函館・札幌編(39):恵庭(15.9)

 「狸の湯 ドーミーイン札幌ANNEX」に戻り、山ノ神と合流。チェックアウトをして地下鉄に乗って札幌駅へ行き、JR千歳線に乗り換えて新千歳空港へと向かいます。途中に「恵庭」という駅がありましたが、ここが恵庭事件の舞台となった地なのですね。重要な事件ですので、日本大百科全書(小学館)から転記します。
 自衛隊法が民間人に適用された初の事件であり、4年間の全訴訟過程において自衛隊(法)の合憲・違憲が争われた。1962年(昭和37)12月11日北海道石狩支庁(現石狩振興局)管内の恵庭町(現恵庭市)の自衛隊島松演習場内で、牧場経営者野崎兄弟が演習用通信線数か所を切断した。演習場付近ではすでに1955年以来ジェット機の射撃訓練、大砲実弾演習によって難聴や家畜の乳量・受胎率低下などの被害が続いており、野崎兄弟はたび重なる抗議のすえ、万策尽きてこの挙に出たものであった。事件は当初通常の器物損壊事件として捜査されたが、1963年3月札幌地検が自衛隊法第121条違反(防衛用器物損壊)として起訴するや、自衛隊の違憲性を問う裁判として注目を集めた。以降、判決まで40回にわたる公判で、多数の憲法学者と400人に及ぶ大弁護団が自衛隊違憲論を展開し、地裁の憲法判断が期待された。しかし1967年3月の判決は憲法判断に触れず、両被告の行為が自衛隊法第121条の構成要件に該当しないとして無罪を言い渡した。検察側の控訴放棄で判決は確定したが、新聞は「肩すかし判決」と評した。
 ったく、日本の司法ときたら腰が引けまくりですね。しかし同じ北海道で、1969(昭和44)年に、夕張郡長沼町に自衛隊の地対空ミサイル「ナイキ・ハーキュリーズ」基地を建設するため、政府が国有林の保安林指定を解除したことに端を発し、自衛隊が合憲か違憲かをめぐる長沼ナイキ訴訟が起こります。1973年、一審の札幌地方裁判所(福島重雄裁判長)は原告の訴えを認め自衛隊を違憲とし、かつ国民の「平和的生存権」擁護の立場から保安林指定解除処分の取消しを命ずる画期的な判断を下しました。いわゆる"福島判決"です。しかし二審の札幌高裁も、最高裁も、一審判決を破棄しました。その際に、自衛隊が違憲か否かという高度に政治的な判断は司法審査の範囲外であるとする「統治行為論」を展開しました。行政府や立法府が違憲と疑われる行為をしても、それが"高度に政治的な判断"だと裁判所が認定すれば、憲法違反という判断をしない。これが日本国憲法を安楽死させた「統治行為論」、立憲主義の墓碑銘(epitaph)です。国家権力という怪物を縛る鎖、国家権力というライオンを入れる檻が、ほとんど機能していないのが日本という国家です。政府にとってこれほど楽な国はないですね、何をしても憲法違反に問われないわけですから。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2019-02-20 06:24 | 北海道 | Comments(0)
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