函館・札幌編(19):函館(15.9)

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 迎春

 ふつつかで粗忽なブログですが、今年もよろしくお願いします。


 そして函館山ロープウェイ山麓駅へ、せっかくなので昼間の眺望も楽しみたいと思います。ロープウェイに乗り込み山頂駅に到着、昨夜とはうってかわった好天のもと、展望台からは素晴らしい眺めでした。元町の教会群も、下北半島もよく見えます。
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 なおこちらにはトーマス・ライト・ブラキストンの記念碑があったので、後学のために解説を転記しておきます。
 ブラキストンは、1832年イギリスに生まれ、文久3(1863)年に日本での事業をおこすために来函し、事業を継続しながら鳥類を捕獲・研究、気象観測も行いました。
 明治12(1879)年には、函館滞在中に道内で捕獲した鳥類標本を開拓使函館支庁仮博物場(現在の市立函館博物館)に寄贈しています。この標本は、現在北海道大学植物園・博物館に所蔵されています。
 明治16(1879)年、本州と北海道の動物の著しい違いがあることを、アジア協会報に発表して注目され、津軽海峡が「ブラキストン・ライン」と呼ばれるようになりました。
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 さて実はお目当てがもう一つありまして、それは函館要塞の見学です。その解説板があったので、これも転記します。
 函館要塞は、明治28(1895)年の日清戦争終結後に、日露戦争を想定し、津軽海峡の防衛強化を目的に明治31(1898)年から、約4年間を費やして函館山に大小4か所に砲台が建設されました。
 他の多くの要塞が軍港を守ることを目的にしたのに対し、函館要塞は商業港である函館港を守るために建設されました。
 日露戦争開戦後、津軽海峡でロシア艦隊が日本の船舶に損害を与えましたが、射程外であったため要塞からは一発の砲撃もされませんでした。しかし、要塞の存在により函館港は攻撃されることはありませんでした。
 その後、大砲は撤去されましたが、大正に入り、米国を仮想敵国とし、海空の攻撃から函館と青森の両港を守り、津軽海峡における敵艦隊の通航を阻止するため、津軽要塞として再整備されましたが、戦闘機を相手とした実戦では役に立たず、函館は空襲に遭い甚大な被害を受けました。
 函館要塞建設直後の明治32(1899)年に要塞地帯法が制定され、昭和21(1946)年に開放されるまでの約47年間、函館山への一般市民の立ち入りは禁止されていました。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2019-01-05 07:25 | 北海道 | Comments(0)
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