三・一独立運動百周年 2

 前回紹介した『週刊金曜日』(№1221 19.2.22)の特集、『100年前のろうそくデモ 3・1朝鮮独立運動』の中で面白かったのが成澤宗男氏による「真に朝鮮と向かい合った日本人」という記事です。紹介文を引用します。
 かつて朝鮮半島が日本の植民地にされていた時代、隣国の人々の苦難に思いを馳せていたごく少数の知識人がいた。言論が制約されていた時代であったからこそ、彼らの残した文章には言いしれぬ良心の力を感じることができる。韓国ヘイトが巷にあふれる今こそ、先人の声に耳を傾けたい。(p.30)
 そして朝鮮と向かい合った四人の日本人を紹介されています。「小日本主義」から「植民地放棄論」を唱えた先駆的リベラリスト、石橋湛山。弁護士として朝鮮民族の権利を擁護した稀有な人権の闘士、布施辰治。朝鮮の美の発見から、隣国への限りない共感を示した民藝運動の祖、柳宗悦。そして差別と武断政治に反対し朝鮮総督府を糾弾した「大正デモクラシー」の論客、吉野作造。できれば浅川巧金子文子にも触れてほしかったのですが仕方ない、次回に期待しましょう。なお金子文子については、1220号(2019.2.15)に特集記事が掲載されました。

 本稿では布施辰治と吉野作造を取り上げたいと思います。まずは布施辰治です。
 日本は1918年の米騒動後、朝鮮を「食糧基地」とするために米の生産量を約20%向上させ、また土地を収奪した。だが、それは朝鮮での農民の小作化と朝鮮人の米消費量が40%も激減する窮乏化を伴った。
 布施辰治は1926年、全羅南道の朝鮮農民の要請で現地に赴き、土地を収奪した日本の会社を相手に告訴の道を探るが、朝鮮総督府の妨害で結局失敗に終わる。そすいた経過をまとめたのが、この論文だ。(「朝鮮に於ける農業の発達と無産階級農民」)
 戦前、布施ほど朝鮮人側に立って闘い続けた弁護士は、他に例がない。1911年には「朝鮮独立運動に敬意を表す」という記述が原因で検察の取り調べを受けている。(p.31)
 彼が関東大震災時における朝鮮人虐殺の真相究明に尽力し、金子文子の弁護をしたことは知っていましたが、日本の会社による土地収奪も告訴しようとしていたのですね。朝鮮人の人権を守るために、ここまで闘った不屈の「人権派弁護士」としてぜひ記憶に留めたいものです。余談ですが、よく日本で言われる「人権派弁護士」って、「白い白猫」と同様のトートロジーじゃないのかな。弁護士とは、人権を守るのが仕事だと思っていました。人権を守ろうとしない弁護士が多くということでしょう。日本の法曹界の低劣さが垣間見えます。
 そして民本主義を唱えた政治学者・吉野作造です。彼は、1904年に朝鮮人留学生と出会うことによって朝鮮への関心を高め、さらに『中央公論』1916年6月号に「満韓を視察して」という論文を発表して以降、朝鮮総督府の武断統治に対する厳しい批判者となりました。その論旨は「異民族統治の理想は其民族としての独立を尊重」すべしとするもので、当時としては稀な総督府に対する正面からの批判でした。彼が植民地放棄・朝鮮独立を明確に主張した形跡は乏しいのですが、「3・1独立運動」への弾圧、そして関東大震災における朝鮮人虐殺に接し、孤立しながらも社会への激しい怒りを表明しました。(p.33) 成澤氏が紹介してくれた吉野作造の論考「対外的良心の発揮」(『中央公論』 1919.4)を引用します。
 朝鮮の暴動(注:3・1独立運動のこと)は言うまでもなく昭代の大不祥事である。これが真因いかん、又根本的解決の方策いかんについては別に多少の意見はある。ただこれらの点を明にするの前提として余輩のここに絶叫せざるを得ざる点は、国民の対外的良心の著しく麻痺している事である。今度の暴動が起ってからいわゆる識者階級のこれに関する評論はいろいろの新聞雑誌等に現われた。しかれどもそのほとんどはすべてが他を責むるに急にして自ら反省するの余裕が無い。あれだけの暴動があってもなお少しも覚醒の色を示さないのは、いかに良心の麻痺の深甚なるかを想像すべきである。かくては帝国の将来にとって至重至要なるこの問題の解決も到底期せらるる見込はない。
 一言にして言えば今度の朝鮮暴動の問題についても国民のどの部分にも「自己の反省」が無い。およそ自己に対して反対の運動の起った時、これを根本的に解決するの第一歩は自己の反省でなければならない。たとい自分に過ち無しとの確信あるも、少くとも他から誤解せられたと言う事実についてはなんらか自から反省するだけのものはある。誤解せらるべきなんらかの欠点も無かった、かくても鮮人が我に反抗すると言うなら、併合の事実そのもの、同化政策そのものについて、更に深く考うべき点は無いだろうか。いずれにしても朝鮮全土に亘って排日思想の瀰漫している事は疑いもなき事実である。朝鮮における少数の役人の強弁のほか今やなんぴともこれを疑わない。しかして我国の当局者なり、又我が国の識者なりが、かつてこの事実を現前の問題として、鮮人そのものの意見を参酌するの所置に出でた事があるか。
 反韓感情が渦巻き、反韓本が書店に積まれ、ヘイトスピーチが吹き荒れる今の日本だからこそ、真摯に耳を傾けたい一文です。特に安倍首相には精読していただいて、反省の「は」の字も、良心の「り」の字もない氏の辞書を改訂して欲しいものです。

 本日の一枚、1996年に訪れて撮影したタプッコル公園の入口です。
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by sabasaba13 | 2019-03-02 06:28 | 鶏肋 | Comments(0)
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