『タクシー運転手』

『タクシー運転手』_c0051620_22125135.jpg 『しんぶん赤旗』(18.5.18)の「潮流」に、次の一文がありました。
 「また五月です。君よ。わたしに五月を歌えといいますか/動かぬ唇で五月をたたえよといいますか。まぶしい、美しい燦々たる五月を/どう歌えというのですか。」 新緑もえる季節。街に響いたのは学生や市民に放たれた銃声でした。きょう5月18日は韓国の人びとにとって希望をともしつづける誓いの日。38年前、全斗煥軍事政権下で民主化を求める運動と軍による武力弾圧が起きた光州事件です。先の作は、みずからも蜂起にかかわり、権力に対峙してきた詩人・文炳蘭(ムンピョンラン)さんの「五月よ、また復活せよ」。200人をこえる犠牲者と数千の負傷者を出した事件は、いまも深い傷痕を残しています。昨年、韓国で最もヒットした映画「タクシー運転手」も光州事件を描いたもの。実際に現地で取材し、世界に発信したドイツ人記者と彼を送り届けたタクシー運転手の物語です。いま日本でも上映され、韓国映画としては近年にないほど観客を集めています。5・18は、その後の民主化運動に連なりました。当時、拘束された文在寅大統領は「光州の犠牲があったからこそ、私たちの民主主義は耐え、再び立ち上がることができた」。そして「5月光州は、全国をともしたろうそく革命として復活した」と。詩にはつづきがあります。「ああ、わが君よ、冷たくなった灰色のこころの中に来て/燦々と燃え上がるつややかな五月の花になれ/闘う人の掌に来い、わが君よ/永遠に消えぬ自由の炎になれ/輝く正義の松明になれ」
 へえー、あの光州事件を題材とした映画が、韓国でつくられていたんだ。民主化を求める韓国の人びとの闘いには常々敬意を感じております。例えば『アメリカ帝国の悲劇』(集英社)の中で、チャルマーズ・ジョンソン氏は次のように述べられています。
 韓国が東アジアに三つしかない、下からの民主主義を達成した国の一つであることは、忘れてはならない重要な事実である(ほかの二カ国はフィリピンと台湾だ)。韓国とフィリピンでは、大衆運動がアメリカに押しつけられ支援された独裁者に戦いを挑んだ-ソウルの全斗煥とマニラのフェルディナンド・マルコスに対して。(p.116)
 また『一人の声が世界を変えた!』(伊藤千尋 新日本出版社)によると、「ハンギョレ新聞」の創刊時の編集局長だった成裕普[ソンユポ]氏は、このように語られたそうです。
 当たり前ですよ。われわれ韓国人は、あのひどい軍政時代に市民が血を流して闘い、自らの力で民主主義を獲得しました。だからわれわれは自信を持っています。日本の歴史で、市民が自分の力で政権を覆したことが一度でもありますか。(p.149)
 うーむ、二の句が継げませんね。はい、ありません。

