『ラッカは静かに虐殺されている』

c0051620_14251043.jpg 先日、われわれ御用達の映画館「ポレポレ東中野」で『人生フルーツ』を見た時に、この映画のことをチラシで知りました。『DAYS JAPAN』やNHK-BSの「ワールド・ニュース」などで、シリア情勢の惨状は多少なりとも知っており、胃の腑がぎゅっと絞られる思いでおります。そのシリアの人びとを描いたドキュメント映画、これはぜひ見てみたい。山ノ神を誘って「ポレポレ東中野」に行きました。
 まずは公式サイトから、あらすじを引用します。
 戦後史上最悪の人道危機と言われるシリア内戦。2014年6月、その内戦において過激思想と武力で勢力を拡大する「イスラム国」(IS)がシリア北部の街ラッカを制圧した。かつて「ユーフラテス川の花嫁」と呼ばれるほど美しかった街はISの首都とされ一変する。爆撃で廃墟と化した街では残忍な公開処刑が繰り返され、市民は常に死の恐怖と隣り合わせの生活を強いられていた。
 海外メディアも報じることができない惨状を国際社会に伝えるため、市民ジャーナリスト集団“RBSS”(Raqqa is Being Slaughtered Silently/ラッカは静かに虐殺されている)が秘密裡に結成された。彼らはスマホを武器に「街の真実」を次々とSNSに投稿、そのショッキングな映像に世界が騒然となるも、RBSSの発信力に脅威を感じたISは直ぐにメンバーの暗殺計画に乗り出す―。
 監督は、メキシコ麻薬密売地帯に危険を顧みず潜入した『カルテル・ランド』でアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞候補になったドキュメンタリー作家のマシュー・ハイネマン氏です。

 最初から最後まで、痛みを感じるような緊張感に固唾を飲みました。破壊されて廃墟となった街ラッカ、猖獗を極めるISの暴力、絶望の淵に立つ市民たち。さながら地獄絵のような光景がスクリーンに映し出されますが、これが現実なのですね。
 その現実を世界に知らせるためにスマートフォンを使って情報や画像を発信する市民ジャーナリスト集団RBSSの活動と、殺害を含めたあらゆる手段を駆使してそれを妨害するIS。手に汗握るような両者の攻防に、目が釘付けとなりました。身の危険を感じたメンバーたちが国外へ脱出し、国内に残る仲間たちと協力しながら報道する場面、その仲間や肉親をISが処刑する場面、さらには逃亡先で難民排斥運動に直面する場面など、いずれも迫真のリアリティで迫ってきます。映画の力って凄いものだとあらためて痛感します。
 そして監督は、彼らを勇敢な英雄としてだけ描くのではなく、死の恐怖に怯える普通の人間としての一面もしっかり見据えています。やたらと煙草をふかし、虚ろな目で中空を見つめ、悲しげに家族の写真に見入る彼らの姿に、この恐怖を克服した勇気をより一層感じます。

 「彼らは人間の尊厳を守るために、命を賭けて真実を伝えた。それを受け取ったあなたはどう思い、何をするのか」と鋭く問いかけてくる映画、お薦めです。

 なお絶対に見逃してはいけないのは、ラッカをはじめとするシリアの人びとを殺傷し、その街を破壊したのはISだけではないということです。アサド政権、欧米諸国による加害も銘肝すべきです。そして民間人が虫けらのように殺戮され、自由も民主主義も抑圧されているのは、シリアにおいてだけではないということも。中東情勢に混沌と惨劇をもたらしているのは何者なのか、これからも知り、考えていきたいと思います。その一助となる本二冊に出会えたので紹介します。
『9・11後の現代史』 (酒井啓子 講談社現代新書2459)

 ヨーロッパ社会から疎外され、ドロップアウトしたイスラーム系移民二世が、「ひとかどの人物」になれる機会かもしれないと期待して合流したのが、ISだったのだろう。ISに限らない。後に触れるアルカーイダもまた、欧米在住のイスラーム教徒に対して、似たような勧誘を行っていた。そしてそうしたイスラーム系ヨーロッパ人の多くが、連日報道されるシリア内戦での被害者の無惨な姿を見、アサド政権やシリアを空爆する欧米諸国に一矢報いてやりたいと考えて、シリアに馳せ参じたのである。(p.40)

