仁淀川編(25):佐川(15.8)

 まずは観光パンフレットで知った古畑の棚田へ行きましょう。駅前で客待ちをしていたタクシーに乗って十数分で古畑地区に到着、このあたりは通称"石垣の里"とも呼ばれ、昨日訪れた長者の棚田のスケールには及びませんが、丹精こめて積み上げられた石垣の棚田があります。
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 写真撮影をして、牧野公園で下ろしてもらいました。ここはかつての佐川城、長宗我部元親が土佐を統一した天正の初め、その重臣である久武内蔵助が築城したものですが、1616(元和2)年、徳川幕府の一国一城令で廃城となりました。その城跡に1902(明治35)年、植物学者の牧野富太郎が東京染井で見つけた桜ソメイヨシノの苗を送り、それを地元の有志が植えたことから桜の名所となりました。現在は「牧野公園」と称することとなり、中腹には富太郎と田中光顕の墓があるそうです。まずは二人のお墓を掃苔しましょう。木々や草花にあふれた園内をのんびりと歩いていくと、自然の中に二人のお墓がひっそりと佇んでいました。
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 佐川観光協会のサイトから、二人のプロフィールを引用します。
牧野富太郎
 後に、「日本植物学の父」と称された植物学者・牧野富太郎博士が産声をあげたのは、文久2(1862)年4月24日、かの坂本龍馬が土佐を脱藩して一ケ月後のことでした。
 土佐国高岡郡佐川村(現在の佐川町)に、父・佐平、母・久寿のもと誕生。生家は酒造業と雑貨商を営む裕福な商家でしたが、幼くして両親を亡くし、祖母の手で育てられました。
 豊かな自然環境の中で育った富太郎少年は、幼い頃から植物に興味を持ち、小学校を2年で退学するも、植物採集をしたり、書物で植物の名前を覚えたりと、独学で植物学の研究を続けました。
 23歳で上京。東京大学理学部植物学教室への出入りを特別に許され、以後、東京と高知をたびたび行き来しながら植物分類学の研究に打ち込みます。
 26歳のとき、友人と『植物学雑誌』を創刊。その2年後、同誌上に共著で記載したヤマトグサは日本国内での最初の新種発表でした。
 96年の生涯において収集した標本は約40万枚。新種や新品種など約1500種類以上の植物を命名し、日本植物分類学の基礎を築いた一人として知られています。
 成功を収めてからも、牧野博士はたびたび帰郷し、故郷への思いを生涯持ち続けました。あまり知られてはいませんが、故郷への功績として明治21(1888)年には、郷里の子どもたちの文化向上や科学教育の普及をはかるため、「佐川理学会」を創設。自らも指導にあたるほど、熱心に取り組みました。
 明治35(1902)年、佐川に送ったソメイヨシノの苗木は、桜の名所となり、多くの人の目を楽しませています。春の訪れをつげる愛らしい花、バイカオウレンは、晩年東京で暮らした牧野博士にとって、故郷を思わせる懐かしい花でした。いまも生家の裏山にたくさん自生しています。

田中光顕
真心の赤土坂に まちあわせ いきてかへらぬ 誓なしてき
 元宮内大臣で、動乱の幕末期を駆け抜け、生き抜いた最後の生き証人としても知られる田中光顕(たなかみつあき)は、天保14(1843)年、土佐国高岡郡佐川村(現在の佐川町)に、深尾家の家臣、浜田金治の息子として生まれました。
 郷校・名教館で学び、叔父・那須信吾の影響を受け、文久元年(1861)、武市半平太を盟主とする土佐勤王党に入党。3年後の元治元年(1864)には、同志らと土佐を脱藩。その時の決意を詠んだのが冒頭の句です。以後田中は長州へ脱藩し、志士としての活動に奔走します。
 坂本龍馬や中岡慎太郎らとともに薩長同盟の実現に尽力。龍馬と慎太郎が暗殺された際、現場に駆け付けた一人としても知られています。明治新政府では、陸軍少将、初代内閣書記官長、警視総監などの要職を歴任。明治31(1898)年からは、12年間という長い間宮内大臣をつとめました。
 政界引退後は、維新で亡くなった志士たちの顕彰に殊に尽力します。志士たちの顕彰を目的として、武市半平太の雅号を冠した「瑞山会」を結成し、記念碑建立や伝記の編集を進めるなど、志半ばでこの世を去ったかつての同志らの地位や名誉を回復するための活動を熱心に行いました。この活動の中で残された遺族の名誉を回復し、さらに生活面でも救済しており、当時困窮していた武市の妻・富とその家族は田中光顕の活動により救われたと言います。さらに、田中が集めた資料の多くは、青山文庫(現佐川町立青山文庫)に寄贈され、いまも当時の貴重な記録として展示されています。無念の同志たちの功績を復活させた郷土の偉人は、昭和14(1939)年、97年の生涯を終えました。従一位勲一等伯爵。号は青山。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2018-08-09 08:12 | 四国 | Comments(0)
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