函館・札幌編(11):函館(15.9)

 今度は姿見坂をおりていきますが、かつてこのあたりに遊廓があり、遊郭の女性たちの姿が見られたことから名づけられたそうです。ここからの眺望も素晴らしく、ちょっとした隠れビュー・ポイントです。
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 途中にまるで古民家のような「旧大黒湯」がありましたが、函館で最も古い銭湯だそうです。
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 坂をおりていくと「ペリー会見所跡」という解説板があったので後学のために転記しておきます。
 安政元(1854)年3月、アメリカ海軍提督M.C.ペリーは、幕府との間に日米和親条約を締結し、その直後、5隻の艦船を引きつれて箱館に入港した。ペリーは、この地にあった有力商人山田屋寿兵衛宅で、松前藩家老松前勘解由らと会見し、市中の調査や、港内測量などを行って函館を去った。
 このあたりは港も近いためか、いろいろな意匠の倉庫をよく見かけます。
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 大幸機動興業所社屋は木造3階建ての洋館で、ライトブルーの下見板張り、3階正面にバルコニーを持つ洒落た建物ですが、残念ながら改修のためネットがかけられていました。ロシアの鮭・鱒を扱う漁業会社、堤商会の事務所だったそうです。
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 太刀川家住宅店舗は、明治34(1901)年、米穀商・太刀川善吉により建築されたレンガ積みの土蔵造りで、洋風アーチを取り入れ、左右に卯建(うだつ)がついています。明治40年の大火でも難を免れたそうで、重厚ですがどこか軽やかな雰囲気が素敵ですね。
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 その近くに「沖之口番所跡」という解説板があったので後学のために転記しておきます。
 江戸時代、松前藩は藩財政を支える施策の一つとして、福山(現松前)に船舶、積荷、旅人を検査して規定の税金を徴収する「沖之口番所」を創設した。その後江差と箱館(18世紀のはじめ頃)にも設けられ、文政4(1821)年沖之口役所と改められた。
 明治2(1869)年に「海官所」、さらに翌年に「海関所」と改称された。同8年に北海道諸産物出港規則が制定され、出港税徴収が開始されると、「船改所」と改称され、その徴収業務を担当したが、同20年、出港税の廃止とともに船改所も閉鎖された。

by sabasaba13 | 2018-11-21 06:08 | 北海道 | Comments(0)
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