函館・札幌編(4):五稜郭(15.9)

 そして歩いて五稜郭へ、まずは高さ90mの五稜郭タワーに上ってその全貌を見下ろすことにしましょう。展望室から見ると、ほんとうに見事な五角形の城であることがよくわかります。
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 それではタワーの公式サイトを参考にして、五稜郭の歴史をまとめてみましょう。
 1853(嘉永6)年のペリー来航、そして翌年の日米和親条約締結で、日本は開国し、下田と箱館を開港することになりました。開港を前にした徳川幕府は、外国との交渉や蝦夷地(北海道)の防衛などを担当する「箱館奉行」を配置しましたが、その役所や役宅が密集した市街地にあることや港に近く寒気が厳しいなどの生活環境、並びに上陸した外国人による市街地の遊歩に伴い役所が見透かされるといった幕府の威厳の問題、そして港に至近の位置のため艦船からの標的になりやすいといった防衛上の危機感などの理由から、役所、役宅ともに内陸の平坦地へ移転させることになりました。
 その際、幕府は、箱館奉行の配下にいた蘭学者・武田斐三郎(あやさぶろう)に、役所の外郭施設である土塁の設計を命じました。武田は箱館に入港していたフランス軍艦の軍人からの情報・教授をもとに、ヨーロッパで発達した「城郭都市」をモデルとした土塁を設計しました。五角形にしたのは死角をなくすためですね。
 そして新政府と旧幕府・佐幕派諸藩の戦い、戊辰戦争の勃発です。鳥羽・伏見の戦い、上の戦争、会津戦争と、新政府が勝ち進むなか、旧幕府海軍副総裁・榎本武揚は、無傷の幕府艦隊を率いて箱館に逃走。土方歳三に率いられた新選組などもこれに合流しました。そして五稜郭を奪取し、ここを本営としました。そして上等士官以上の者による入札で総裁以下の役職を選出、1868(明治元)年12月15日には蝦夷地領有を宣言して、暫定的な軍政機構を整えました。いわゆる"榎本政権"あるいは"蝦夷共和国"の成立です。しかし、当時最強の軍艦であった「開陽」の沈没によって戦力は低下し、新政府軍による猛攻撃の末、1869(明治2)年5月18日、旧幕府脱走軍は降伏しました。土方歳三は戦死、榎本武揚は赦免され、明治政府の要職を歴任し大臣としても活躍することになりました。
 なお箱館戦争で戦死した旧幕府軍の死体は新政府の命令により、野晒しにされ放置されました。それを無視して柳川熊吉という人物が遺骸を埋葬し、その後、1875(明治8)年に大鳥圭介・榎本武揚らによって816名を祀る碧血碑が函館山の麓に建立されました。前回の函館訪問で立ち寄ったので、今回は省略します。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2018-11-05 04:40 | 北海道 | Comments(0)
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