『1987、ある闘いの真実』

c0051620_21241115.jpg とてつもない映画を見てしまいました。絶句。『1987、ある闘いの真実』という映画です。

 アメリカと日本に支えられた苛烈な軍事独裁政権に対して、体を張って民主化を求め、粘り強い闘いの結果それを勝ち取った韓国の市民には常々敬意を表し、羨望を覚えています。そして歴史の恥部とも言うべき政権の腐敗・不法・人権蹂躙をフィルムに焼き付けた、韓国映画界の勇気と剛毅に対しても。光州事件を描いた『タクシー運転手』も、そうした素晴らしい映画でした。
 本作は、チャン・ジュナン監督が、全斗煥軍事政権下における韓国民主化闘争を描いた社会派ドラマです。さっそく山ノ神を誘って「シネマート新宿」に見に行きました。
 念のため、インターネットで席をおさえておいたのですが大正解。ほとんど満席でした。こんなシリアスな映画に観客が押し寄せるなんて嬉しいなあ、でも若者が少ないのが残念だなあ。

 まずはあらすじを紹介します。
 1987年1月、全斗煥大統領による軍事政権下の韓国。徹底的に北分子を排除したい南営洞警察のパク所長(キム・ユンソク)が指揮する取り調べは、日に日に激化していた。そんな中、ソウル大学の学生が行き過ぎた取り調べ中に死亡する。隠蔽のために警察は親にも遺体を見せず火葬を申請するが、何かおかしいと感じたチェ検事(ハ・ジョンウ)は検死解剖を命じる。解剖により学生は拷問致死であったことが判明するが、政府は取り調べをした刑事二人を逮捕することで事件を終わらせようと画策する。これに気付いた新聞記者、刑務所看守らは、事実を白日のもとにさらそうと奔走するが、警察による妨害もエスカレートしていく。また、拷問で仲間を失った大学生たち(カン・ドンウォン)も立ち上がろうとしていた。
 まるでフィクションのようですが、歴史的事実なのですね。補足のために『韓国現代史』(文京洙[ムン・ギョンス] 岩波新書984)から引用します。
 韓国で主思派(チュサパ)が台頭する1980年代半ばは、大統領直接選挙制改憲をもとめる民主勢力と、改憲棚上げによって現状維持をはかろうとする新軍部政権との緊迫した攻防に揺れ動いた時期でもある。よく知られているように、その攻防にいちおうの決着をつけたのが六月民主抗争であった。87年6月の民衆デモの巨大なうねりが、この改憲政局を実力で突破しようとした軍事政権を逆に力でねじふせたのである。
 学生の動きは、全斗煥が現行憲法維持を表明した(四・一三護憲措置)直後から活発化していた。5月の五・一八追悼会には全国から62の大学が参加し、27日には国本(※民主憲法争取国民運動本部)が成立して野党と学生・運動圏の足並みがそろった。抗争は、ソウル大生拷問致死(*)への抗議と改憲を求める6月10日の国民大会にはじまった。その日から26日の「民主憲法争取国民平和大行進」までの十数日間、学生をはじめ、野党政治家、在野人士、教育、言論、宗教の各界関係者、タクシードライバー、バス運転手、サラリーマン、OL、主婦、商店主、露天商、はては子供にいたるまで、まさにありとあらゆる立場や階層・分野の市民が街頭に進出し、新軍部を包囲した。

*87年1月、他の手配中のソウル大生の居所を追及する警察が水攻めや電気拷問で朴鐘哲(パクチョンチョル)を死なせた事件。警察は当初、ショック死と偽ったが、検死医などの証言で暴露され、国民的な怒りをかった。六月抗争への重要なきっかけとなった。

 6月29日、新軍部政権は、直選制改革、拘束者釈放、言論の自由の保障、地方自治制の実施、大学の自律化、そして反体制運動家の赦免・復権などを盛り込んだ「六・二九民主化宣言」の発表を余儀なくされる。新軍部の敗北であった。翌年にソウル五輪を控えていたこともあって、六月抗争は、軍の投入による流血事態には至らなかった。(中略)
 ともあれ、四半世紀に及ぶ軍部の強権支配が退けられ、民主主義は勝利した。六月抗争を組織的にリードしたのは、国本、つまり民主憲法争取国民運動本部であったが、戦闘警察(機動隊)と真っ向から対峙し、デモ闘争を主導したのはなんといっても学生たち、とりわけNL(※民族解放民衆民主主義革命論)派の青年・学生たちであった。デモ隊と警察との衝突は激烈で、延世大学校の李韓烈(イハンニョル)が催涙弾の直撃をうけ重症を負い7月5日に死亡している。民主化は、そういう無数の犠牲の上にうちたてられた金字塔であった。(p.163~6)

