『ペンタゴン・ペーパーズ』 2

 映画『ペンタゴン・ペーパーズ』の余談を二つ。

 まず前掲書『ベスト&ブライテスト』(デイヴィッド・ハルバースタム 朝日文庫)の訳者である浅野輔氏が、なぜアメリカがベトナム戦争という愚行を犯したのかについて、鋭い分析をされているので引用します。
 ベトナム戦争がアメリカ社会にもたらしたものは、癒すことのできない亀裂であり、帝王的大統領制と評された行政府の権力肥大であり、市民的自由を報道の自由に対する抑圧であり、そしてウォーターゲート事件であった。なかんずくそれは、アジアの小国の民族独立運動に対し、北爆をはじめとする非人道的な大量殺戮をもって対応したという拭い去ることのできない汚点と呵責であった。なぜアメリカはこれほど不毛で犠牲のみ大きい政策に固執したのか。アメリカというのはどのような国なのか。だれが、どのようにこの国を指導していたのか。本書は、これらの問いに対する迫真の回答である。
 原題にあるThe Best and the Brightestとは、ケネディが集め、ジョンソンが受け継いだ「最良にして最も聡明な」人材だと絶賛された人びとを指す。マクジョージ・バンディ、ロバート・マクナマラ、ウォルト・ロストウ、ディーン・ラスクらケネディ政権に参集した人びとは、いずれもアメリカ社会の中・上流家庭に生まれ、優れた教育環境で育ち、あるいは神童と畏れられ、あるいはローズ奨学生としてイギリスに学び、アメリカの知的エリートを形成する人びとであった。ケネディ政権の発足がとくに青年層、知識層を含む多くのアメリカ人の心を躍らせたのは、ニューフロンティアをきり拓くためにアメリカの英知が結集されたと感じられたからであった。
 だが、これらの「賢者」は、ベトナムの歴史的条件をまったく理解せず、自らの偏見に支配され、おのれの能力を過信し、アメリカの軍事的・経済的物量だけに頼り、史上稀にみる大破壊を行った「愚者」なのであった。その愚かさをもたらしたのは彼らの傲慢さであったと、ハルバースタムは指摘する。
 彼らは、ベトナムとアメリカの社会を理解していると思い込み、意のままにこれらを操作できると考えた点で、傲慢だった。アメリカの介入が、外国支配からの解放を決意している民族に向けられた植民地戦争であることに気づかず、また、アメリカ国民に対してこの戦争を容易に売り込むことができると盲信したのだ。彼らの多くは東部のエリート大学出身であり、東部に根城をもつ知的エスタブリッシュメントのメンバーだったが、デイヴィッド・リースマンが評したように「大西洋しか知らない田舎者」なのであった。
 彼らは、権力と知性を理想的な形で結びつけることのできる「思索型行動派」であると自負していた点で、傲慢だった。「理想や夢も、それに溺れない程度にもつならば結構なことだ」と豪語するプラグマティストなのだった。なせばなる、たとえ不合理な事態でも、権力を握る有能で合理的な人間にとって、克服不可能なものはない、というのが彼らの信念だった。ベトナムも彼らにとっては、むしろ歓迎すべき挑戦だった。危機は、彼らが脚光を浴び権力欲を満喫する、血湧き肉躍る冒険なのであった。
 彼らは意のままに軍部を統制できると考えていた点で、傲慢だった。緩急自在に軍事的圧力を調節し、それを政治的目的に合致させるということは、いったん戦争に足を突っ込んだ以上、不可能だった。情報は軍部に握られ、兵力を増派しなければアメリカ軍兵士の生命が危ういという議論がまかり通る。文官が将軍を統制する最善の道は戦争を起こさないことである、ということを彼らは気づかなかった。
 彼らは、人間的苦悩や道徳的呵責の念を超越した驕れる主役であった。そのような問題に執着するのは女々しく優柔不断とされた。彼らにとって問題は、「シナリオ」であり、「オプション」であり、「コスト」であった。北爆計画も、それを勧告したマクジョージ・バンディによれば、「ベトナムにおける敗北という代価に比べれば安い」のであって、無差別爆撃の非人道性は一顧だにされなかった。彼らに欠けていたのは、苦渋に満ちた決断に際し、その道を誤らせないための確固たる道義的信念だった。(p.406~8)
 やれやれ、中東情勢を見ると「大西洋しか知らない田舎者」はまだご健在のようですね。その愚者の愚行に、自衛隊を提供しようというのですから、正気の沙汰とは思えません。

