『ペンタゴン・ペーパーズ』 1

c0051620_2175392.jpg なぬ、スティーヴン・スピルバーグ監督があの"ペンタゴン・ペーパーズ"を映画化したそうな。しかも主演は、メリル・ストリープとトム・ハンクスの二大俳優。これは是が非でも見にいかなければ。
 そもそも"ペンタゴン・ペーパーズ"とは何か。ベトナム戦争とアメリカ政府の関係を描いた傑作ノンフィクション『ベスト&ブライテスト』(デイヴィッド・ハルバースタム 朝日文庫)から引用します。なおマクナマラとは、当時の国防長官ロバート・マクナマラのことです。
 マクナマラは、戦争の姿そのものにも?然たる思いを深めていた。アメリカの破壊力が非戦闘員に与えている苦痛に、彼は深い苦悩を感じていた。北爆のもたらす破壊状況に、彼はとりわけ注意を払っていた。
 1966年末、ニューヨーク・タイムズのハリソン・サリスベリーがハノイを訪れ、それに基づく記事を発表すると、政府は彼に激しい非難と攻撃を浴びせた。だが、マクナマラは彼の記事に深い関心を寄せ、入念にそれを読んだ。マクナマラとロバート・ケネディは、依然として親しい友人であり、1966年頃から、戦争に対する批判的な立場から情報を交換しはじめていた。マクナマラはケネディに、戦争が思うように進展していないことを伝え、ケネディはマクナマラに、戦争がアメリカ国内に与えている影響について説明した。
 この時期のマクナマラは、興味深い存在であった。あたかも彼は、二つの忠誠心、あるいは二つの耳によって引き裂かれた二重人格者であった。日中は、依然として北爆計画に参画し、仕事を終えて晩餐会に出かけては、「ハト派のために、われわれは、より多くのハト派を必要としているのです」と乾杯の挨拶をするのであった。彼は、戦争遂行機関を運営し、モントリオール演説を行い、そしてその演説をしたことを後悔するのであった。ケネディ・タイプの人間には一つのことを言うケネディ的マクナマラと、ジョンソン・タイプの人間には別のことを言うジョンソン的マクナマラの二人がいるかのごとくであった。
 1967年、戦争の前途に絶望し、挫折感を深くしたマクナマラは、1940年代にまでさかのぼるベトナム関係文書を徹底的に研究する大がかりな調査を命じた。これがやがて「ペンタゴン・ペーパーズ」として知られる報告書となるのである。その一部を読んだマクナマラは友人に語った。「ここに書いてあることを罪状に、絞首刑にされる人間が出てきても不思議ではないほどだ」 (下p.333~4)
 なおマクナマラは、ベトナム戦争に関する苦言を呈したことによって、リンドン・ジョンソン大統領によって左遷されることになります。『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』(オリバー・ストーン&ピーター・カズニック ハヤカワノンフィクション文庫)から引用します。
 マクナマラ国防長官をはじめとする政府首脳は、内心の疑問を声に出しはじめた。1967年6月、マクナマラはCIAに敵の兵力の規模をたずね、国防省のレスリー・ゲルブに1954年以降のこの戦争に関する機密報告書をまとめるよう命じた。これが後年ペンタゴン・ペーパーズとして知られるようになる報告書である。のちにこの報告書を読み始めたマクナマラは、「ここに書かれていることのせいで、縛り首になる者さえ出かねないぞ」と友人に話している。マクナマラはしだいに膨らむ疑念を大統領に伝え、さらに1967年8月の上院委員会で、爆撃しても北ベトナム政府が交渉のテーブルに着くことはないだろうと発言したためにジョンソンの怒りを買った。ジョンソンは不服従が我慢ならなかったのだ。ある側近について、彼はこんなことを言ったという。「私がほしいのはあたりまえの忠誠心ではない。本物の忠誠心だ。真っ昼間にメーシーズのショーウィンドーのなかで私のケツにキスして、バラのような匂いですと言える男でなければならない。自分を殺せる男だ」。11月、ジョンソンはマクナマラを世界銀行総裁に任命したと発表した。まもなく元国防長官になることになったマクナマラには、寝耳に水の知らせだった。(②p.325~6)
 それにしても品性下劣な大統領ですね。『沖縄は孤立していない』(乗松聡子編著 金曜日)の中で、ピーター・カズニックがこういうエピソードを紹介されています。
 1965年、ギリシャ市民が米国に支持された右翼独裁政権を転覆させ、進歩的な政権に交代させようとしていたとき、口の悪いことで知られるリンドン・ジョンソン大統領は駐米ギリシャ大使に対し激高して言った。「大使、よく聞け。議会とか憲法とかたわごとを言うな! アメリカは象だ。キプロスはノミだ。ギリシャもノミだ。2匹のノミが象をこれ以上チクチクし続けたら象の鼻でぶったたくぞ! …あんたの国の首相がこの私に民主主義だの議会だの憲法だのを偉そうに語り出したらな、やつの首も、議会も憲法も先は長くないと思え」 (p.42)
 閑話休題。そう、「ペンタゴン・ペーパーズ」とは、ベトナム戦争に関するアメリカ政府の国家犯罪を暴く最高機密文書のことです。公式サイトを参考にしながら、ストーリーを紹介しましょう。
 ランド研究所のアナリストでかつてこの機密文書の編纂にも関わっていたダニエル・エルズバーグは、ペンタゴン・ペーパーズをコピーしてその一部をニューヨーク・タイムズに提供し、真実を人びとに知らしめようとします。ライバル紙のニューヨーク・タイムズに先を越され、ワシントン・ポストのトップでアメリカ主要新聞社史上初の女性発行人キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)と編集主幹ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)は、残りの文書を独自に入手し、全貌を公表しようと奔走しました。しかし、リチャード・ニクソン大統領があらゆる手段で記事を差し止めようとします。政府を敵に回してまで、本当に記事にするのか…報道の自由、信念を懸けた"決断"の時は近づきます。

