仁淀川編(46):寺田寅彦墓所(15.8)

 さて受付で寅彦の墓所を訊ねると、一所懸命調べてくれました。東久万にある「アンク犬猫病院」の脇道を行ったところの高台中腹にあるそうです。また小津神社に、寅彦ゆかりの石灯籠と石橋があることも教えてくれました。多謝。よろしい、タクシーで廻ってもらいましょう。ミュージアム・ショップで「寺田寅彦 -天然に育まれし眼差し-」と、彼の絵・サインが描かれた珈琲カップを購入しました。
c0051620_21323785.jpg

 そしてふたたび「ひろめ広場」に行きましたが、「明神丸」は大混雑。いさぎよく藁焼き鰹たたきは諦めました。近くでタクシーに乗り、まずは小津神社に寄ってもらいました。こちらにある石灯籠と石橋は、父・寺田利正によって奉納されたものです。解説を転記します。
 この石灯籠は寺田寅彦先生が青年時代に肺を患い尊父利正氏ともども氏神様の小津神社に病気平癒のお願をかけられ祈願成就お願ほどきに奉納されたものであります。
 なお後日、寅彦が通学した江ノ口小学校に、彼の記念碑があるとのことがわかりました。
c0051620_2133489.jpg

 次は掃苔です。東久万にある「アンク犬猫病院」の脇道でタクシーを降りると、「寺田寅彦墓 この上約40M登る・目標は桜の樹」という立て札がありました。やった。急な山道をすこし登ると、街を見晴らせるところに、六つの墓が肩を寄せ合うように並んでいました。
c0051620_2134899.jpg

 解説を転記します。
 王子谷の墓地には寅彦、父利正、母亀、三人の妻夏子、寛(ゆた)子、紳の6人が眠っている。利正は宇賀家の出、陸軍会計監督。退役後山内家の財政顧問。寅彦は一人息子。寅彦が高知に住んだのは長くないが、大川筋での幼少年時代須崎での療養生活は彼の随筆に散文詩的に懐かしく回想されている。夏子は20才、寛子は31才で亡くなる。この科学的天才も妻の運には恵まれなかった。寅彦は1935年東京で病没。58才。墓誌は友人の小宮豊隆の撰と書。
 合掌。しばらくは彼の背中を追い続けていくつもりです。

 本日の一枚です。
c0051620_2134503.jpg

by sabasaba13 | 2018-10-16 06:22 | 四国 | Comments(0)
<< 仁淀川編(47):高知(15.8) 仁淀川編(45):高知県立文学... >>