 その韓国民主化の炬火とも言うべき光州事件の映画化、これは必見です。さっそく山ノ神を誘って、シネマート新宿に行きました。ところが、驚き桃の木山椒の木錻力に狸に蓄音機、立ち見がでるほどの大盛況です。インターネットで予約をしておいてよかった。でもこうしたシリアスな内容の、しかも韓国映画に観客が押し寄せるというのは嬉しいものです。
 まずは公式サイトから、映画の紹介とあらすじを引用しましょう。
 1980年5月に韓国でおこり、多数の死傷者を出した光州事件を世界に伝えたドイツ人記者と、彼を事件の現場まで送り届けたタクシー運転手の実話をベースに描き、韓国で1200万人を動員する大ヒットを記録したヒューマンドラマ。「義兄弟」「高地戦」のチャン・フン監督がメガホンをとり、主人公となるタクシー運転手マンソプ役を名優ソン・ガンホ、ドイツ人記者ピーター役を「戦場のピアニスト」のトーマス・クレッチマンが演じた。
 1980年5月、民主化を求める大規模な学生・民衆デモが起こり、光州では市民を暴徒とみなした軍が厳戒態勢を敷いていた。「通行禁止時間までに光州に行ったら大金を支払う」というドイツ人記者ピーターを乗せ、光州を目指すことになったソウルでタクシー運転手をしているマンソプは、約束のタクシー代を受け取りたい一心で機転を利かせて検問を切り抜け、時間ギリギリにピーターを光州まで送り届けることに成功する。留守番をさせている11歳の娘が気になるため、危険な光州から早く立ち去りたいマンソプだったが、ピーターはデモに参加している大学生のジェシクや、現実のタクシー運転手ファンらの助けを借り、取材を続けていく。
 冒頭から、タクシー運転手マンソプを演じるソン・ガンホのコミカルな、そしてペーソスあふれる演技が光ります。妻を病気で亡くし、男手一つで一人娘を育てる彼の苦労と愛情もひしひしと伝わってきました。大金目当てにドイツ人記者を光州に送り届けるという仕事を深く考えずに引き受けた彼ですが、苦心惨憺して光州市内に入ってから映画の雰囲気は一変。人気のない通り、シャッターの閉まった商店、さまざまなビラやポスター、ただならぬ様子に固唾を飲みました。そして圧巻はデモのシーンです。非暴力なデモで民主化を求める光州の市民に対して、催涙弾や実弾を放ちながら暴力を加える軍隊。病院は運び込まれた怪我人や死体で足の踏み場もありません。韓国の人びとが行なった民主化のための闘いを、息が詰まるような緊迫感と共に追体験できました。そして身の危険を顧みず写真を取り続けるドイツ人記者ピーターの姿に、ジャーナリスト魂を見た思いです。事実を報道することによって権力の暴走を食い止め、民衆を守る、その当たり前だけれども重要な仕事を淡々と遂行する寡黙なドイツ人記者を、トーマス・クレッチマンが見事に演じ切っていました。彼に協力する大学生のジェシク(リュ・ジュンヨル)もいいバイプレーヤーでした。大学歌謡祭に出ることを夢見る、歌が大好きな平凡でひ弱そうな彼が、その日常を守るために立ち上がるという設定が素晴らしい。
 大金を得たマンソプは一目散に光州から脱出しますが、途中で、ピーターを救うために戻るべきではないかと逡巡し葛藤する場面も見せ場です。ソウルにいる一人娘に電話をしたことで、ふっきれたのではないかと想像します。娘を守るため、子どもたちを守るため、未来の世代を守るために、ピーターを助けて事実を世に知らしめないといけない。タクシーの向きを変えて光州へと一気呵成に走るマンソプ。ここからはもう両の眼はスクリーンに釘付けです。デモ隊に襲いかかる軍隊、怪我人を助けようと体を張る光州市民、それを至近から撮り続けるピーター、彼の存在に気づき抹殺しようと迫る軍隊、彼を守ろうとするマンソプとジェシク。さあピーターとマンソプは無事に膠州から脱出し、国家権力の犯罪を報道することができるのか…

 いやあほんとに素晴らしい映画でした。チャン・フン監督は「普通の人々の小さな決断と勇気が積み重なり何かが成し遂げられるといった、近くで見ていなければ知り得ない事柄を描きたかった。マンソプのタクシーに乗りながら、観客の皆さんにも、自分たちの話として考えてもらえる機会になれば嬉しい」と語られていますが、はい、面白いだけでなくいろいろと考えさせられました。自分がこういう状況に置かれたらどうするのか、闘うのか逃げるのか見て見ぬふりをするのか、体を張って仲間を助けられるのか、ジャーナリストを守り切ることができるのか。さらには、なぜ韓国では民主化を暴力的に抑圧する軍事政権があり、同時期の日本では民主主義らしきものが存在し得たのか。そして韓国の人びとはいかにして民主化を勝ち取ったのか。

 私にとっての今年度ナンバーワン映画は決まりかな。何年かに一度見返したい映画です。

 なお映画では触れられていませんが、この悲劇のバックにはアメリカ合州国と日本の存在があったことを銘肝しましょう。
パンフレット所収
『「光州事件」をめぐる韓国現代史』(秋月望 明治学院大学国際学部教授)
 さらに、この事件は韓国の対米感情の大きな転換点となった。事件当時、韓国軍は米韓連合司令部の下にあって作戦統制権は在韓米軍にあった。従って、在韓米軍、つまりはアメリカの了解なしに韓国軍が独断で部隊を移動させて光州の市民・学生に対する鎮圧作戦を遂行することはできなかった。当時、カーター大統領が韓国における民主化運動に理解を示してくれるとの期待も多少はあった。しかし、結局アメリカは全斗煥政権による軍事独裁の継続を容認し、民主化闘争を圧殺する側に回った。反米感情はここで一気に高まった。その結果、光州事件に対する全斗煥政権の責任追及の運動が、1982年の釜山のアメリカ文化院放火事件、1985年のソウルのアメリカ文化院占拠事件へとつながっていくことになる。

『韓国現代史』 (文京洙[ムン ギョンス] 岩波新書984)
 81年、レーガン政権が登場し、新軍部政権は、「新冷戦」という時代の気流に乗ることになった。駐韓米軍の撤退問題は白紙に戻され、もはや、人権問題で両国の関係が緊張することはなくなった。さらに82年末に登場した中曽根政権は、韓米日の新次元での安保協力関係の構築に意欲を燃やし、40億ドルの借款供与によって全斗煥政権を支えた。83年には「大韓航空機事件」や「ラングーン事件」があり、東アジアの緊張はピークに達した。(p.154)

by sabasaba13 | 2018-07-25 06:20 | 映画 | Comments(0)
<< 琉球の風 仁淀川編(20):安居渓谷(1... >>