時代が変わる/時代を変える

 今日から新しい天皇が即位し、元号が代わるわけですか。元号はもちろん、天皇制に対しても反対である私としては何の感慨もわきませんが、退位した天皇については少々思うところがあります。それを考えるきっかけを与えてくれたのが、赤坂真理氏が著した小説『箱の中の天皇』(河出書房新社)の中の一文です。なお氏は、小説『東京プリズン』(河出文庫)や評論『愛と暴力の戦後とその後』(講談社現代新書2246)などでも天皇や天皇制に対する鋭い分析や提言をされており、「天皇制を全面的に受け入れない者は非国民」的風潮がいつの間にか浸透した昨今、注目すべき方です。以下、主人公まりの独白を引用します。
 戦争の傷をめぐる世界の旅をすること。傷ついた、傷つけた人々の前で祈ること。弱い人と共に在ること、弱った人、傷ついた人の手を取ること、助け合おうということ。混乱にあって、我を失わずにいようと励ますこと。天皇はそれを言葉で言うことができなかった。憲法で制限された存在だからです。わが国において、憲法を、国家権力を抑制するためにあると本気で信じている人は、少ない。けれど、この天皇はそれを「体現」しようとしたのではないか。日本の軍隊が傷つけた人々の地を慰問もした。言いたいことを、言えない状態で、その孤独な戦いを思います。そのことに、今、感動を覚えます。
 そして、天皇が日本の象徴であり、国民の象徴であるなら、行動を問われているのは国民なのです。
 わたしは天皇のように行動できるか、わたしが天皇だとしたら、どう行動するのか。一人ひとりが、考えてみることができたら、事態はずいぶん変わるのではないでしょうか?
 国民の質が決まって、天皇の質が決まります。なぜなら『天皇は国の象徴』だからです。象徴は、象徴するものが必要です。象徴する統合された国民のかたちが必要です。天皇は鏡です。国民を映す、鏡です。神社の本殿に行くと中は鏡ひとつです。あなたが神だ、と言われるのです。(p.135)
 そう、まったくぶれない彼の言動は、「弱い者、傷ついた者」の側に立つという強い意志に貫かれているように思えます。被災地に行き、膝を折り、被災者を慰め励ますその姿勢からは、「私はあなたの側に立つ」という思いがひしひしと伝わってきました。評論家の故加藤周一氏は、民主主義を「強きを挫き、弱きを援く」と定義しましたが、先の天皇は民主主義の精神を体現したような方でした。敬意を表します。
 さて、言うまでもなく日本国憲法第一条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあります。それでは天皇に象徴されている日本国は、日本国民は、弱い者/傷ついた者の側に立とうとした国家や人びとであったでしょうか。強きを挫き、弱きを援けてきたでしょうか。残念ながら、歴史をふりかえるととてもそうとは言えません。例示すればきりがありませんが、沖縄を切り捨て、公害を放置し、女性をはじめとする様々な差別を黙認し、日本による植民地化やアジア・太平洋戦争による犠牲者を放置してきた日本政府と、それを支持するか、または無関心な国民であったというのが実状でした。最近でも、福祉や教育を切り捨て、格差を容認し、辺野古新基地建設を強行し、原発事故被災者を見て見ぬふりをし、国民よりも己の利権を優先する日本政府と、それを支持するか、または無関心な国民の在り方は変わりません。やれやれ。
 ここからは私の想像ですが、先の天皇は、こうした強い者の側に立ち弱い者を虐げた/虐げる国や国民に苛立っていたのではないでしょうか。日本国と日本国民には、弱く傷ついた人びとの側に立って欲しいと、強く祈念していたのではないでしょうか。しかしそうした発言は憲法で禁じられている。そこで彼は、象徴する立場にある自分が弱者と共に在ることを見せ、象徴される側の日本国政府や日本国民に気づいてほしかったのではないか。なぜ弱者の側に立たないのか、と。
 しかし結局、政府も国民も態度を改めませんでした。肉体の衰えと徒労感から生前退位を決意し、次の天皇に願いを託したのではないか。彼の柔和な目から、「とうとう気づいてくれませんでしたね、翻意してくれませんでしたね」という諦観を感じ取ってしまうのは穿ちすぎかな。

 さて巷では、メディアを中心に「元号が変わった」「新天皇が即位した」「新しい時代が来た」と浮かれまくっておりますが、お門違いだと思います。日本国政府が、日本の社会が、そして何より私たちが変わった時こそが、新しい時代でしょう。そしてそれを決めるのは元号ではなく、私たちであるべきでしょう。弱者の側に立つ真っ当な政府と国民、それが実現しない限り、新しい時代は訪れません。もしかするとこの国は、明治維新以来、時代が変わっていないのかもしれませんね。

 そして先の天皇へ一言。ほんとうに、ほんとうに、お疲れ様でした。あなたの意志を継げるよう、微力ながらも専心していきたく思います。参政権の欠如や財産権・表現の自由の制限など、十全な基本的人権がないことをまことに申し訳なく思いますが、せめて奥様と心安らかな暮らしを静かに過ごせることを衷心より願っております。
by sabasaba13 | 2019-05-01 07:35 | 鶏肋 | Comments(0)
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