割れ鍋に綴じ蓋

 やれやれ。新潟県知事選挙で、野党5党が推薦した池田千賀子氏が敗れ、自民党、公明党が支持する花角英世氏が当選しました。これで安倍上等兵一派が勢いづくのでしょうか、やれやれ。偶然なのですが、最近安倍政権を痛烈に批判する文章を三つほど読みましたので、紹介します。
『もうすぐやってくる尊皇攘夷思想のために』(加藤典洋 幻戯書房)

 ここではキリがないので例は出さないが、明治以来の憲政史上、たぶん軍国主義下を含んで、現在の安倍内閣ほど、主権者国民、またその象徴たる天皇をバカにした傍若無人の内閣はないだろう、と思われる。とはいえ理解を絶するのは、そうした内閣を奉戴して、世論調査でその支持率がなお半数を超えている、というもう一つの事実、国民というものに関する憲政史上例の少ない事実である。
 個人の自由、平等、人権といった戦後的な価値だけではない。国家主権、国の独立、「愛国心」、さらに「廉恥心」といったかつての国家主義、復古主義、保守主義に通底する感覚までが、この政府にあってはうっちゃられている。しかも、そのことへの国民の反応は鈍い。メディアが悪いというよりは、メディアも野党も内閣も、こぞってこの世論調査の主、国民動向にしたがって動いている。その結果が、これなのである。
 約束が破られても怒らない。それは、自分で約束したのではないからだ。明日、四時に会う。あるいは借金を返す。そういう約束が断りもなく破られたら誰でも怒る。でも、そういう自ら「約束」をして決まり(ルール)を作るという経験を、私たち、日本人、日本の国民は、余りにしてこなさすぎた。(p.315~6)

『沖縄は孤立していない 世界から沖縄への声、声、声。』(乗松聡子編著 金曜日)所収
「圧政への健全な主張 これ以上基地は造るな」(オリバー・ストーン ピーター・カズニック)

 その原爆から70年がたった。私たちは2013年にともに参加し、カズニックは20年前から広島・長崎の式典に学生とともに参加してきている。70周年の広島の式典は心乱されるものであった。安倍晋三首相が来たことだ。被爆者が「もう、二度と戦争は起こさない」と言っているそばで、彼は日本の若者が遺体袋で戻ってくるようになる準備をしている人間だ。軍事費増大、武器製造輸出、中国敵視、歴史教科書修正といった一連の右翼的政策を推し進めている。
 この男は原爆70周年の広島に何をしに来たのか。最もこの場にいてはいけない人間だ。この男の存在自体、その吸う息、吐く息一つ一つが、平和と核廃絶を訴える被爆者への冒涜だ。式典では安倍首相の演説の際、安保法制に反対するプラカードを掲げている人がいた。退場の際は会場中に抗議の声が鳴り響いた。カズニックは過去20年間広島の式典に出てきたが、このような抗議行動を見るのは初めてだ。(p.178~9)

『増補 「戦後」の墓碑銘』(白井聡 角川文庫)

 米朝の対立が激化し、国連の演説でトランプ米大統領が「北朝鮮の完全な破壊」を口にしたとき、世界中から非難の声が上がったなか、世界で唯一「100%支持」の態度表明をした国家指導者が安倍晋三であった。その後も安倍は、河野太郎外相ともども「対話のための対話は必要ない」「北朝鮮と断交せよ」等々の迷言を世界各地でキャンキャン喚き続けた挙句、米中韓朝が一挙に対話交渉路線に踏み出すなか、完全に蚊帳の外に置かれた。こうした情勢に対して、政権は「我が国が呼び掛けた圧力が功を奏した」という噴飯物の自画自賛で応えているが、これは完全に「精神勝利法」(『阿Q正伝』)であり、いよいよ日本は「中華」に昇格しつつあるようだ。第三者的に見れば、こんな馬鹿げた国に外交的発言権などなくて当然であるし、持たせるべきでもない。
 かくて明らかになったのは、現在の日本外交には、「朝鮮戦争の平和的な解決のために日本外交は努力すべき」という発想は一切ないということだ。そしてそれは、永続敗戦レジームの構造に照らせば必然である。日米安保体制の存立根拠のひとつは朝鮮戦争が休戦状態にあって終わっていないことにある。したがってこれが終わってしまえば、在日米軍が日本から撤退ないし大幅な縮小を行なう可能性を論理的に否定できない。このレジームの支配/受益層(=安保マフィア)からすれば、まさにこのことを避けなければならないのである。(中略)
 そんな政権に、「消極的」だか何だか知らぬが、選挙結果から判断する限り、実際に支持を与えているのが、「平和国家日本」の国民の現実である。きわめて特殊な対米従属を続けてきた結果、この国の標準的な国民は、一種の精神的な複雑骨折状態にある。どこからどう治すべきかよくわからないほどのひどく複雑な骨折である。無能かつ不正で腐敗した政権を長期本格政権化させた究極的な原因は、やはりこの政権がこの国民にふさわしいという事実にある。(p.410~1)
 拙ブログで以前に『安倍改憲政権の正体』(斎藤貴男 岩波ブックレット871)の書評を書きましたが、三人の識者の意見を読んであらためてこの政権の愚劣さを痛感します。それなのに、ああそれなのに、なぜ権力の座にしがみついていられるのか。なぜ有権者はそれを許しているのか。なぜその愚劣さを知ろうとしないのか、その愚劣さに無関心なのか。所詮は、その国民の知的レベルを超えるリーダーは持ち得ないということなのでしょうか。彼が喜ぶだけなので、絶望はしませんが。

 また国会前へ行こう。
by sabasaba13 | 2018-06-13 06:29 | 鶏肋 | Comments(0)
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