関東大震災と虐殺 63

 もうひとつ。格差社会による不安とストレス、そこから逃避するための集団への埋没と弱者への差別・迫害は日本だけの減少ではないということです。世界史から学ぶことも重要ですね。いくつか例を挙げましょう。
人生と運命』(ワシーリー・グロスマン みすず書房)
 反ユダヤ主義は、自らの不幸と苦悩の原因を究明する力のない国民大衆の意識の低さの表れである。無知な人々は、自らの大きな不幸の原因が国家機構や社会制度にではなくユダヤ人にあると見る。(第2巻p.262)

『人間の崩壊 ベトナム米兵の証言-』(マークレーン著 鈴木主税訳 鶴見良行解説 合同出版)
 [ジェームズ・D・ヘンリーの証言] だれについても口実はまったく存在しない。人種主義がその大部分を占めている。つまり、そのほとんどは、人種主義のせいだと思うんだ。純粋かつ単純な人種主義だ。ベトナム人は敵ではないからして、グックなのだ。彼らは白人ではなく、ただのグックなのだ。だれでも彼らよりは偉く、二等兵さえもそれより階級が上なのだ。彼らはちっぽけで、遅れていると考えられているが、それでも彼らは私にはできない多くのことをやってのける能力を持っている。とにかく、その理由のおおかたは人種主義なのだ。(p.178)

『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』(オリバー・ストーン&ピーター・カズニック ハヤカワノンフィクション文庫 早川書房)
 [アフガニスタンで戦った後に無許可離隊した20歳の兵士の証言] 誓ってもいいが、俺はやつらがぜんぜん人間とは思えなかった。俺のような若くて熱烈な「ディック」-dedicated infantry combat killer(ひたむきな歩兵実戦殺人者)の略だよ-を仕立て上げる最善の方法は単純で、それは人種差別的な洗脳の効果だ。ロスかブルックリン、でなければテネシーの田舎町からでも、頭の空っぽなやつを連れてくる。今どき、そういうやつはアメリカには掃いて捨てるほどいるから。俺は、例の落ちこぼれゼロ運動の産物の一人だったのさ。ともかく、そういう間抜けを連れてきて、縮み上がらせ、心をずたずたにし、いっしょに苦しんでいるやつらと仲間意識や同志愛を育てさせ、人種差別のナンセンスで頭をあふれ返らせる。アラブ人やイラク人やアフガニスタン人はみんなハジ(イスラム教徒)だ、ハジはおまえたちを憎んでいる、ハジはおまえたちの家族を傷つけたがっている、ハジのガキどもは暇さえあれば物乞いをしているから最悪だ…という具合に。やたらに有害で馬鹿げた、ただのプロパガンダだが、俺たちの世代の兵士を育てるのにどれほど効果的だったか知ったら驚くだろう。(第3巻p.418~9)
 そして今、トランプ政権の誕生やヨーロッパにおける極右勢力の伸長が物語っているように、格差社会による不安とストレス、そこから逃避するための集団への埋没と弱者への差別・迫害が、世界的な現象になっています。テロリズムと難民の増加も、国際的な格差の広がりと絶望的な貧困という視点から理解できると思います。『丘の上のバカ ぼくらの民主主義なんだぜ2』(高橋源一郎 朝日新書594)の中に次の一文がありました。
 パリ同時多発テロが起こった後、ツィッターに、次のことばを大きく刻みつけた人がいるのを見つけた。…
 「Don't pray, think」 (祈る前に、考えて)
 凄惨なテロの後、おびただしいことばが、まずネットの上に現れた。怒り、哀しみ、当惑、混乱、懐疑。死者たちを悼む声、「イスラム国」への憤りの声、自分たちの無力さを嘆く声、あるいは、こんな世界にしてしまった真の原因を探ろうという小さな声。(p.57)
 こんな世界に、こんな日本にしてしまった真の原因を考えようと呼びかける小さな声、その声にハーモニーの不協和音として唱和しましょう。pray, and think.

 それでは最後に、ふたたび映画『ハンナ・アーレント』から引用して、キーボードを叩くのを終えようと思います。長い期間でしたが、ご通読していただきありがとうございました。
 ソクラテスやプラトン以来、私たちは"思考"をこう考えます。自分自身との静かな対話だと。人間であることを拒否したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。過去に例がないほど大規模な悪事をね。私は実際、この問題を哲学的に考えました。"思考の風"がもたらすのは、知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬよう。

by sabasaba13 | 2018-01-15 07:45 | 関東大震災と虐殺 | Comments(4)
Commented by ちび at 2018-03-28 20:05 x
今回は、関東大震災の貴重な記事を読むことができました。

その中で、金子文子も知ることもできました。
ありがとうございました。

でも桜の記事も非常によかったのです。
それで、場違いなコメントをしてしまいました。


「理解と思考」
情報の獲得・解析と深い内省

やはり、これしかないのでしょうね。
Commented by sabasaba13 at 2019-02-06 21:32
 こんばんは、ちびさん。コメントが遅れてたいへん申し訳ありませんでした。ご海容ください。
 過分なお褒めの言葉をいただき恐縮です。過ちを犯したことのない国家などありません。問題はその過ちを認めて二度とくり返すまいと努力するのか、あるいはそれから目を逸らし、誤魔化し、忘れ、無知・無関心となるのかの違いでしょう。後者の国は過ちを繰り返します、間違いなく。そういう思いをもって書いた連作です。
 金子文子には『何が私をこうさせたか』という獄中手記があります。購入したものの未読なので、近々読んでみようと思います。
 桜の開花ももうすぐですね。今年は、白石、角館、吉野、原谷苑(京都)に行きたいなと、山ノ神と手ぐすねを引いています。
Commented by 穢土 at 2019-07-30 09:59 x
その過ちとやらは誰がどうやって定義するのだろうか、被害者は絶対正義であり彼ら側には何の落ち度もない無垢な天使のような存在だったのだろうか。
 加害者側は一切反論や証明を求めることをせず被害者側が望むままに何でも言うことを聞き財産を差し出すべきなのだろうか。
 集団同士の歴史において、加害者側も被害者側も当事者ではなくなってもその絶対的な力関係は維持されるべきなのだろうか。
 謝罪や賠償を求める側も同じ人間だからこそ、悪意をもって誇張し利用しようとする可能性を考えそれから今自分が持っている財産を守ろうとするのは当然ではないのだろうか。
Commented by sabasaba13 at 2019-08-13 21:33
 こんばんは、穢土さん。コメントをありがとうございました。私の考えはシンプルで、加害者は被害者に対して謝罪をして賠償をすべきであるということです。ただ、具体的にどのような謝罪や賠償をするのかについては、その加害行為をきちんと調べたうえで、被害者の意向を汲みながら話し合って決めるべきだと考えます。しかし残念ながらこの事件に関しては、「関東大震災と虐殺 40」https://sabasaba13.exblog.jp/28357575/を読んでいただければわかるように、日本政府による公的な調査、謝罪と補償はいまだなされていません。まずは議論の前提となる公的な調査を行うこと、それはほとんどの当事者が亡くなったいま、私たちの果たすべき責務ではないでしょうか。「そんな昔のことは分からない」「私たちには関係ない」「もう忘れよう」と開き直るのなら話は別ですが。
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