『福島は語る』

c0051620_2184970.jpg 『“私”を生きる』や『沈黙を破る』といった秀作を世に送りだし、ジャーナリストとしても活躍しておられる土井敏邦氏が、『福島は語る』という映画をつくられたそうです。その意図を、土井氏は公式サイトで次のように述べられています。
 原発事故から8年が過ぎました。日本は、2020年の東京オリンピックに向けて浮き足立ち、福島のことは「終わったこと」と片づけようとしているように感じます。しかし、原発事故によって人生を変えられてしまった十数万人の被災者たちの心の傷は疼き続けています。
 100人近い被災者たちから集めた証言を丹念にまとめました。その“福島の声”を、忘却しつつある日本社会に届けたいと願い、この映画を制作しました。
 まったくです。昨今では、東京オリンピックに加えて、新元号や新天皇の即位や十連休で大騒ぎしている日本社会。ほんとうに福島のことは、きれいさっぱり忘れてしまったようです。原発マフィアの皆さまの、ほくそ笑む顔が目に浮かびます。しかしこの事故のことは、絶対に忘れてはならない。問題の所在をはっきりさせておきましょう。それを明確に示してくれた中野敏男氏の一文を、『詩歌と戦争 白秋と民衆、総力戦への「道」』(NHKブックス1191)から引用します。
 …現在では、東日本大震災を前後して大きく問題化した二つのことが、あらためてその現状を厳しく照らし出すことになりました。
 その二つとは、ひとつは、普天間基地移転が焦点化する中であらためて問われている沖縄の過重負担という問題であり、もうひとつは、震災にともなう福島第一原子力発電所の事故に端を発した深刻な原子力災害のことです。わたしたちはいま、戦後に植民地主義の継続を考える際に、この戦後世界に作られていた「犠牲やリスクを不平等に配分する差別的な秩序」の存在に注目しました。ここまではそれをまずは冷戦状況下での東アジア地域の国際関係に即して見たのでしたが、そのような「犠牲やリスクの不平等」という差別はそれに限らず、「基地国家」とされるこの国の内外にさまざまに組織され、あるいは再編されて持続してきたと考えなければなりません。その中でも、過重な基地負担を強いられ続けている沖縄の問題と原発リスク負担を引き受けてきたフクシマの問題は、現在の日本社会にとって存立の基盤そのものに関わる、負担の深刻な差別的秩序の存在を露呈させたのでした。軍事基地の負担を沖縄に集中し、エネルギー供給に関わるリスクをフクシマその他に集中さしていればこそ、今日まで日本の他の地域の人々は、日常的にはそんな負担やリスクを意識しないままに「平和で豊かで安全な日本」であるという中央中心の自己認識をずっと維持してこられたわけです。そうであれば、これもまたひとつの植民地主義と言わねばならないのではないでしょうか。
 このように考えてくると、東日本大震災を経た今日、この日本は確かにひとつの大きな曲がり角に立っているということが分かります。大地震そのものは天災でしたが、それが重大な犠牲を強いつつ暴露してしまった事態は、「犠牲やリスクの不平等」を生むこんな差別的秩序に依存して進められてきた戦後日本の「経済成長」路線、この意味で植民地主義に立脚するこれまでの拡張路線の、手酷い破綻であるに違いありません。(p.287~8)
 そう、福島の原発事故を忘れてしまうと、沖縄の新基地建設強行に無関心だと、この「犠牲やリスクを不平等に配分する差別的な秩序」がこれからも未来永劫に続くということです。庶民を静かに抹殺しながら、一部の富者や強者が富み栄えるというこの社会が。
 過重なリスクを負わされて深刻な事故にまきこまれ、そして抹殺されつつある“福島の声”に耳を傾けることによって、このえげつなくいかがわしいシステムを体感したく思い、吉祥寺にある「ココロヲ・動かす・映画館◯」で見てきました。
 下記の八章仕立てで、計14人へのインタビューと、福島の美しい自然の映像で構成されています。『福島からあなたへ』の著者、武藤類子も登場されていました。

第一章 「避難」
 「自主避難」をめぐる家族間の軋轢と崩壊。他県で暮らす避難者たちと福島に残る人びととの乖離、避難生活の厳しさと苦しさに引き裂かれていく福島出身者たち。

第二章 「仮設住宅」
 4畳半一間での独り暮らす孤独感と先が見えない不安。「避難解除」され「仮設」を出ても、大家族が共に暮らす元の生活に戻れない絶望感。

第三章 「悲憤」
 「補償」の負い目と“生きがい”の喪失。「帰村宣言」で補償を打ち切られた生活苦と先の見えない不安と病苦。“自死”の誘惑が脳裡を過ぎる。

第四章 「農業」
 「福島産だから」と避けられる農産物。福島を想いながらも他県産を求める自責と葛藤。農家は“農業と土地への深い愛着”と、経営破たんの危機の間で揺れ動く。

