『新聞記者』

『新聞記者』_c0051620_1852060.jpg 最近、『記者たち』、『スパイネーション/自白』、『共犯者たち』、『ペンタゴン・ペーパーズ』など、国家権力と闘う気骨あるジャーナリストの映画を立て続けに見ました。韓国やアメリカに比べて、日本ではこうした映画が見当たりません。気概に溢れるジャーナリストがいないわけではないと思うのですが、ほんとうに残念です。
 と思ったら、『新聞記者』という、映画が公開されました。公式サイトからストーリーを引用します。
 東都新聞記者・吉岡(シム・ウンギョン)のもとに、大学新設計画に関する極秘情報が匿名FAXで届いた。日本人の父と韓国人の母のもとアメリカで育ち、ある思いを秘めて日本の新聞社で働いている彼女は、真相を究明すべく調査をはじめる。一方、内閣情報調査室官僚・杉原(松坂桃李)は葛藤していた。「国民に尽くす」という信念とは裏腹に、与えられた任務は現政権に不都合なニュースのコントロール。愛する妻の出産が迫ったある日彼は、久々に尊敬する昔の上司・神崎と再会するのだが、その数日後、神崎はビルの屋上から身を投げてしまう。真実に迫ろうともがく若き新聞記者。「闇」の存在に気付き、選択を迫られるエリート官僚。二人の人生が交差するとき、衝撃の事実が明らかになる! 現在進行形のさまざまな問題をダイレクトに射抜く、これまでの日本映画にない新たな社会派エンタテインメント! あなたは、この映画を、信じられるか―?
 これは是が非でも見てみたい。さっそく山ノ神を誘って板橋のイオンシネマに行きました。平日の昼間だというのにほぼ満席だったのには驚きました。冒頭、東京新聞記者の望月衣塑子氏、元文部科学省事務次官の前川喜平氏、元ニューヨークタイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏による鼎談が、テレビで放映されている場面がありました。これでこの映画が本気で、安倍政権の暗部を暴こうとしているのが否が応でもわかります。また劇中で首相の姿はおろか、名前もいっさい出てこないのも見事なアイデアです。下手に"鈴木首相"や"佐藤首相"などと仮名を使って役者に演じさせると、リアリティが薄れます。官邸からの攻撃に対するガードを固めながらも、この首相は安倍晋三氏以外の者ではありえないと確信させる演出でした。
 愚直に粘り強く真実に迫ろうとする吉岡記者を演じたシム・ウンギョンも良い演技でした。彼女の「私たち、このままでいいんですか」という言葉は忘れられません。首相の政敵を潰すという職務と、正義感・倫理感との葛藤に悩む官僚・杉原役の松坂桃李も見事な演技でした。
 大学新設計画に隠された驚愕すべき秘密、計画を記したファイルを隠し撮りする緊迫したシーンなど、エンタテイメント映画としても十分に楽しめました。ところどころでハンディ・カメラの手振れ感を効果的に使い、その場に居合わせているかのような臨場感と、不安感・緊張感を醸し出しています。
 そしてこの映画のほんとうの主人公は、内閣情報調査室(内調)かもしれません。反政府運動を監視するために参加者の顔を撮影し、首相の政敵を社会的に抹殺するためにフェイク情報を流し、官邸に利するためにSNSを炎上させるなど、その下劣さとおぞましさには吐き気を催しました。内調を体現する多田部長(田中哲司)の、冷血で凄みのある演技も光りました。あの凡庸で愚昧な首相を支えているのは、こうした有能な官僚たちなのだなと得心しました。「民主主義なんて形だけでいいんだ」という多田の言葉は、多くの官僚たちが共有している思いでしょう。われわれが民衆にコントロールされるのではなく、その逆であるべきだ、と。
 なお『しんぶん 赤旗 日曜版』(19.7.14)に、板倉三枝記者による河村光庸(みつのぶ)プロデューサーへのインタビューが掲載されていたので、引用します。
 企画が具体的に動き出したのは2年前。直接のきっかけは、官邸による元TBSワシントン支局長のレイプ疑惑もみ消し事件でした。安倍晋三首相と親しい人物です。被害者は元支局長への逮捕令状が出たにもかかわらず、逮捕が見送られたと告発しています。
 「異常事態が起きていると思いました。権力はここまでやるのかと。この間、政権がひっくり返ってもいい大事件が何度も起きています。にもかかわらず誰でもわかるようなウソで終わりにしている。それはどのような仕組みでそうなっているのか、まず知ってほしいと思いました。
 焦点をあてたのは安倍政権の下、暗躍しているといわれている官邸直轄の情報機関「内閣情報調査室」(内調)。安倍政権が最も触れてほしくないことがここにある、と感じたからです。
 「調査でわかったのは、この国の警察国家化です。内調が公安を使ってさまざまな情報を吸い上げ、官邸がそれを政敵つぶしに利用している。かつては多様性が自民党の特徴だったのに安倍首相は一元化をはかり、少数の側近による官邸独裁政治を進めています」 (中略)
 「公開を参議院選挙の公示前にすることは企画段階で決めていました。皆さんが政治に関心を持ち始める時期。自民党の方にもぜひ見てほしいですね」
 なお『週刊金曜日』(№1232 19.5.17)に掲載された森功氏のインタビューによると、内閣情報調査室(内調)トップの北村滋内閣情報官は、公安警察出身の官僚なのですね。(p.22) 下記のような分析がありましたので紹介します。
-具体的に「弊害」とは。
 官邸が政権を守ろうとするあまり、官僚の人事権を掌握した上で霞ヶ関からネガティヴな情報が漏れないように統制を強めた結果、官僚がメディアの取材に答えにくくなっているのです。というか、取材に応じなくなりましたね。実名もそうですが、匿名でメディアの取材に応じると、すぐ内部で「犯人探し」が始まるようになった。「誰がしゃべったんだ」と。さすがに公安を使うことはないようですが、以前は官僚としての気概で政権の政策や人事を批判するような勇気のある人たちがいました。ところが、官邸がそうした官僚に目星を付けて呼び出すようなことも行なわれています。もともと官僚は時の政権の顔色をうかがって仕事をするのですが、その度合いがひどくなってもはやブレーキが利かない状態です。杉田(※内閣官房)副長官が、霞ヶ関を強権的に抑え込んでいるためではないでしょうか。