 もうひとつ。ペンタゴン・ペーパーズをコピーしてその一部をニューヨーク・タイムズに提供し、真実を人びとに知らしめようとした、ランド研究所のアナリスト、ダニエル・エルズバーグについて、『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』(オリバー・ストーン&ピーター・カズニック ハヤカワノンフィクション文庫)がふれています。以下、引用します。
 1971年9月、ニューヨーク・タイムズはペンタゴン・ペーパーズを巡る報道を開始する。これはベトナム戦争に関して国防総省がまとめた極秘報告書で、ベトナム問題について政府が長年にわたり国民を計画的に欺いてきた実態が明らかにされている。この機密文書を目にすることができるのはごく一握りの関係者に限られていたが、1969年の夏、ランド研究所のアナリストでかつて編纂にも関わっていたダニエル・エルズバーグはその機会に恵まれた。そして最初はフランス、のちにアメリカによる侵略の歴史を読み進めるうちに、道徳に外れたアメリカの政策に弁カの余地はないという確信を強め、1969年9月の時点でいくつかの重要な結論を自分なりに導き出した。それによると、実はこの戦争は「ほとんど最初からアメリカ人による戦争だった」。「アメリカの政策、アメリカによる資金援助、アメリカから送られた代理人や技術者、アメリカが攻撃に使う火器や兵力やパイロットに対し…ベトナム人は必死の抵抗を試みてきた」のである。1954年からアメリカが莫大な資金と兵器と人員をつぎ込んできたおかげで、政治的な暴力の規模が「戦争」にまで拡大したのだった。しかし、エルズバーグは何よりも次の点について確信を深めた。
 この戦争は1955年以降、あるいは1960年以降も、決して「内戦」ではなかった。アメリカの支援を受けたフランスが、ベトナムの植民地支配を再び目指したときと同じ状況だ。外国から武器や資金を全面的に提供されているほうの勢力は、支援国の思惑に左右されてしまう。これでは国内の勢力同士の戦いであっても、内戦とは呼べない。現在でもこの戦争についてアメリカでは、「本来は内戦であるはずの戦いに」「介入している」と考える学者がほとんどで、そのなかにはリベラルな批評家さえ含まれているが、こうした発言はもっと痛ましい現実を覆い隠している。「北からの攻撃」という従来の公式見解と同じで、これも作り話にすぎない。国連憲章ならびにわれわれ自身が公言している理想の観点からすれば、これは外国による侵略、しかもアメリカによる侵略戦争である。
 エルズバーグの回想によれば、かつての上司であるペンタゴンのジョン・マクノートンはランド研究員に対し、「きみたちの指摘が事実ならば、われわれは不興を買ってしまったな」と語ったという。しかしエルズバーグは、そのような発言は「1954以降の現実を見誤っている。われわれは間違っているのだ」との認識を強めた。それゆえ彼の心のなかでは、この戦争は「犯罪」であり「悪事」であり「大量殺人」だという気持ちが膨らんでいった。さらにエルズバーグは、戦争終結に関するニクソンの発言の嘘も見抜いていた。実際のところニクソンは爆撃を続け、「勝利」を達成するまでは攻撃の手をいっさい緩めないことを北側に意思表示していたのである。
 投獄も厭わず戦争に抗議する若い活動家たちの姿勢に胸を打たれ、流血の事態をなんとか終わらせたいという気持ちを抑えきれなくなったエルズバーグは、47巻から成るマクナマラの機密文書をすべてコピーにとった。彼はこの機密文書が議会で取り上げられ議事録に記録されるよう、数名の上院議員に協力を要請するが失敗する。そこで、ニューヨーク・タイムズのニール・シーハンのもとにコピーを持ち込んだ。1971年6月13日の日曜日、ペンタゴン・ペーパーズに関する報道の第一弾がニューヨーク・タイムズに掲載される。6月15日に司法省は、記事差し止めを要求してニューヨークの連邦地方裁判所に提訴した。これに対し裁判官は、ニューヨーク・タイムズへの仮処分を認めた。これは前代未聞の出来事だった。報道を中止させるために記事差し止め命令が下されることなど、アメリカではいまだかつてなかった。
 記事の掲載が中止に追い込まれると、次にエルズバーグは文書をワシントン・ポストに持ち込む。ポスト紙はニューヨーク・タイムズが報道できなかった部分を取り上げるが、最後は同紙の報道も妨害された。しかしそんな事態を予測していたエルズバーグは文書を17に分けて、それぞれ異なる新聞社に渡していた。そしてワシントン・ポストにも記事の差し止めの命令が下ると、最初はボストン・グローブ、次にセントルイス・ポスト=ディスパッチが抜粋を掲載した。結局、全部で19の新聞社が文書を報道したことになる。一方、FBIは行方をくらませたエルズバーグの捜査を13日間にわたって続け、デトロイトニュースはエルズバーグの父親へのインタビューを行なった。共和党員でニクソンに二回投票している父親は、息子の行動を誇らしげに弁護して次のように語った。「ダニエルはあの愚かな殺戮行為を終わらせるため、自分のすべてを犠牲にしたんだ…あいつが本当に文書を新聞社に持ち込み、それを政府が犯罪行為として非難するなら大いに結構…戦場に送られるはずの若者の命を救ったのだからね」。
 6月28日、エルズバーグは当局に出頭する。連邦ビルに向かうエルズバーグに対し、「これから収監されるのはどんな気分ですか」とひとりの記者が訊ねると、「戦争を終わらせるために一緒に来ないか」という答えが返ってきた。6月29日、アラスカ州選出の民主党上院議員のマイク・グラベルは、ペンタゴン・ペーパーズを上院議会で読み上げようとして失敗すると、自分が所属する小委員会を真夜中にこっそり開催し、文書を読み上げて公開議事録に記録させてしまった。さらに彼は、数多くの未公開機密文書を記者に配布する。翌日、最高裁はニューヨーク・タイムズに有利な判決を下し、同紙ならびにワシントン・ポストは報道の再開を許可された。しかしエルズバーグは重罪容疑で懲役115年を求刑された。(②p.415~9)
 うーむ、凄い方だ。ぜひ彼を主人公とした映画を見てみたいものです。それにしても、こうした勇気あるホイッスル・ブロワーが、財務省や防衛省には一人もいないのでしょうか。
by sabasaba13 | 2018-06-07 06:29 | 映画 | Comments(0)
<< 言葉の花綵177 『ペンタゴン・ペーパーズ』 1 >>