第五章 「学校」
 避難し各地に離散した教え子たちに手書きの「学年便り」を送り続けた教師。差別を恐れ「原発所在地」出身だと名乗れない子どもたち。

第六章 「抵抗」
 水俣病と同様に被害を隠蔽し矮小化する国家の体質。“尊厳”のために闘う沖縄に、福島の闘いを重ね合わせる反原発運動のリーダーの抵抗。

第七章 「喪失」
 「帰還困難区域」となった飯舘村・長泥で、家と農地、石材工場を失った住民。追い打ちをかけるように、将来に絶望した跡取り息子を失う。原発事故で「人生を狂わされた」被災者の慟哭。

最終章 「故郷」
 「住民の一人ひとりの半生を全てを知る」故郷。「汚染されても美しい」故郷。原発事故が福島人に突き付けた“故郷”の意味。

 どのインタビューでも胸に突き刺さるような言葉が紡ぎ出されていますが、断腸の思いで二人だけ紹介します。
佐久間いく子さん
Q.生きていてもしようがないと思うことある?
うん。何回も思っている。ああ、今日逝くのかなあって。思う、思う。透析やっていると血圧が下がる。すると「ああ、もう、逝っていいや」って。
Q.どうしようもない気持ちに時々なるんだ?
時々じゃない。毎日ぐらい(笑い)。いい時なんて、ちっともない。
Q.何もかも失ったという気がする?
手足もぎとられたって感じかなあ。目に見えるものなら、掃いて集めて捨てるってこともあるけど、目に見えないものだから、これには困っちまうなあ。なんて言ったらいいのかなあ。どこさ、言っていいのかわからない。
Q.帰って生活もできない、コメも作れない。それで帰れって、補償を切る
死ねって言うみたい。
Q.そう聞こえるんだ?
うん。おめえら死んでもいいという感じだな。そうでしょ?

村田弘さん
 一言でいうと、(日本社会は)変わっていないと思います。国家が民衆に対応するときの姿勢は、基本的にまったく変わっていない。そのことが全く変わらず、また繰り返されようとしている結論に近いものを持っています。
 僕が駆け出し記者の頃、昭和42、43年ごろですが、朝日新聞・熊本支局にいました。当時、公害基本法などができて、「水俣の見直し」があった頃で、その取材をしていました。あそこで見たことも同じなんですよ。普通の人に被害が及ぶと、まずそれを隠す。(国は)チッソが水銀を放出していたことは最初、隠していた。それが隠しようがなくなると、それをごまかそうとする。それには学者も絡みます。それもごまかしきれなくなると、今度は範囲を狭める、矮小化する。被害を否定できなくなると、範囲を狭めるんです。それで矮小を認めて、問題を終りにしようとする。
 生活苦、病苦、孤独、先行きへの不安、軋轢、悔しさ、差別、絶望、分断、いじめ、希望、怒り。さまざまな語り口と表情で語られる福島の現状には、言葉もありません。東京オリンピックや新元号で浮かれている場合ではないでしょう。あらためて、この原発事故が多くの人びとの人生や暮らしを破壊し、美しく懐かしい故郷を破滅させたという事実に立ち竦む思いです。そして原子力マフィアや、この差別のシステムを駆動させている方々に対する瞋恚の焔が燃え上がります。J・M・クッツェーの卓抜な表現を借りると、彼ら/彼女らを「なろうことなら、ガラスをぶち破り、手を中まで伸ばしてやつをそのぎざぎざの破れ目から引きずり出し、やつの肉が尖ったガラスの先にひっかかってずたずたに切れるのも構わず、地べたに放り投げて外形もわからぬまでに蹴飛ばしてやりたいという衝動に駆られ」ます。(『夷狄を待ちながら』p.323 集英社文庫)

