へそまがり日本美術

c0051620_11581565.jpg 府中市美術館が気になります。『ノーマン・ロックウェル展』や『歌川国芳展』といった正統的な企画はもちろん、『立石鐵臣展』や『長谷川利行展』といった通好みの企画や、『石子順造的世界』といった意表を突く企画など、小さいながらも端倪すべからざる美術館です。
 またアプローチもよろしい。武蔵野の面影を残す府中の森公園を気持ちよく散策しながら辿り着けます。戦争遺跡フリークの方は、近くにある巨大なパラボラ・アンテナ(在日米軍旧府中通信施設)もお見逃しなく。
 今回の展示は「春の江戸絵画まつり」と称して、『へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで』というものです。…………………………なんじゃそりゃ! 公式サイトより、紹介文を引用します。
 人は、見事な美しさや完璧な美しさに、大きな感動を覚えます。しかしその一方で、きれいとは言いがたいもの、不格好で不完全なものに心惹かれることもあるでしょう。「へそまがりの心の働き」とでも言ったらよいでしょうか。
 例えば、禅画に描かれた寒山拾得の二人は、不可解さで見る者を引きつけます。また、江戸時代の文人画には、思わず「ヘタウマ?」と言いたくなるような作品があります。文人画の世界では、あえて朴訥に描くことで、汚れのない無垢な心を表現できると考えられていたのです。
 あるいは、徳川家光が描いた《兎図》はどうでしょうか。将軍や殿様が描いた絵には、ときおり見た人が「???」となるような、何と言い表せばよいか困ってしまうような「立派な」作品があります。描き手が超越した存在であることと、関係があるのかもしれません。更に近代にも、子供が描いた絵を手本にして「素朴」にのめり込む画家たちがいました。
 この展覧会では、 中世の禅画から現代のヘタウマまで、 日本の美術史に点在する「へそまがりの心の働き」の成果をご覧いただきます。へそまがりの感性が生んだ、輝かしくも悩ましい作品の数々を眺めれば、日本美術のもう一つの何かが見えてくるかもしれません。

 日本初!「へそまがり」で美術史を俯瞰する展覧会。中世の水墨画から現代のヘタウマ漫画まで、日本人の「へそまがりな感性」が生んだ絵画の数々を展望する初めての展覧会です。

 破壊力のある作品が勢ぞろい! 「おかしい」「ユルい」「へんてこ」「苦い」「かわいい」など、従来の"美術鑑賞用語"からはかけ離れた言葉で形容されるような、けれども、強烈なインパクトのある作品が揃います。
 うわお、ウィントン・ケリー(p)+ポール・チェンバース(d)+ジミー・コブ(ds)トリオの演奏のような、ドライブ感にあふれたノリノリの文章ですね。"破壊力のある作品"など、まともな学芸員なら顔をしかめるような表現を使うなど、なにかやらかしてくれそうな予感がします。これはぜひ見に行きましょう。山ノ神を誘ったのですが野暮用があるため、独りで府中市美術館へ行ってまいりました。
 いやあ、ほんとうに面白かった。美術館で笑うなんて稀有な体験です。禅画、俳画、南画、近代絵画から、目が点になるような突拍子もない絵が精選されており、会場のあちらこちらで笑いの静かな漣がわいていました。伊藤若冲長沢芦雪といった大物から、名も知らぬ禅僧や絵師、さらには幕府将軍や夏目漱石まで、よくぞまあとんでもない絵を集めたものです。学芸員および関係者諸氏の天馬の如き企画力、そして眼力と知識と遊び心に、深甚なる敬意を表します。
 あまりにも楽しかったので目録も購入しましたが、こちらも秀逸。それぞれの絵に一言が添えられているのですが、これがコメントというよりもツッコミです。例えば惟精宗磬(いせいそうけい)の「断臂(だんぴ)図」。雪舟の絵で有名ですが、禅宗の祖・達磨が少林寺において面壁座禅中、慧可という僧が彼に参禅を請うたが許されず、自ら左腕を切り落として決意のほどを示して入門を許されたという有名な禅機の一場面です。そのコメント(ツッコミ)が"目と鼻はただの黒丸"。右手で刃物を持ち、いままさに左腕を切り落とそうという緊迫した場面なのですが、泣きそうな慧可の目と鼻の穴はたしかに黒い丸。そこまでハッキリ言うか、とこっちもツッコミを入れたくなります。
 というわけで、ヘタヘタと座り込みたくなるような絵を、ツッコミとともにいくつか紹介します。
"白隠を超える唐突さ" 春叢紹珠(しゅんそうそうじゅ) 「皿回し布袋図」
 額に細長い棒を乗せ、手放しで皿を回す布袋さま。「何のために???」という疑問は、袋の上に乗って楽しそうに皿を回す布袋さまの温和な表情を見ていると吹っ飛んでしまいます。くるくるくるくる…

