仁淀川編(15):安居渓谷(15.8)

 さてそろそろあがりますか。川から出てタオルで身を拭き、上着と短パンを着ていると…来た。やはり来た。ヒッチコックの『鳥』のように、どこからともなく現れたブヨの一群が襲来してきました。つぎはぎだらけの団扇(ちゃんと持ってきました)で応戦しながら、ほうほうのていでバンガローに戻りました。やれやれ。
 午後は定例となりつつある昼寝としゃれこみましょう。ビールを飲みながら、観光案内所でもらった資料を読んでいると、「金子直吉」という文字が眼に飛び込んできました。かねこなおきち? うーん、受験用日本史で覚えた記憶があるなあ。鈴木商店、金融恐慌、台湾銀行といった語句が頭の中で明滅します。パンフレットから引用しましょう。
金子直吉、生誕
 大正時代の巨大商社・鈴木商店を背負った実業家
 金子直吉は幕末に名野川村(現仁淀川町)で生まれました。実家は没落した商家で、高知市で丁稚奉公などをしながら21歳まで過ごし、やがて神戸へ出て砂糖問屋の鈴木商店に勤めます。社長の鈴木よねに認められ、番頭に抜擢。個人商店でありながら、後の総合商社の母体となった鈴木商店を番頭として支え、育て上げた天才的な実業家です。
 大正時代には造船事業に乗り出し、三井・三菱を凌ぐ年商日本一の規模に発展させたことで、直吉は「財界のナポレオン」と称されました。
 ところが大正7年、鈴木商店は米を買い占め、米価をつり上げたという世論の暴走によって焼き討ちにあい、第一次大戦後の恐慌で事業は破綻します。しかし、後に日本経済を担う人々を私財を投じて育てた直吉を慕う企業人は少なくありません。神戸製鋼所や日商岩井(現双日)など、日本の大企業・大商社が、鈴木商店から派生しています。
 彼の生活は常に質素で、贅沢とは無縁でした。独学で本を読みあさった貧しい青年時代と、故郷土佐との絆は終生、直吉の中に生き続けたことでしょう。
 直吉が幼少のころ遊んだ野山に建つ山村自然楽校しもなの館には、直吉に関する書籍、年表等を展示した金子直吉資料室があります。
 へえー、稀代の風雲児、金子直吉はこのあたりの出身だったんだ。いろいろと勉強になるのも旅の楽しみのひとつです。
 そして煎餅布団に横になり、薫風を肌に感じながらしばしまどろみました。zzzzzzzzzz (なぜ眠っている状態をこう表現するのでしょう?)
 ん? 何やらバンガローの屋根を叩く激しい音がします。そして雷光と雷鳴。外を見ると、一天にわかに掻き曇り、おどろおどろしい黒雲が、連山に覆いかぶさっています。しばらく自然のスペクタクルを楽しみました。
 やがて雨は小降りとなり、雲も薄くなって、幽玄な水墨画のように山にまとわりついています。さて、もう一眠りしますか。かそけき雨音を夢うつつに聞きながらの午睡、至福のひと時です。そういえば寺田寅彦も、『備忘録』におさめられた「夏」という小品でこう書いていましたっけ。
 来そうな夕立がいつまでも来ない。十二時も過ぎて床にはいって眠る。夜中に沛然たる雨の音で目がさめる。およそこの人生に一文も金がかからず、無条件に理屈なしに楽しいものがあるとすれば、おそらくこの時の雨の音などがその一つでなければならない。
 黒目が溶解しそうなくらい寝て、気がつくと午後五時です。宝来荘へ行って風呂にはいり、夕食をいただきました。小振りで形の良い川石を箸置きにしているのが洒落ていますね。そしてバンガローに戻り、ラジオ講座を流しながら読書、就寝。晴歩雨寝、いい一日でした。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2018-07-07 08:10 | 四国 | Comments(0)
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