 好月好日、山ノ神を誘って「新宿バルト9」に行きました。最近、油絵をはじめた山ノ神、すぐ近くにあった驚愕モナ・リザで有名な画材屋「世界堂」を見つけました。上映開始まで時間があるので、入店して彼女のお買い物につきあいました。
 そして映画館へ、ほぼ満席で、本作への期待感で場内は熱気を帯びていました。さあはじまりはじまり。さすがはスピルバーグ監督、テンポの良いストーリー展開で、すぐに画面にひきつけられました。不都合な真実を隠蔽するために、手段を選ばずに報道を妨害するニクソン政権。そして新聞会社を守るために権力に屈しようとする経営者たち。その両者に敢然と立ち向かい、真実を報道しようとする記者・ベン・ブラッドリーをトム・ハンクスが熱演しています。「報道の自由を守るためには、報道することだ」という彼の言葉が耳朶を離れません。そして彼を孤立させないところが、アメリカという国の奥深さです。ジャーナリスト魂を共有する仲間や部下たち、そして営業上のライバルでありながらも、ワシントン・ポストを助けようとするメディアの連帯。「ワシントン・ポストを孤立させない」と言わんばかりに、ペンタゴン・ペーパーズを一面で報道する数多の新聞が袋からどさどさと出される場面では、涙腺がすこし決壊しました。強大な国家権力に屈せずに公正な判決を下した裁判所、その判決を知るために裁判所の前に詰めかけ、歓呼の声をあげる大群衆の姿も忘れられません。国家権力の暴走を止めるには、不屈のジャーナリスト魂、メディアの連帯、司法の独立、そして国民の支持が欠かせないというスピルバーグ監督のメッセージをしかと受け取りました。
 もうひとつ見逃せないのが、「女性の自立」という視点です。男尊女卑の雰囲気が色濃く残る当時のアメリカで、女性発行人キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)が、報道の自由を守るために政府や経営者と戦い、それを通じて成長していく姿にも感銘を受けました。裁判所から出てくる彼女を、応援するために集まった女性たちが歓呼の声で迎える場面も心に残ります。

 公式サイトによると、スピルバーグ監督は、トランプ大統領就任45日後に「今、撮るべき作品」として、予定していた作品よりも先に本作の撮影を敢行したそうです。ジャーナリズムを攻撃するトランプ大統領に対する強烈なカウンター・パンチであり、「報道の自由」を守らなければ市民の自由や権利はかつてのように踏みにじられてしまうという警鐘でもあります。その意気やよし。
 そして『スノーデン』といい、『デトロイト』といい、本作といい、祖国が犯した歴史の恥部と真摯に向き合い、同じ過ちを繰り返してはいけないというメッセージを込めた映画を作ることができるアメリカという国の奥深さには首を垂れます。そもそも過ちを犯したことのない国家なぞ存在しません。真っ当な国か、ろくでもない国かの違いは、過ちの有無ではなく、過ちを率直に認め、教訓として学び、それを繰り返さないよう努力するかどうかにかかっています。アメリカにはまだまだ、祖国を真っ当な国にしようと尽力する、反体制・反権力の分厚い文化が息づいているのですね。羨ましい。国家の過ちを指摘する人々に罵声を浴びせ、「ぼくの国は良い国、ぼくの国は良い国、ぼくの国は良い国」と自慰にふける方々が数多いるどこかの国とはえらい違いです。

 帰りに中村屋に入って、"恋と革命の味"中村屋純印度式カリーに舌鼓を打ちながら、なぜ日本では国家権力の犯罪を暴く映画、国家権力に抗う人達を描く映画が少ないのか、山ノ神と語り合いました。足尾鉱毒事件と田中正造、関東大震災時の朝鮮人虐殺と吉野作造・布施辰治、アイヌへの差別、南京大虐殺、従軍慰安婦、餓死に追い込まれた日本兵、七三一部隊、戦後では水俣病などの公害、三里塚闘争、沖縄への構造的差別とアメリカとの密約、福島原発事故など、題材には事欠かないのに。
 国家権力や極右からの有形無形の圧力・嫌がらせ・いじめがあるだろうことは想像に難くありません。しかしそれに屈しない胆力と気力のある映画監督は必ずいると信じます。杞憂かもしれませんが、こうしたことに無関心な方々が多く観客を動員できないことが予想されるので、資金が集まらないのかもしれません。
by sabasaba13 | 2018-06-05 06:28 | 映画 | Comments(0)
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