 まず肌に粟が生じるほど衝撃的だったのが、警察による拷問シーンです。直接的に描くことを避けながらも、その恐ろしさと悍ましさがひしひしと伝わってきます。ふと思ったのですが、併合されて日本の植民地にされていた時代に、日本の特高警察が独立運動家などに行なった拷問技術が使われたのではないか。傍証ですが、最近読んだ『夢を食いつづけた男 おやじ徹誠一代記』(植木等 ちくま文庫)に、映画と同じ拷問が出てきました。
 おやじがやられたのか、そうではなくて他の人がやられたのかしらないが、もっと恐ろしい拷問があった。足の爪、手のツメと肉との間に針を刺し、そこに電流を通すのだ。電源のスイッチを入れると、体がガクガク震えたり、ンガッ、ンガッと突んのめるようになったりするらしい。それで「白状しろ、さあ白状しろ」と、いわれる。(p.170)
 そしてデモ隊に対する機動隊の暴力的な弾圧にも息を呑みました。殴る、蹴る、警棒で叩く、催涙弾を水平に射撃する。
 民主化を求める学生や民衆に「共産主義者」「北朝鮮分子」というレッテルを貼り、あらゆる手練手管を使ってこれを弾圧した全斗煥政権、そしてその爪牙となった警察。その恐ろしさが、迫真のリアリティをもって迫ってきます。

 私だったら恐怖と保身のために、口を噤み、耳を閉ざし、見て見ぬふりをしてしまう状況の中、民主化を求めて敢然と立ち上がり闘った韓国の人びとも見事に描かれています。検事、新聞記者、刑務所看守、牧師、そして学生たちが、それぞれの職分を活かしながら協力し、闘いのネットワークを編み上げていくシーンには胸が熱くなりました。中でも印象的だったのが、新聞記者諸氏の気迫です。権力による圧力や脅迫に屈せず、その腐敗を追求し、真実を市民に伝えようとするその迫力には頭が下がります。アルコール依存症のチェ検事も、飄々としたいい味を出していました。したたかに権力と対峙する一匹狼ですが、大学生の拷問死を証明する書類をわざと置き忘れて新聞記者に提供するシーンが心に残ります。
 ラストシーンでは、ノンポリだった女子大学生(キム・テリ)がさまざまな事件と関わることによって、闘いの輪の中に入っていきます。知らず知らずのうちに、抗議集会の檀上に上がってしまった彼女が、腕を振り上げる場面では涙腺が決壊しました。

 前掲書の中で文京洙氏が述べていたように、"民主化は、そういう無数の犠牲の上にうちたてられた金字塔であった"ことを思い知らせてくれる素晴らしい映画でした。国家権力に抗い力で民主化を実現した韓国、国家権力に抗う人びとを「反日」と罵倒する方のいる日本、あるいは国家権力を私物のように使い民主化を後退させる御仁を長期にわたって政権の座につかせている日本。その懸隔は目が眩むほどですが、一歩一歩進むしかないですね。

 なお朴正熙および全斗煥という軍事独裁政権と、アメリカ・日本の関係についてはほとんど語られていません。これは私たちに課せられた宿題と受け止めます。それを考える一助となる指摘が、権赫泰(クォン・ヒョクテ)氏によってなされていました。『平和なき「平和主義」』(法政大学出版局)から引用します。
 軍備を禁止した憲法を、軍備が支えるという奇妙な構造があるのだ。
 こうした奇妙な構造は、「片面講和」と日米安保条約の締結により生まれたため、冷戦体制と分離できない。憲法の「平和主義」は冷戦体制下での米国の対アジア戦略の産物でもある。米国は、日本とアジアを米国を頂点とする分業関係のネットワークのもとに位置づけた。韓国には戦闘基地の役割が、日本には兵站基地の役割が与えられた。日本が「平和」を維持できたのは、在日米軍の70%以上を沖縄に駐屯させ、韓国が戦闘基地、すなわち軍事的バンパーとしての役割を担い、周辺地域が軍事的リスクを負担したからだ。そして、この地域では、米国に与えられた役割に適合的な政治体制が必要であった。それが日本の自民党長期政権であり、韓国の反共軍事独裁政権であった。(p.ⅹ)

 「凶器論」は、基本的に朝鮮半島を日本の安全保障にとっての「生命線」とみなす。日本にとって少しでも対立的な勢力下に置かれれば、日本列島を脅かす「凶器」になりうると見ているからだ。よって朝鮮半島は直接支配するか、最低限でも日本に友好的な勢力のもとに置かなければならない。前者が日本の植民地支配だったとすれば、後者は日米同盟と韓米同盟に立脚した韓日同盟関係だ。よって少しでも米国と日本の勢力下から抜け出ようとする動きが朝鮮半島にあれば、すぐさま「凶器」になったとみなされることになる。
 朴正熙から全斗煥にいたる独裁政権は、日本にとってひじょうに友好的な勢力であった。なぜなら、植民地支配責任を日本に問わないのみならず、それを求める声を力で抑え込み、さらには日本列島を共産主義から守る役割も忠実に遂行したからである。(p.11)

by sabasaba13 | 2018-10-04 06:15 | 映画 | Comments(0)
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