垂直線を強調したシャープな造形と、ちょこんと乗った塔が印象的な函館市臨海研究所は、かつての函館西
警察署庁舎だったそうです。なおこのあたりで、1878(明治11)年にアメリカの動物学者エドワード・モースが臨海実験所を開き、海藻や貝類などの研究を行なったとのこと。
大森貝塚を発見された方ですね。
旧梅津商店(現はこだて工芸舎)は小ぶりながらも恰幅がいい建築で、角の優美なカーブが洒落ています。1934(昭和9)年の大火で前社屋が焼失した直後に建てられ、かねてより人々から愛されていたデザインをそのまま継承し、従前の鉄筋コンクリートを木造に変更して、急ピッチで復元したそうです。へえー木造だったんだ、それにしても凄い技術ですね。「
公式観光情報はこぶら」では、同じデザインを用いて一日でも早い建物の再建を図ったということから、創業者の梅津福次郎氏が大火によって焼け出され意気消沈している市民に、「また以前のように元気に生きていこう」というメッセージを与えたように思えると述べられています。なるほど。なお福次郎氏は、晩年、函館市立中学校(現市立函館高校)の校舎建築に65万円を寄付したことや、函館高等水産学校(北大水産学部の前身)の建設に寄与したことで知られているそうですが、氏は「長年儲けさせてもらった函館にお返ししただけだ」と言ったとのこと。その意気や良し。やはり素敵な街は、それを愛する人びとによってつくられるものなのですね。新国立競技場をつくり、築地市場を豊洲に移転しようとしている御仁たちは、東京を憎悪しているのではないかな。