言葉の花綵178

 二度あったことは、三度あってはならない。(岩手県普代村村長 和村幸得)

 河一つが境界をなす正義とは滑稽な! ピレネー山脈の此方の真理は彼方では誤謬。(パスカル)

 もしこれらの代議士たちが、何らかの目に余る悪名高い法令とか、重大な改革によって、法の柵を踏みにじり、勝手な権力を行使するように見えたときは、いつ何どきたりとも、人民という団体自体(The body of the people itself)が介入しなければならない。それ以外に、代議士たちに、いつも公共の利益に対して、相応の考慮を払う態度を維持させる方法というものを、私は見出すことができない。こういう人民の直接介入ということは、じつはもっとも不愉快な救済策である。けれども、それ以外の方法では、憲法の真の原則を保持することができないようなことが明瞭であるような場合には、それは許されて然るべきことである。(エドマンド・バーク)

 すべてについては何事かを知り、何事かについてはすべてを知る。(J・S・ミル)

 歴史とたわむれる事は不可能である。(トロツキー)

 人は知らないものを深く愛することができる、しかし愛さないものを深く知ることはできない。(サイモン・メイ)

 応ニ冤魂ト共ニ語ラントス (杜甫)

 深刻な病気にかかっている人を前にして、私が最初に思うのは「この人の国籍は何か?」ということではありませんよ。(ニコラ・スタージョン)

 Don't pray, think. (祈る前に、考えて) (unknown)

 君たちに憎しみという贈り物はあげない。君たちの望み通りに怒りで応じることは、君たちと同じ無知に屈することになる。(テロで妻を亡くした男)

 パリのために祈りたいなら祈りなさい
 でも 祈りを捧げられることのない
 もはや守るべき家すら持たない
 世界の人びとにも
 多くの祈りを
 馴染みの高層ビルやカフェだけでなく
 あらゆる面で 日常の何かが
 崩れ去ろうとしている
 この世界に祈りを (カルーナ・エザラ・バリーク)

 わたしはドイツで幸せに生活していますが、文化に対する違和感は消えません。違和感を幸せととらえる感覚の持ち主だから幸せなのかもしれませんが。(多和田葉子)
by sabasaba13 | 2018-06-29 06:22 | 言葉の花綵 | Comments(0)
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