函館・札幌編(38):札幌(15.9)

 朝目覚めてカーテンを開けると、爽やかな晴天です。ただ残念ながら新千歳空港10:30発の便しかとれなかったので、どこにも行かずにすぐにホテルを発たなければなりません。朝の散歩がてら日本キリスト教団札幌教会(旧札幌美以教会堂)を見にいきませんかと山ノ神を誘うと、「行かない、寝てる」と即答。らじゃあ。
 佐藤製薬のマスコット「サトちゃん」に挨拶をして少し歩くと、道の彼方に赤レンガの北海道道庁旧本庁舎が見えました。
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 大通公園には、「さっぽろオータムフェスト」の出店が建ち並んでいました。生産者や料理人、醸造者などの作り手を紹介しながら北海道全域の農産物・海産物を販売するお祭りだそうです。その近くに「家ごとにリラの花咲き札幌の人は楽しく生きてあるらし」という吉井勇の歌碑があったのには、これまで気がつきませんでした。彼が1955(昭和30)年に札幌を訪れたときに残した「北遊小吟」五首のうちの一首だそうです。
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 青空を突き刺すように屹立するテレビ塔を通り過ぎ、その先にある創成川を渡ると日本キリスト教団札幌教会がありました。八角柱の尖塔と青い屋根がチャーミングな愛らしい教会です。
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 ほんとうは久しぶりにイサム・ノグチ作のブラック・スライド・マントラを訪れたかったのですが、そろそろ出発の時間です。ホテルに戻りましょう。途中にあった北陸銀行札幌支店に、北海道と北陸の関係を紹介するポスターが貼ってあったので後学のために転記します。
 蝦夷地が北海道となった明治以降、政府はロシアに対する警備や資源開発を目的として北海道の開発に着手。やがて全国的に北海道への移住が本格化していった。中でも中心となったのは北陸であり、1886(明治19)年から1922(大正11)年までの37年間で、富山県、石川県、福井県からの移住戸数は約10万7千戸。全移住者の20%余りを占めている。これに伴って北陸の言葉や風習が道内各地に伝わっていった。勤勉で粘り強い北陸人気質は、開拓の最前線でいかんなく発揮され、現在でも代表者が北陸三県出身である道内有力企業の数は、170社以上に上っている。

 北前船は、船の重心を安定させるために積んだ石を各地に残したが、金沢の兼六園のシンボル徽軫灯篭(ことじとうろう)もその一つ。北前船主で加賀藩の豪商、木谷(きや)藤右衛門が寄進したといわれる。藤右衛門はのちに、北陸銀行前身である金沢第十二国立銀行の頭取を務めた。
 へー、あの有名な兼六園の徽軫灯篭は、北前船のバラストだったんだ、知りませんでした。
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 「モダン仏壇」という看板がありましたが、どんな仏壇なのだろう? 見てみたいものです。狸小路を歩いていると「札幌国際短編映画祭」「難民映画祭」というポスターがありました。こちらも興味ありますね。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2019-02-18 09:17 | 北海道 | Comments(0)
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