仁淀川編(32):森(15.8)

 午前六時ごろに目覚めて物干し台に出て、朝日と長者川にご挨拶。今日も天気は良さそうです。朝食をいただき、食堂に置いてあった『高知新聞』(2015.8.14)を読んでいると、「奇妙な敗戦国 日本」という記事がありました。
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 以下、引用します。
「永続敗戦論」著者 白井聡さんに聞く
 明日の15日で70年になる「戦後」とは、どういう時代だったのだろう。
 一昨年、「永続敗戦論」(太田出版)を出版し、大きな議論を巻き起こした政治学者の白井聡さん(37)=京都精華大学講師=は、こう訴えた。「敗戦という事実をごまかし、戦後も対米従属がずっと続いている」-。
 焦土から再出発し、急速な経済発展を遂げてきた日本。一方で、2011年の東日本大震災と福島第1原発事故をめぐる混沌とした状況は「この国の『統治構造』を露呈させた」という。
 白井さんの主張する本当の統治構造とは、対米従属の特殊性にある。それはどんなかたちで、どこに存在し、どうして続いてきたのか。白井さんは「これほど奇妙な敗戦国は世界史上、類を見ない」と言う。その核心である「永続敗戦レジーム(統治の枠組み)」について、じっくり語ってもらった。
 内容については、拙ブログに掲載した書評を見ていただきたいのですが、現在の日本に対する歯に衣着せぬ舌鋒鋭い批判には、共感を覚えます。例えば…
 …現在問題となっているのは、われわれが「恥知らず」であることによる精神的堕落・腐敗のみならず、それがもたらしつつあるより現実的な帰結、すなわち、われわれが対内的にも対外的にも無能で「恥ずかしい」政府しか持つことができず、そのことがわれわれの物質的な日常生活をも直接的に破壊するに至る(福島原発事故について言えば、すでに破壊している)ことになるという事実にほかならない。(p.50)
 なお白井氏の最近作『国体論 菊と星条旗』(集英社新書0928)と、矢部宏治氏の『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書2439)と『もうすぐやってくる尊皇攘夷思想のために』(加藤典洋 幻戯書房)を読むと、この国と国民が骨の髄まで腐敗し劣化していることが、嫌になるほどよくわかります。たとえば前掲書の中で加藤氏はこう述べられています。
 ここではキリがないので例は出さないが、明治以来の憲政史上、たぶん軍国主義下を含んで、現在の安倍内閣ほど、主権者国民、またその象徴たる天皇をバカにした傍若無人の内閣はないだろう、と思われる。とはいえ理解を絶するのは、そうした内閣を奉戴して、世論調査でその支持率がなお半数を超えている、というもう一つの事実、国民というものに関する憲政史上例の少ない事実である。
 個人の自由、平等、人権といった戦後的な価値だけではない。国家主権、国の独立、「愛国心」、さらに「廉恥心」といったかつての国家主義、復古主義、保守主義に通底する感覚までが、この政府にあってはうっちゃられている。しかも、そのことへの国民の反応は鈍い。メディアが悪いというよりは、メディアも野党も内閣も、こぞってこの世論調査の主、国民動向にしたがって動いている。その結果が、これなのである。(p.315)
 そうそう、余談ですが、最近読んだ『日米同盟の正体 迷走する安全保障』(孫崎享 講談社現代新書)の中に、高知新聞に関する話が出てきました。以下、引用します。
 (高知新聞は警察の)捜査費問題を2003年7月に報道します。…警察の裏金問題というのは、大変なエネルギーが必要だったようです。…(担当の記者は)書くか、書かないかで究極の選択を迫られていた。警察幹部から「書いたらおまえは敵になる」「尾行する」「携帯電話の履歴を調べる」と言われ、「書かなかったら一生おまえにネタをやる」と言われます。そこで彼は悩む。…書いたら…他社がガサ入れに行っているのに、高知新聞だけが知らないということもあるかもしれない。反対に、書かなかったら…。おそらく本当にネタを一生くれるだろう。彼が迫られたのは、新聞社員として生きるのか、新聞記者なのか、ということだったと思います。(中略)
 社員として出世しようと思ったら、会社の嫌がる原稿は、会社の思いを忖度して取り下げるという選択があったかもしれません。捜査費のときにも、社員として出世しようと思えば警察と取り引きする手もあった。(中略) 抜かれないため、組織の中で何とか生き残っていくための仕事をやって、それだけで手いっぱい。(中略) しかし自己保身のために忠実な会社員の道を選んだら、つまり新聞記者を捨ててしまったら、新聞記者になった意味はありません。(依光隆明高知新聞社編集局次長「新聞記者なのか、新聞社員なのか」 『朝日総研リポート、2008年5月』)  (p.106)
 もちろんこれは高知新聞だけの話ではないでしょう。この国と国民がここまで劣化した責任の一端は、ジャーナリズムにあると思います。新聞社員ではなく新聞記者として、社会の木鐸、炭坑のカナリアとしての重責を果たしてほしいと強く望みます。
by sabasaba13 | 2018-09-08 06:21 | 四国 | Comments(0)
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