"次の寅年にはこんな年賀状を出してみたい" 風外本高(ふうがいほんこう) 「新春賀偈」
 脱力感と破壊力という点では、本展で一、二を争う怪作です。禅の世界での新春の祝辞です が、添えられた虎が…いや、これは断じて虎ではない。猫でも熊でも犬でもない、わけのわからない動物がわけのわからないポーズで佇んでいます。でも見ていると肩の力が抜け、♪今日がだめなら明日があるさ♪と、ドン・ガバチョのように歌いたくなってきます。

"鬼はリラックスしているようにしか見えない" 風外本高 「涅槃図」
 釈迦の臨終を動物たちが嘆き悲しむ場面ですが、その描写の雑なこと雑なこと。ここまで適当に描かれると、不思議なもので抱きしめたくなってきます。金棒をわきにおいて寛いでいる鬼よ、少しは悲しいふりをしなさい。

"激しい動き、果てしない脱力感" 仙厓義梵(せんがいぎぼん) 「布袋図」
 くねくねと踊っているようにしか見えない布袋さま、いいですね。程よく力も抜けてノリノリです。なお仙厓には「目をおせば二つでてくる秋の月」という、卓袱台をひっくり返したくなるような禅画もあります。

"いくら仏の国でもあまり足を踏み入れたくない" 冨田渓仙 「石峰寺
 石峰寺は、京都伏見にある黄檗宗の寺で、伊藤若冲が庵を結び、石造の羅漢像を境内に安置したことで知られます…が、ここで描かれているのは幽鬼の如く不気味にゆらめく羅漢たち。たしかに足を踏み入れたくない。

"一度会ったら忘れられない河童" 小川芋銭 「河童百図〉幻」
 怖い… できればお会いしたくないものです。

"胴と手足を別々に作って縫い合わせた人形のよう" 三岸好太郎 「友人ノ肖像」
 まるで糸を切られて椅子に置かれたパペットのようです。友人は怒らなかったのな。なお彼の奥さんである三岸節子も画家で、彼の奔放な女性関係に苦しめられてどん底の生活を送り、彼が31歳で死んだ時に「ああ、これで私が生きていかれる」と思ったという凄絶なエピソードもあります。

"上様はどこまで本気なのか" 徳川家光 「鳳凰図」  徳川家綱 「鶏図」
 ここまでヘタだと、爽快感さえ覚えます。拝領した家臣は、どう褒めるか困っただろうなあ。もしかしたら、その困った顔を見たくてわざと下手に描いたのかもしれません。

"スナフキンではありません" 村山槐多 「スキと人」
 そう言われると、スナフキンにしか見えなくなってしまいました。余談ですが、彼がギターをかきならして歌う「おさびし山のテーマ」が大好きでした。

"笑顔とはこんなに嫌なものだったろうか?" 岸駒(がんく) 「寒山拾得図」
 ここまで人を不愉快にさせる笑顔を描いた絵師の力量には脱帽です。チコちゃんだったら、「ニヤニヤ笑ってるんじゃねえよ」と激怒するでしょうね。

"シビれるような強面の雄鶏" 長沢蘆雪 「鶏図」
 さすがは蘆雪、つがいの鶏をリアルに描写していますが、鑑賞者に「ガンつけてるんじゃねえよ」と睨みつける雄鶏の強面が尋常ではありません。ゆらめくような影も不気味ですね。道端でこんな鶏に出くわしたら、一目散に逃げましょう。

"部屋中をやるせないムードで満たす掛軸" 長沢蘆雪 「老子図」
 落胆した老子が牛の背に乗って他国へ去る場面だそうです。虚空をさまよう視線、感情を読み取れない無表情、この掛軸を飾ったら部屋中がブルーに入ってしまいそう。

"ゆるさの限界点に挑む画家" 中村芳中 「鬼の念仏図」
 大津絵の題材である「鬼の念仏」を描いた絵ですが、そのスライムの如きゆるさ加減が凄い。爽快な脱力感を心行くまで味わえる珠玉の一枚です。
 というわけで、こんなに面白い展覧会にはそうそうお目にかかれるものではありません。一緒に行けなかった山ノ神も、目録を見ながらクスクス笑い「落ち込んだ時にまた見よう」とご満悦の模様でした。5月12日(日)まで開催されていますので、思う存分脱力したい方、ぜひ府中市美術館へ。
by sabasaba13 | 2019-05-07 06:24 | 美術 | Comments(0)
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