『永遠のジャンゴ』

『永遠のジャンゴ』_c0051620_20441571.jpg 坂本龍一を追いかけた映画『CODA』を「角川シネマ有楽町」で見たときに、『永遠のジャンゴ』という映画のチラシを見かけました。ジャンゴ? ギタリストの写真が載っているので、ジャズ・ギタリストのジャンゴ・ラインハルトのことですね。その高名はよく耳にしますが、彼のことについてはよく知りません。ジャズ創成期にフランスで活躍したジャズマン、ジャズ・ギター奏法を確立したヴィトルオーソ。CDも一枚しか持っていません。チラシを読んでわかったのですが、彼はロマ(ジプシー)なのですね。そして火傷のため三本の指が使えないにもかかわらず、人差し指と中指だけでフレットを押さえて素晴らしい演奏をしたことも初めて知りました。
 そのジャンゴと、フランスを占領したナチス・ドイツとの関わりを描いた映画だそうです。そう、ナチスはユダヤ人だけではなく、ロマや同性愛者への苛烈な弾圧を行なったのですね。歴史学徒、そしてジャズ・ファンとしては見逃せません。さっそく山ノ神を誘って、新宿の武蔵野館へ見に行きました。監督はエチエンヌ・コマール、舞台は1943年、ナチス・ドイツ占領下のフランスです。森の中で音楽に興じていたロマたちをナチスが無慈悲に殺害する冒頭のシーンが、この映画のテーマを暗示しています。場面は変わってパリのミュージックホール、白熱の演奏で聴衆を熱狂させるジャンゴ・ラインハルト。しかし愛人ルイーズから、ナチスがロマを迫害しているという情報をもらい、彼はスイスへ亡命する決意をします。老母と身重の妻を連れてレマン湖畔の町へたどり着きますが、警戒が厳しく亡命のチャンスはなかなかやってきません。付近にいたロマたちとのつかの間のふれあいに心和ませますが、警察から公道の往来とキャンプを禁じる通達が出されるなど、迫害は激しさを増していきます。ジャンゴは食いぶちを稼ぐために素性を隠して地元のバーで演奏を始めますが、取締りにあいドイツ軍司令部に連行されてしまいます。そして近々催されるナチス官僚が集う晩餐会での演奏を命じられました。逡巡するジャンゴですが、レジスタンスの闘士から、ぜひ演奏してほしいと依頼されます。ドイツ軍の目を逸らして、負傷したイギリス人兵士を密かにスイスへ逃がすためです。ある決意をもって晩餐会に臨むジャンゴ。その結末は? そしてジャンゴはスイスへ逃げられるのか?

 いやあ面白い映画でした。まずジャズを演奏するシーンの素晴らしさ。ジャンゴの演奏を忠実にコピーしたローゼンバーグ・トリオの音楽も見事でしたが、何といっても主演のレダ・カテブが二本の指だけでフレットを押さえるジャンゴの奏法を完璧に再現していました。スイングしなけりゃ意味ないね(It Don't Mean A Thing)、と言わんばかりのノリノリの演奏シーンには身も心も(Body and Soul)陶酔しました。
 そしてロマの日々の暮らしや、彼ら/彼女らに対する人種主義的な偏見や侮蔑、そして差別と迫害も丹念に描かれています。印象に残ったのは、フランス警察による取調べのシーンです。まるで動物を扱うようにジャンゴの頭蓋骨の寸法を測定した取調官は、彼の動かない指を見て「指の障害は近親相姦による」と言い切ります。そういえば、白人至上主義のレイシスト、アルテュール・ド・ゴビノーはフランス人でしたね。ドレフュス事件もフランスだったし、そういう土壌があるのかもしれません。
 一番心に残ったのは、何といってもナチス官僚が集う晩餐会でジャンゴが演奏するシーンです。主宰者から「ブルースは弾くな、シンコペーションは使うな」と上品で当たりさわりのない演奏を強要されたジャンゴですが、その直前に足首に鈴を結びつけます。マーラーの交響曲第4番の冒頭で鈴が鳴り響きますが、指揮者の金聖響氏が『マーラーの交響曲』(講談社現代新書)の中でこう言っておられました。
 …この鈴の音を、ポスト・モダンの哲学者でマーラー研究の音楽学者でもあるテオドール・アドルノは、「道化の鈴」と呼びました。「道化の鈴」とは道化師の帽子にいくつかぶら下がっている鈴のことで、これが冒頭に鳴らされるのは、「これから君たちが聴くものは、すべて本当のことではないのだよ」と、物語が始まるときの口上が述べられていることになります。(p.118~9)
 そうか、"道化の鈴"か。彼は「これから君たちが聴くものは、すべて本当のことではないのだよ」という思いを鈴に託したのかもしれません。単調で平板でお上品な気のない演奏をするジャンゴ、しかし演奏が進むにつれ「キング・オブ・スイング」の血が沸き立ち、スインギーなギターで聴衆を揺さぶっていきます。冷血そうなナチス将校の足が自然と揺れているのには思わず緩頬しました。
 そして興味深かったのは、フランスの官憲が、ナチス・ドイツに非常に協力的であったと描かれていることです。いくら占領下にあったとはいえ、あるいは傀儡政権(ヴィシー政権)のもとにあったとはいえ、心なしか自発的に協力したように見えます。これについては、『「戦後80年」はあるのか』(集英社新書)の中で、内田樹氏がこう述べられています。長文ですが引用します。
 歴史的事実をおさらいすると、1939年9月のドイツのポーランド侵攻に対して、英仏両国はドイツに宣戦布告します。フランスは翌1940年5月にはマジノ線を破られ、6月には独仏休戦協定が結ばれます。フランスの北半分はドイツの直轄統治領に、南半分がペタンを首班とするヴィシー政府の統治下に入ります。第三共和政の最後の国民議会が、ペタン元帥に憲法制定権を委任することを圧倒的多数で可決し、フランスは独裁制の国になりました。そして、フランス革命以来の「自由、平等、友愛」というスローガンが廃されて、「労働、家族、祖国」という新しいファシズム的スローガンを掲げた対独協力政府ができます。
 フランスは連合国に対して宣戦布告こそしていませんけれども、大量の労働者をドイツ国内に送ってドイツの生産活動を支援し、兵站を担い、国内ではユダヤ人迫害を行いました。フランス国内で捕えられたユダヤ人たちはフランス国内から鉄道でアウシュヴィッツやダッハウへ送られました。
 対独レジスタンスが始まるのは1942年くらいからです。地下活動という性質上、レジスタンスの内実について詳細は知られていませんが、初期の活動家は全土で数千人規模だったと言われています。1944年6月に連合国軍がノルマンディーに上陸して、戦局がドイツ軍劣勢となってから、堰を切ったように、多くのフランス人がドイツ軍追撃に参加して、レジスタンスは数十万規模にまで膨れあがった。この時、ヴィシー政府の周辺にいた旧王党派の準軍事団体などもレジスタンスに流れ込んでいます。昨日まで対独協力政権の中枢近くにいた人たちが、一夜明けるとレジスタンスになっているというようなこともあった。そして、このドイツ潰走の時に、対独協力者の大量粛清が行われています。ヴィシー政権に協力したという名目で、裁判なしで殺された犠牲者は数千人と言われていますが、これについても信頼できる史料はありません。調書もないし、裁判記録もない。どういう容疑で、何をした人なのか判然としないまま、「対独協力者だ」と名指しされて殺された。真実はわからない。(p.37~8)

