関東大震災と虐殺 30

 そしてこの9月5日より、習志野の収容所への朝鮮人移送が始まりました。前述のように、まずは独立運動・労働運動・社会主義運動に深く関わっている、あるいは軍・警察が犯した"不都合な真実"を知り過ぎた要注意の朝鮮人を優先して移送します。そしてそれに該当するかどうかはっきりしない多数の朝鮮人を移送して捜査・尋問を行ない、「順良」な朝鮮人と、前記のような「不逞」(日本の国家権力にとって目障りな)朝鮮人を分ける。そして前者は「保護」し、後者は… 習志野で何が起きたのかは、後ほど見ていきたいと思います。

 9月5日午後3時頃、埼玉県大里郡妻沼町で、日本人と分かっていながら無辜の人を自警団が殺害するという事件が起こりました。『関東大震災』(吉村昭 文春文庫)から引用します。
 九月五日午後三時頃、一人の男が妻沼町に隣接した長井村にあらわれた。かれは、戸差友治郎という秋田県出身の労働者で、栃木県足尾銅山から東京へ向かう途中であった。かれは、銅山から歩きつづけてきたので疲労も激しく、夜を過す場所もないので農家の小林某方におもむき、泊らせて欲しいと頼みこんだ。小林は、夜ならば不思議はないが昼間から一夜の宿を乞う戸差に疑惑をいだいた。そして、戸差を観察すると、その言葉に妙な訛りがあってよく理解できない。小林は、即座にかれを朝鮮人だと思った。そして、理由をつけてかれの懇願をことわり、かれが家の戸口から去ると、近隣の者に朝鮮人があらわれたと告げて廻った。その報告を受けた村の自警団では、ただちに警鐘を打ち鳴らした。そのため、村の男たちが、日本刀、竹槍、鳶口、棍棒等を手に集り、戸差友治郎を追った。戸差は驚いて逃げ廻ったが、小林某方から約六百メートルはなれた県道で村民たちに包囲され、暴行を受けた。かれは、傷つきながらも朝鮮人ではないと必死に弁解した。そのため村人たちは、妻沼町の巡査部長派出所に連行した。騒ぎをききつけた群衆の数が増し、同派出所の廻りに集った。巡査部長は戸差を訊問したが、かれが秋田県人であることを知ったので、派出所の机の上に立つと、数百名の群衆に向かって戸差がまちがいなく秋田県人であると説明した。死の恐怖に襲われていた戸差友治郎は、巡査部長の言葉に喜んで、思わず両手をあげて、「バンザイ」と叫んだ。殺気立っていた群衆は、この戸差の態度に反感をいだいた。そして、「バンザイとは何事だ。生意気だ、殺してしまえ」と怒声をあげた。かれらは、戸差を派出所から引きずり出すと、凶器をたたきつけて殺害してしまった。そして、その遺体を空俵に包み利根川の畔に運ぶと川の中に投げこんだ。(「関東大震災の治安回顧」より) 日本人と承知していながら殺害してしまったのである。(⑧p.186~7)
 9月5日の夜には、群馬県藤岡で朝鮮人虐殺事件が起きています。藤岡警察署は近隣に住む朝鮮人17名を保護するという名目で留置場に拘留しました。このことを知った周辺の民衆約2000名が、夕刻「朝鮮人を出せ」「朝鮮人を殺せ」と叫びながら、警察署を襲い、無抵抗で助けを求める朝鮮人にたいして竹槍、棍棒、日本刀、猟銃などで16名を警察署内で惨殺しました。翌6日には、新たに拘留された一人が、集まった約1000名の暴徒によって殺されました。遺体は成道寺に埋葬され、後に慰霊碑が建立されました。

 また5日に、埼玉県寄居の群衆によって虐殺された朝鮮人犠牲者一名(一説に二名)の墓碑が、児玉警察署一同によって浄眼寺に建立されました。墓碑正面には「鮮覚悟道信士」と戒名が刻まれていますが、被葬者が朝鮮人であることは示されていません。(⑥p.209)

 地方の新聞による流言蜚語の流布はいまだ続いています。
 不逞鮮人狂暴を極め飲食物に毒薬や石油を注ぐ 彼らは缶詰に似た爆弾を所持しつつあり (北海タイムズ)

by sabasaba13 | 2017-11-03 07:34 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)
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