『日日是好日』

c0051620_18131997.jpg 実は、わが敬愛する山ノ神、大学生の時から十年ほど裏千家茶道のお稽古に勤しんでいました。その後、とんとご無沙汰しておりますが、旅先で茶室や露地を見たり、抹茶や茶わんを買ったりと、その情熱は埋れ火のように熱があるようです。その彼女から、茶道をテーマにした映画が上映されているので見にいかないかと誘われました。タイトルは『日日是好日』、"ひび"かと思ったら"にちにち"と読むのですね。原作は、エッセイスト森下典子が約25年にわたり通った茶道教室での日々をつづり人気を集めたエッセイ『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』(新潮文庫)、監督は大森立嗣、そして主演は黒木華、共演は樹木希林と多部未華子。これは面白そう、師走好日に池袋の「シネ・リーブル」で見てきました。なお"日日是好日"とは禅語のひとつで、『碧巌録』第六則に収められている公案だそうです。
 まずは公式サイトからあらすじを転記します。
 大学時代に、一生をかけられるような何かを見つけたい。でも、学生生活は瞬く間に過ぎていき-。典子(黒木華)は二十歳。真面目な性格で理屈っぽい。おっちょこちょいとも言われる。そんな自分に嫌気がさす典子は、母(郡山冬果)からの突然の勧めと、「一緒にやろうよ!」とまっすぐな目で詰め寄る同い年の従姉妹、美智子(田部未華子)からの誘いで"お茶"を習うことになった。まったく乗り気ではない典子だったが、「タダモノじゃない」という武田先生(樹木希林)の噂にどこか惹かれたのかもしれない。
 稽古初日。細い路地の先にある瓦屋根の武田茶道教室。典子と美智子を茶室に通した武田先生は挨拶も程々に稽古をはじめる。折り紙のような帛紗さばき、ちり打ちをして、棗を「こ」の字で拭き清める。茶碗に手首をくるりと茶筅を通し「の」の字で抜いて、茶巾を使って「ゆ」の字で茶碗を拭く。お茶を飲み干すときにはズズッと音をたてる。茶室に入る時は左足から、畳一畳を六歩で歩いて、七歩目で次の畳へ。意味も理由もわからない所作に戸惑うふたり。質問すると「意味なんてわからなくていいの。お茶はまず『形』から。先に『形』を作っておいて、その入れ物に後から『心』が入るものなのよ」という武田先生。「それって形式主義じゃないんですか?」と思わず反論する美智子だが、先生は「なんでも頭で考えるからそう思うのねえ」と笑って受け流す。毎週土曜、赤ちゃんみたいに何もわからない二人の稽古は続いた。
 鎌倉の海岸。大学卒業を間近に控えたふたりは、お互いの卒業後を語り合う。美智子は貿易商社に就職を決めたが、典子は志望の出版社に落ちて就職をあきらめたのだ。違う道を進むことになったふたりだが、お茶の稽古は淡々と続いてく(ママ)。初めて参加した大規模なお茶会は「細雪」のようなみやびな世界を想像していたが、なんだか大混雑のバーゲン会場のようだ。それでも本物の楽茶碗を手にし、思わず「リスみたいに軽くてあったかい」と感激した。就職した美智子はお茶をやめてしまったが、出版社でアルバイトをしながらお茶に通う典子には後輩もできた。お茶を始めて二年が過ぎる頃、梅雨どきと秋では雨の音が違うことに気づいた。「瀧」という文字を見て轟音を聞き、水飛沫を浴びた。苦手だった掛け軸が「絵のように眺めればいいんだ」と面白くなってきた。冬になり、お湯の「とろとろ」という音と、「きらきら」と流れる水音の違いがわかるようになった。がんじがらめの決まりごとに守られた茶道。典子はその宇宙の向こう側に、本当の自由を感じ始めるが…。
 お茶を習い始めて十年。いつも一歩前を進んでいた美智子は結婚し、ひとり取り残された典子は好きになったはずのお茶にも限界を感じていた。中途採用の就職試験にも失敗した。お点前の正確さや知識で後輩に抜かれていく。武田先生には「手がごつく見えるわよ」「そろそろ工夫というものをしなさい」と指摘される。大好きな父(鶴見辰吾)とも疎遠な日々が続いていた。そんな典子にある日、決定的な転機が訪れるのだが-。
 何と静謐で優しくて心暖まる映画でしょう、見て良かった。茶の湯の奥深さを教えていただいたことを感謝します。
