坂本龍一を追いかけた映画『CODA』を「角川シネマ有楽町」で見たときに、『永遠のジャンゴ』という映画のチラシを見かけました。ジャンゴ? ギタリストの写真が載っているので、ジャズ・ギタリストのジャンゴ・ラインハルトのことですね。その高名はよく耳にしますが、彼のことについてはよく知りません。ジャズ創成期にフランスで活躍したジャズマン、ジャズ・ギター奏法を確立したヴィトルオーソ。CDも一枚しか持っていません。チラシを読んでわかったのですが、彼はロマ(ジプシー)なのですね。そして火傷のため三本の指が使えないにもかかわらず、人差し指と中指だけでフレットを押さえて素晴らしい演奏をしたことも初めて知りました。
そのジャンゴと、フランスを占領したナチス・ドイツとの関わりを描いた映画だそうです。そう、ナチスはユダヤ人だけではなく、ロマや同性愛者への苛烈な弾圧を行なったのですね。歴史学徒、そしてジャズ・ファンとしては見逃せません。さっそく山ノ神を誘って、新宿の武蔵野館へ見に行きました。監督はエチエンヌ・コマール、舞台は1943年、ナチス・ドイツ占領下のフランスです。森の中で音楽に興じていたロマたちをナチスが無慈悲に殺害する冒頭のシーンが、この映画のテーマを暗示しています。場面は変わってパリのミュージックホール、白熱の演奏で聴衆を熱狂させるジャンゴ・ラインハルト。しかし愛人ルイーズから、ナチスがロマを迫害しているという情報をもらい、彼はスイスへ亡命する決意をします。老母と身重の妻を連れてレマン湖畔の町へたどり着きますが、警戒が厳しく亡命のチャンスはなかなかやってきません。付近にいたロマたちとのつかの間のふれあいに心和ませますが、警察から公道の往来とキャンプを禁じる通達が出されるなど、迫害は激しさを増していきます。ジャンゴは食いぶちを稼ぐために素性を隠して地元のバーで演奏を始めますが、取締りにあいドイツ軍司令部に連行されてしまいます。そして近々催されるナチス官僚が集う晩餐会での演奏を命じられました。逡巡するジャンゴですが、レジスタンスの闘士から、ぜひ演奏してほしいと依頼されます。ドイツ軍の目を逸らして、負傷したイギリス人兵士を密かにスイスへ逃がすためです。ある決意をもって晩餐会に臨むジャンゴ。その結末は? そしてジャンゴはスイスへ逃げられるのか? いやあ面白い映画でした。まずジャズを演奏するシーンの素晴らしさ。ジャンゴの演奏を忠実にコピーしたローゼンバーグ・トリオの音楽も見事でしたが、何といっても主演のレダ・カテブが二本の指だけでフレットを押さえるジャンゴの奏法を完璧に再現していました。スイングしなけりゃ意味ないね(It Don't Mean A Thing)、と言わんばかりのノリノリの演奏シーンには身も心も(Body and Soul)陶酔しました。 そしてロマの日々の暮らしや、彼ら/彼女らに対する人種主義的な偏見や侮蔑、そして差別と迫害も丹念に描かれています。印象に残ったのは、フランス警察による取調べのシーンです。まるで動物を扱うようにジャンゴの頭蓋骨の寸法を測定した取調官は、彼の動かない指を見て「指の障害は近親相姦による」と言い切ります。そういえば、白人至上主義のレイシスト、アルテュール・ド・ゴビノーはフランス人でしたね。ドレフュス事件もフランスだったし、そういう土壌があるのかもしれません。 一番心に残ったのは、何といってもナチス官僚が集う晩餐会でジャンゴが演奏するシーンです。主宰者から「ブルースは弾くな、シンコペーションは使うな」と上品で当たりさわりのない演奏を強要されたジャンゴですが、その直前に足首に鈴を結びつけます。マーラーの交響曲第4番の冒頭で鈴が鳴り響きますが、指揮者の金聖響氏が『マーラーの交響曲』(講談社現代新書)の中でこう言っておられました。 …この鈴の音を、ポスト・モダンの哲学者でマーラー研究の音楽学者でもあるテオドール・アドルノは、「道化の鈴」と呼びました。「道化の鈴」とは道化師の帽子にいくつかぶら下がっている鈴のことで、これが冒頭に鳴らされるのは、「これから君たちが聴くものは、すべて本当のことではないのだよ」と、物語が始まるときの口上が述べられていることになります。(p.118~9)そうか、"道化の鈴"か。彼は「これから君たちが聴くものは、すべて本当のことではないのだよ」という思いを鈴に託したのかもしれません。単調で平板でお上品な気のない演奏をするジャンゴ、しかし演奏が進むにつれ「キング・オブ・スイング」の血が沸き立ち、スインギーなギターで聴衆を揺さぶっていきます。冷血そうなナチス将校の足が自然と揺れているのには思わず緩頬しました。 そして興味深かったのは、フランスの官憲が、ナチス・ドイツに非常に協力的であったと描かれていることです。いくら占領下にあったとはいえ、あるいは傀儡政権(ヴィシー政権)のもとにあったとはいえ、心なしか自発的に協力したように見えます。これについては、『「戦後80年」はあるのか』(集英社新書)の中で、内田樹氏がこう述べられています。長文ですが引用します。 歴史的事実をおさらいすると、1939年9月のドイツのポーランド侵攻に対して、英仏両国はドイツに宣戦布告します。フランスは翌1940年5月にはマジノ線を破られ、6月には独仏休戦協定が結ばれます。フランスの北半分はドイツの直轄統治領に、南半分がペタンを首班とするヴィシー政府の統治下に入ります。第三共和政の最後の国民議会が、ペタン元帥に憲法制定権を委任することを圧倒的多数で可決し、フランスは独裁制の国になりました。そして、フランス革命以来の「自由、平等、友愛」というスローガンが廃されて、「労働、家族、祖国」という新しいファシズム的スローガンを掲げた対独協力政府ができます。しかしこの映画はフランスで製作されたもの、自らの恥部を直視しようとする意図があるように思えます。「ヴィシーの否認」から脱け出そうという動きの一環なのかもしれません。こうした歴史の闇を白日のもとに晒すのも、映画の重要な役割ですね。『明治維新150年を考える』(集英社新書)の中で、行定勲氏がこう語られています。 映画は闇に光を当てて、そこに何が映っているか、それを観るものです。一番重要なのは闇であって、そこに手を突っ込んで切り開いていかないといけない。(p.144)日本も「従軍慰安婦の否認」「南京大虐殺の否認」から脱け出さなければなりませんね。 余談その一。ジャズ・ピアニストのジョン・ルイスが、オマージュとして「ジャンゴ」という曲をつくりました。MJQ(モダン・ジャズ・クァルテット)の『ヨーロピアン・コンサート』で愛聴しています。 余談その二。『マスター・キートン』(浦沢直樹・画 勝鹿北星・作 小学館)第5巻におさめられている「ハーメルンから来た男」「ハノーファーに来た男」「オルミュッツから来た男」が、ロマに対するナチスの迫害をテーマにしています。
by sabasaba13
| 2017-12-30 07:51
| 映画
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自己紹介
東京在住。旅行と本と音楽とテニスと古い学校と灯台と近代化遺産と棚田と鯖と猫と火の見櫓と巨木を愛す。俳号は邪想庵。
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