公会堂のある元町公園を出て基坂をおりると、右手に旧イギリス領事館(開港記念館)があります。
後学のために解説文を転記します。
函館にイギリス領事館が置かれたのは、安政6年(1859年)日本最初の貿易港として開港した時のことで、函館ではアメリカ、ロシアに次いで3番目の領事館として、初代領事ホジソンが称名寺に開設しました。文久3年(1863年)に現在の元町のハリストス正教会の西隣に領事館を新築しましたが、数度の火災にあい、この建物は、イギリス政府工務省上海工事局の設計により、大正2年(1913年)に竣工したものであり、昭和9年(1934年)の閉鎖まで領事館として使用されていました。平成4年(1992年)8月からは、開港記念ホール、開港の歴史を伝える展示室、旧外国公館の雰囲気の中で食事や各種ディナーを楽しめるレストラン・喫茶室などを設け、一般公開をしております。
弁天末広通を左に進むと、函館山を背景に公会堂がよく見えます。このあたりで、蔵のある洒落たお宅を見かけました。
そして異国情緒にあふれる中華會舘へ。
解説文を転記します。
中華会館は純中国様式の建築として日本に現存する唯一の貴重な建物である。
函館から中国への海産物貿易の盛んな頃に在函華商が信仰する三国時代(魏・呉・蜀)の蜀の武将として活躍した関羽=関帝を奉祀する聖所として中国から大工・彫刻師・漆工らを招き、煉瓦・祭壇・什器等資財も中国から取り寄せ、約3年の工期と巨費を投じて明治43年(1910年)12月に竣工した。
内部は金色燦然たる関帝壇を中心として周囲に小部屋を配し、装飾、調度品は壮麗を極めている。
建物は社団法人函館中華会館の所有である。
はす向かいには、四つ角にそって湾曲する壁面が印象的な弥生小学校がありました。函館最大規模の大火(1934)後の復興建築として建てられた学校のひとつです。竣工は1938(昭和13)年、4階建の重厚な鉄筋コンクリート造り。中央にグラウンドを置いたロの字型で、大火時の住民の避難所としての役割も当てられました。しかし老朽化のために解体され、その外壁の一部が新校舎に利用されているそうです。ちなみに石川啄木が勤めた小学校で、この学校の教師橘智惠子に彼は惚れたのですね。亀井勝一郎もここを卒業しました。