高いと思います。

 またこの日も、地方の新聞は「朝鮮人の暴動・放火という流言蜚語」を事実として報道しつづけています。その影響も見逃せません。
 歩兵と不逞鮮人戦斗を交ゆ 京浜間に於て衝突す 火災に乗じ不逞鮮人跋扈 近県より応援巡査派遣… (福島民友新聞)

 放火・強盗・強姦・掠奪 驚くべき不逞鮮人暴行 爆弾と毒薬を所持する不逞鮮人の大集団二日夜暗にまぎれて市内に侵入 警備隊(自警団のこと)を組織して掃討中… (宮城県・河北新報)
 9月4日未明、当時24歳だった姜大興(カンデフン)さんが、千葉県旧片柳村の染谷地区の畑で、槍や日本刀で武装した地元の自警団の男たちに追い掛けられ、頭や胸を刺されて死亡しました。染谷地区の住民が1923年に建てたお墓が常泉寺に残されていますが、最も早い時期に建てられた追悼碑の一つだそうです。また氏名や年齢が判明している犠牲者は数少ないとのこと。当時の染谷区長の孫で元大宮市議の高橋隆亮さん(71)は、自宅の古い机の引き出しの中に、県や片柳村、軍の関東戒厳司令部からの通知十一通を発見。自警団の結成を憲兵や警察に届け出るよう指示した通知もありました。なお犯人は事件直後、「恩賞にあずかりたい」と自ら警察署に出頭しているそうです。戒厳令下、朝鮮人は敵であり、敵を殺せば国家から恩賞を受けられるという民衆の意識がわかります。
by sabasaba13 | 2017-10-28 07:59 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)
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