 ある意味、この映画の主人公は、茶室という空間とそこに流れる時間だと思います。落ち着いた雰囲気の茶室と、清々しい露地。想像をかきたてながら客をもてなす茶道具や掛け軸や和菓子。若く初々しい典子と美智子が初めて武田先生のお宅を訪れた時には「薫風自南来」、雨の日は「聴雨」、暑い日には長く下に伸びる縦棒が印象的な「瀧」、典子が就職試験を受ける時には「達磨画」がかけられていました。和菓子では、厳しい冬を耐えて雪解けの大地から萌え出る緑を表わした「下萌(しぐれ)」が心に残りました。
 また茶室という空間が、しなやかに生き生きと自然と交換している様子も上手く描かれています。障子を通して差し込む柔らかな光、耳に聞こえる雨の音・風の音、肌身で感じる冬の寒さに夏の暑さ。和紙を貼り開け放てる障子と薄い木の壁という貧相な構造が、細胞膜のように自然をとりこめる機能を果しているのですね。
 そして移りゆく季節に合わせた茶道具・掛け軸・茶花・和菓子の数々。季節ごとに形式の定まった茶会。でも武田先生は、初釜の時にこうおっしゃっていました。
 私、最近思うんですよ。こうして毎年、同じことができることが幸せなんだって。
 うーむ、深いですね。そういえば千利休がこう言っていましたっけ。
 茶の湯とはただ湯をわかし茶を点てて飲むばかりなる事と知るべし
 また岡倉天心は『茶の本』(岩波文庫)の中で、こう言っていました。
 まあ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟はわが茶釜に聞こえている。はかないことを夢に見て、美しい取りとめのないことをあれやこれやと考えようではないか。(p.30)
 自然を感じながら客人と茶を愉しむ。その些事に無上の喜びを見出す。そこは競争も成長も欲望もない静謐な世界。タイトルの「日日是好日」とは、こういう世界のことなのですね。
 さまざまな悩み・悲しみを持つ典子が、武田先生を通して茶の湯と出会い成長していく姿がとてもよく描かれていました。いや、成長ではないな。上手く言えませんが、人を苦しめる無駄なものが削ぎ落されていく過程を描いた映画だと感じました。見事な演技でそれを表現した黒木華と樹木希林に乾杯。
 「今だけ、金だけ、自分だけ」という迷妄にふりまわされ、生き地獄を現出させてしまったわれわれ現代人必見の映画です。お薦め。

 なお先述の『茶の本』は、含蓄ある言葉に満ちた滋味深い本です。いくつか紹介しましょう。トランプ大統領の*を舐めるために2019年度からの五年間で約27兆4700億円の軍事費を支出せんとしているどこかの首相に、桐箱に入れて水引をかけて進呈します。
 おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っているであろう。西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから文明国と呼んでいる。近ごろ武士道-わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術-について盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の術を多く説いているものであるが、もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。(p.23)

 実に遺憾にたえないことには、現今美術に対する表面的の熱狂は、真の感じに根拠をおいていない。われわれのこの民本主義の時代においては、人は自己の感情には無頓着に世間一般から最も良いと考えられている物を得ようとかしましく騒ぐ。高雅なものではなくて、高価なものを欲し、美しいものではなくて、流行品を欲するのである。(p.69)

 この人生という、愚かな苦労の波の騒がしい海の上の生活を、適当に律してゆく道を知らない人々は、外観は幸福に、安んじているようにと努めながらも、そのかいもなく絶えず悲惨な状態にいる。(p.86)

by sabasaba13 | 2019-01-27 06:14 | 映画 | Comments(0)
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