 そしてインタビュイーにこうした深く重い言葉を語らせた土井監督の手腕には敬意を表します。その背景について、プログラムに監督の言葉が載っていました。
 しかしそれまでのインタビュー映像を粗編集してつないでみると、自分の胸にストンと落ちる記録映像ではなかった。“胸に染み入る深さ”がないのである。
 原発事故後に自分や家族に起こった事象、今に至るまでの生活環境の変化、その中で抱え込んだ「問題」はある程度表現されてはいるが、語る人の内面、“深い心の傷”“痛み”が十分に引き出せてはいなかった。つまり「問題」は描けていても、その中で呻吟する“人間”が描き切れていなかったのである。
 そんな時、1冊の本に出会った。2015年度のノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシエービッチ著『チェルノブイリの祈り』である。
 この本は、事故から10年後に発表された事故被害者たちの証言集だ。そこにはアレクシエービッチ自身の解説はない。ひたすら被害者たちの生々しい語りが続く。しかもそれは単なる「事実の羅列」ではない。その言葉が、読む私の心に深く染み入るのだ。「被害者の証言」だけの作品なのに、なぜこれほどまでに私は衝撃を受けたのか。なぜこれほど読む者の心を揺さぶる語りを聞き出せたのか。どうすれば「事故の緊急リポートにすぎず、本質はすっぽり抜け落ちてしま」(アレクシエービッチ)わないドキュメントが生み出せるのか。私の“フクシマ”取材の行き詰まりを抜け出すヒントがここにあるような気がした。
 どんな過酷な事象や体験をも、「尊厳ある伝え方」で伝えていく。単に目の前に現れる、また語られる現象や事実を、ただ表象をなぞるのではなく、その本質と尊厳を見出す目。私が“フクシマ”取材に行き詰っていた原因はその欠落にあるのだろうか。それ以前に私は、“フクシマ”を伝えるためにこれまでに一体どれほどの「心のたたかい」をしてきただろうか。
 それでも私は、ここでおずおずと引き下がりたくはないと思った。「自分にはできない」と投げ出すことは、「心のたたかい」を放棄し自身の尊厳を放棄することに等しいことだからだ。
備わった資質もない私でも、“伝え手”としてできることがあるはずだ。「一人ひとりの人間が消えてしまったように」されていく国内の現状の中で、「個々の人間の記憶を残すこと」はこんな私でもいくらかはできるはずだ。
 アレクシエービッチにはなれなくても、『チェルノブイリの祈り』ほどの記録は残せなくても、私なりに「“フクシマ”の記憶と記録を残す」ことはできるはずだ。「福島は語る」はそういう試行錯誤と暗中模索の中で、かたちとなった作品である。
 そうか、スベトラーナ・アレクシエービッチに触発されたのか。私も、彼女の著作は『チェルノブイリの祈り』(岩波現代文庫)、『ボタン穴から見た戦争』(岩波現代文庫)、『戦争は女の顔をしていない』(岩波現代文庫)を読んだので、土井監督の想いがよくわかります。本質を見極める明晰な頭脳と、人間の尊厳に敬意を払う温かい心。

 福島を、そして沖縄を忘れることは、犠牲となった方々を抹殺することです。そしていつか自分も抹殺されることです。いや、もうすでに抹殺されつつあるのに、気づかないだけなのかもしれません。誰かを犠牲にして維持されるこのおぞましいシステムを止めましょう。できるのか? できます。このシステムは、私たちの知的および倫理的怠惰を燃料としているのですから。福島の悲劇を忘れてオリンピックや新元号に現を抜かす私たちの倫理的怠惰に、強烈な喝を入れてくれる必見の映画でした。お薦めです。

 追記です。『チェルノブイリの祈り』でドッグ・イヤーを折ったところを読み返すと、福島との共通点が多いことにあらためて気づきます。
セルゲイ・ワシーリエビッチ・ソボリョフ
 国は詐欺師ですよ、この人たちをみすててしまった。(p.146)

ゾーヤ・ダニーロブナ・ブルーク
 私はすぐには分からなかった。何年かたって分かったんです。犯罪や、陰謀に手を貸していたのは渡したち全員なのだということが。(沈黙) (p.189)

 人間は、私が思っていた以上に悪者だったんです。(p.189)

 ひとりひとりが自分を正当化し、なにかしらいいわけを思いつく。私も経験しました。そもそも、私はわかったんです。実生活のなかで、恐ろしいことは静かにさりげなく起きるということが。(p.190)

ビクトル・ラトゥン
 わが国の政治家は命の価値を考える頭がないが、国民もそうなんです。(p.214)

ワシーリイ・ボリソビッチ・ネステレンコ
 私は人文学者ではない。物理学者です。ですから事実をお話ししたい。事実のみです。チェルノブイリの責任はいつか必ず問われることになるでしょう。1937年〔スターリンによる大粛清〕の責任が問われたように、そういう時代がきますよ。五〇年たっていようが、連中が年老いていようが、死んでいようが、彼らは犯罪者なんです! (沈黙) 事実を残さなくてはならない。事実が必要になるのです。(p.237)

ナターリヤ・アルセーニエブナ・ロスロワ
 でも、これもやはり一種の無知なんです。自分の身に危険を感じないということは。私たちはいつも〈われわれ〉といい〈私〉とはいわなかった。〈われわれはソビエト的ヒロイズムを示そう〉、〈われわれはソビエト人の性格を示そう〉。全世界に! でも、これは〈私〉よ! 〈私〉は死にたくない。〈私〉はこわい。チェルノブイリのあと、私たちは〈私〉を語ることを学びはじめたのです、自然に。(p.253)

by sabasaba13 | 2019-05-08 06:25 | 映画 | Comments(0)
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