 先日のテロで露呈したように、フランス社会には排外主義的な傾向が歴然と存在します。大戦後も、フランスは1950年代にアルジェリアとベトナムで旧植民地の民族解放運動に直面したとき、暴力的な弾圧を以て応じました。結果的には植民地の独立を容認せざるを得なかったのですが、独立運動への弾圧の激しさは、「自由、平等、友愛」という人権と民主主義の「祖国」のふるまいとは思えぬものでした。そんなことを指摘する人はいませんが、これは「ヴィシーの否認」が引き起こしたものではないかと僕は考えています。「対独協力政治を選んだフランス」、「ゲシュタポと協働したフランス」についての十分な総括をしなかったことの帰結ではないか。
 もしフランスで、終戦時点で自国の近過去の「逸脱」についての痛切な反省がなされていたら、50年代におけるフランスのアルジェリアとベトナムでの暴力的な対応はある程度抑止されたのではないかと僕は想像します。フランスはナチス・ドイツの暴力に積極的に加担した国なのだ、少なくともそれに加担しながら反省もせず、処罰も免れた多数の国民を今も抱え込んでいる国なのだということを公式に認めていたら、アルジェリアやベトナムでの事態はもう少し違うかたちのものになっていたのではないか。あれほど多くの人が殺されたり、傷ついたりしないで済んだのではないか。僕はそう考えてしまいます。
 自分の手は「汚れている」という自覚があれば、暴力的な政策を選択するときに、幾分かの「ためらい」があるでしょう。けれども、自分の手は「白い」、自分たちがこれまでふるってきた暴力はすべて「正義の暴力」であり、それについて反省や悔悟を全く感じる必要はない、ということが公式の歴史になった国の国民は、そのような「ためらい」が生まれない。フランスにおけるムスリム市民への迫害も、そのような「おのれの暴力性についての無自覚」のせいで抑制が効きにくくなっているのではないでしょうか。(p.48~9)
 しかしこの映画はフランスで製作されたもの、自らの恥部を直視しようとする意図があるように思えます。「ヴィシーの否認」から脱け出そうという動きの一環なのかもしれません。こうした歴史の闇を白日のもとに晒すのも、映画の重要な役割ですね。『明治維新150年を考える』(集英社新書)の中で、行定勲氏がこう語られています。
 映画は闇に光を当てて、そこに何が映っているか、それを観るものです。一番重要なのは闇であって、そこに手を突っ込んで切り開いていかないといけない。(p.144)
 日本も「従軍慰安婦の否認」「南京大虐殺の否認」から脱け出さなければなりませんね。

 余談その一。ジャズ・ピアニストのジョン・ルイスが、オマージュとして「ジャンゴ」という曲をつくりました。MJQ(モダン・ジャズ・クァルテット)の『ヨーロピアン・コンサート』で愛聴しています。
 余談その二。『マスター・キートン』(浦沢直樹・画 勝鹿北星・作 小学館)第5巻におさめられている「ハーメルンから来た男」「ハノーファーに来た男」「オルミュッツから来た男」が、ロマに対するナチスの迫害をテーマにしています。
by sabasaba13 | 2017-12-30 07:51 | 映画 | Comments(0)
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