![]() さて、はじまりはじまり。数々の名盤を残したジャズ・ピアニスト、ビル・エヴァンス(1929~80)の51年の生涯を辿ったドキュメンタリー映画です。幅広い分野でドキュメンタリーを撮ってきたブルース・スピーゲル監督が、8年の歳月を費やして制作しました。ビル本人の肉声や映像・写真、演奏シーンを中心に、彼と共演したジャズマンたちへのインタビューをまじえて、「時間をかけた自殺」とも言われる彼の人生を再現していきます。そのインタビュイーの顔ぶれが凄い。トニー・ベネット、ジム・ホール、ポール・モチアン、ゲイリー・ピーコック、ボブ・ブルックマイヤー、ジャック・ディジョネット… 綺羅星の如き名プレイヤーたちの映像を見られただけでも来た甲斐があったというものです。それにしても、端正な容姿とリリカルな演奏からは想像もつかないほど、凄絶な人生だったのですね。放埓な女性関係と重度の薬物中毒、兄や愛人の自殺、はじめて知ったことばかりでした。彼を奈落の底へ落としたのは麻薬だと思いますが、あれだけの技術と才能を持ちながらなぜ麻薬にのめりこんでいったのか、その探求があまりなかったことに物足りなさを感じました。プログラムに掲載されていた監督の話に、そのヒントがあるような気がします。黄金のトリオを組んだ、ドラマーのポール・モチアンへのインタビューです。 「知っているかい?」とポールは言いました。「ビルは自分がすばらしいピアノ・プレイヤーだと思っていなかった。才能があると思っていなかった」萎縮? あれほどの才能と技術がありながら、何を恐れていたのでしょう。彼が麻薬に溺れた理由はこのあたりにありそうです。映画の最後で、歌手のトニー・ベネットが、エヴァンスから「美と真実を追求し、他のことは忘れろ」とアドバイスを受けたそうです。美と真実… 美はわかりますが、彼にとっての真実とは何だったのでしょうか。たしか映画の中で彼は、「1音を弾くごとに、自分が見えてくるんだ」と言っていたのですが、本当の自分を音楽で表現することではなかったかと想像します。口で言うのは簡単ですが、これは至難なことでしょう。本当の自分とはどういうものか。それが醜く卑小なものだったらどうするのか。おそらく彼は一切の妥協を排して自分を凝視し、それを音楽で表現しようとして、その重圧にしばしば押しつぶされたのではないか。そして麻薬へと逃避したのではないか。 この映画のもう一つの見どころは、何と言っても素晴らしい演奏のシーンです。鍵盤に食い入るように前かがみとなる独特の姿勢から紡ぎ出される美しいメロディ。あれは、本当の自分と対話しようとしているのかもしれません。とくに、スコット・ラファロ(ベース)とポール・モチアン(ドラムス)と組んだ黄金のトリオの映像には、感無量でした。三者が三様に自己を表現しながら、一つになって対話をしているかのような見事な演奏。中でも、低音弦楽器奏者の末席を汚す者として、スコット・ラファロの演奏には脱帽です。卓抜なテクニックと類まれなる歌心、私が憧れるミュージシャンの一人です。スピーゲル監督は、下記のようなポール・モチアンの話を紹介してくれました。 私がインタビューした多くの人たちは、とても嬉しそうにビルのことを話してくれたのですが、ポールはもっと話したくて、ビル、スコット、ポールが『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』をライブ録音した、1961年6月11日の運命的なギグについても語ってくれました。その日曜日には、何か魔法のようなとても美しいことが起こったのです。トリオ・レコーディングについてのビル、スコット、ポールそれぞれの違ったビジョンが頂点を迎え、音楽への異なるアプローチがありました。それぞれの楽器が、彼らの音楽の中で互いに依存せずそれぞれがソロをとるなかで、楽器の新たなそしてより新鮮な独自性が生まれました。音楽は進化の新たな章を奏でたのです。この時のライブ演奏が、『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』と『ワルツ・フォー・デビイ』という二枚のレコードで聴けるとは何て幸せなのでしょう。ありがとう、オリン・キープニューズさん。しかし、その数週間後に、スコット・ラファロが交通事故で亡くなるという悲劇が起こり、このトリオは消えてしまいます。 音楽の素晴らしさとジャズの奥深さを堪能できた映画でした。お薦めです。
by sabasaba13
| 2019-05-22 07:19
| 映画
|
Comments(0)
|
自己紹介
東京在住。旅行と本と音楽とテニスと古い学校と灯台と近代化遺産と棚田と鯖と猫と火の見櫓と巨木を愛す。俳号は邪想庵。
カテゴリ
以前の記事
2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 お気に入りブログ
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||