『「イスラム国」はテロの元凶ではない グローバル・ジハードという幻想』 (川上泰徳 集英社新書0862)

 私はテレビのチャンネルを変えながら、インターネットの情報を追っていた。イスラム過激派系のアラビア語のツイッターアカウントでは、「パリ攻撃万歳。今日は長い夜になる」などというツイートが次々と流れた。「#パリは燃えている」というハッシュタグもできた。それはパリのテロへの抗議ではなく、喜びの言葉が並んだものだった。その中に、「パリ市民よ、あなたたちは自分の子供たちが殺されたことに衝撃を受けている。同じことを、あなたの軍隊がシリアの地で行なっているのだ」というツイートがあった。(p.31)

 フランスが参加する有志連合の空爆は、「イスラム国」が樹立を宣言した2014年6月から3ヶ月後に「対テロ戦争」として始まった。空爆と、無人爆撃機ドローンによる暗殺作戦が中心の“靴に泥がつかない戦争”である。通常の戦争であれば、攻撃を仕掛ければ反撃されるが、「イスラム国」に対する空爆は、軍事的な反撃を受けることを想定しない一方的な戦争である。しかし、自らを安全地帯に置いて殺戮を続ける「対テロ戦争」の論理は、パリの街角に「イスラム戦士」が現れ、「戦場」が出現することで破綻する。
 「遠い戦争」が「近いテロ」を生み出し、市民が犠牲になる。それは、21世紀における戦争とテロの新たな関係性を示しているように思える。(p.50)

 (※シリア・アレッポ) アブドラは下敷きになった家族の父親と見られる男性にマイクを向ける。「全く無差別の攻撃だ。犠牲になったのは民間人だ。それも女や子供だ。幼い女の子はわずか3歳だ」と男性は声を張りあげ、手ぶりを交えて訴える。画面は、先ほど瓦礫から引き出された女児がベッドに寝かされ、心臓マッサージを受ける場面に変わるが、父親の悲痛な叫び声は続く。「3歳の子供がなぜ、殺されなければならないのか。何をしたというのだ。毎日、毎日、空爆が続く。なぜ、こんな不正が許されるのか。アラブ諸国は何をしている。国連は何をしている」。(p.196~7)

 いま、欧米でも日本でも、「イスラム国」が中東の混乱を引き起こしている最大の原因のように思われているが、私が本書で繰り返し書いたように、「イスラム国」は第一義的には混乱の原因ではなく、混乱の結果なのである。その混乱は、米国による誤ったイラク戦争と、誤ったイラク駐留によってもたらされ、さらに、自由も平等もないアラブ世界の強権体制に対する若者たちの反乱である「アラブの春」への暴力的な封殺が帰結したものである。(p.240~3)

 中東では、民間人が虫けらのように殺戮されているシリアの内戦が放置されているだけではない。たびたびイスラエル軍による大規模軍事作戦にさらされているパレスチナ、自由も民主主義もない強権体制の横行、スンニ派とシーア派の対立、若者たちを絶望に追いこむ貧富の差の広がりなど、いたるところに、危機につながるひずみがある。
 中東ではある日突然、マグマが噴き出すように最悪の危機が到来し、世界を驚愕させる。「イスラム国」への対応を間違えれば、それが次の危機を生むことになるのは自明である。(p.245~6)
 『気の向くままに 同時代批評1943-1947』(彩流社)の中で、ジョージ・オーウェルが言った言葉が耳朶に響きます。
 一市民を殺すことは悪であるが、千トンもの高性能爆弾を住宅地域に落とすことは善しとされる世界の現状を見ると、ひょっとするとわれわれのこの地球はどれか他の惑星の精神病院として利用されているのではないか、と考えたくなる。

by sabasaba13 | 2018-06-27 06:30 | 映画 | Comments(0)
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