近江編(88):坂本~京都(15.3)

 それでは自転車を返却して京都へとまいりましょう。日吉大社のあたりからは、坂の向こうに琵琶湖を眺めることができました。半鐘がかかったシンプルな火の見櫓を撮影。
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 そして白壁の続く街並みを走っていると、あるお宅でバッタン床几を見かけました。観光案内所で自転車を返却して京阪電車の坂本駅から石山坂本線に乗って京阪膳所駅へ、JR琵琶湖線に乗り換えて京都駅に着きました。時刻は午後四時半、せっかくなので京都で見残した近代化遺産を見物することに決定。駅構内に「日本最大の塑像 大如意輪観音」という飛鳥・岡寺のポスターを発見。
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 そして近鉄京都線に乗り換えて伏見駅へ。駅近くにあった塀の下の方に、木製の小さな鳥居が貼りつけてありました。古典的な小便除けですが、はたして昨今効果はあるのでしょうか。その近くには「お宝・不用品現金化」という道具屋さんのポスターが貼ってありましたが、さすがは歴史のある町ですね。
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 歩くこと十五分ほどで、お目当ての竹田火の見櫓に着きました。長年の風雪を耐え忍び、背筋を伸ばして屹立するその姿には神々しささえ感じます。近くに解説があったので転記します。
 竹田火の見やぐらは、京都市の南部に位置し、北は近鉄京都線、東は竹田街道、西は東高瀬川に囲まれた地域の中心部に、大正12(1923)年8月に設立した竹田村消防組第二支部の装備品として建設され、以後、近隣町内の防火、防災活動に役割を果たしてきた。火の見やぐらは、江戸時代までは木造で作られていたが、近代に至り、製鉄技術の発展に伴って鉄骨造のものが建設されるようになった。しかし、都市環境の変化に伴い、現存するものは少ない。
 竹田火の見やぐらは、鉄骨造としては初期の形態を残しており、また構造部材も当時の国内の製鉄技術を知るうえで、貴重な文化財的建造物であることから、地域住民からの保存要望を受けて、中央緑地敷地内に移転、保存したものである。
 いつまでもお達者でとエールを送って火の見櫓にお別れし、伏見駅から近鉄で京都駅に戻り、JR嵯峨野線に乗り換えて二条駅へ。ここから十数分歩くと、日本聖公会京都聖三一教会に到着です。竣工は1930(昭和5)年、ハーフティンバー様式の瀟洒な教会です。設計はバーガミニー、聖路加国際病院の設計にも関わった建築家ですね。

 見るべき程の事は全て見つ、それでは帰郷しましょう。二条駅に向かう途中で、「御近所の皆様へ 瓦が落下するおそれがあります 危険につき御注意ください!!」という貼り紙のある崩壊寸前の家を見かけました。
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 二条駅近くには、「Times」と「MOS BURGER」の看板がありましたが、いずれも白を基調としたおとなしいものです。景観への配慮か、あるいは地域住民からの要望ゆえか。
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 そして京都駅に戻り、「京都牛膳」という駅弁を購入して新幹線に乗り込みました。駅弁に舌鼓を打ち、時おり車窓を流れる夜の闇を見ながら、次なる旅行、京都観桜の旅に思いを馳せました。このひと時が楽しいのですね。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2018-05-19 06:32 | 近畿 | Comments(0)
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