-そういう官邸のやり方が、森友・加計両疑惑を生んだ。
 まったくその通りで、「安倍一強」の歪みでもあるのですが、行政が間違っても官邸の思うようにすべてが進んでいき、問題を問題としてはっきりさせることができなくなっています。問題が起きても、安倍首相を守るためにはどうすればいいかという機能が優先して働いて、実際に何が起きたかの事実解明が押さえ込まれてしまう。森友学園疑惑にしても、これは明らかに財務省の背任行為であり、公文書の偽造という重罪まで行なわれているのに、それが上からの指示だったのか、あるいは忖度であったのかすらよくわからなくなっています。

-杉田・北村両氏は安倍首相を守っているつもりかもしれませんが、政治が腐りますよね。
 問題が起きても事実関係がはっきりしないので、自浄努力が進みませんから。厚生労働省の毎月勤労統計調査の改竄問題にしても、明らかに「アベノミクス」の失敗を隠すためにやったと思われますが、実際になぜそうなったかは見えてこない。国民にすれば、「安倍政権に何か問題がある」と薄々気が付いても、実際はよくわからないので「仕方がない」とあきらめるような心理に陥ってしまいます。

-安倍首相が、この2人の官僚に指示してやらせていると?
 いや、そうではないでしょう。そもそも安倍首相は政策に強くないですから。むしろ、杉田・北村両氏が首相の意向を汲んでやっている。首相のトップダウンではないし、かといって首相を無視して官邸の官僚が好き放題しているのでもありません。ただ、2013年に成立した特定秘密保護法は以前から外事公安畑の悲願で、北村内閣情報官が安倍首相に進言していたという経緯があります。首相自身は「支持率が下がる」と、乗り気ではなかったようですが。

-戦争法(安保関連法)もそうですが、この両氏は権力が暴走する怖さを知らないのでは。
 警察官僚とはそんなものですよ。むしろ、自分たちの権力がまだ足りないくらいのことを思っているのでは。本来なら警察官僚が前のめりになる傾向を抑えることに政治の役割があるはずなのですが、今時の政治家は勉強しませんからね。政治の側の官僚に対するチェック・アンド・バランスができていない点が、憂慮すべきと思っています。(p.23)
 この映画で忘れられないシーンの一つが、内調に所属する官僚たちの働きぶりです。エリート然としたスーツ姿の官僚たちが、私語も交わさず笑顔も見せず、首相の政敵を抹殺するためにコンピュータのディスプレイを凝視ながら黙々とキーボードを叩くその姿には恐怖すら覚えてしまいました。まるでゲームをしているような様子で倫理に悖る行為を平然とこなす官僚たち。昨今における官僚たちの、首相への"忖度"ぶりを象徴するような姿です。余談ですが、『同調圧力』(望月衣塑子/前川喜平/マーティン・ファクラー 角川新書)の中で、ファクラー氏はこう述べられていました。
 外国人には摩訶不思議に感じられる「忖度」だが、映画やテレビドラマを含めた日常生活でよく使われるスラングのなかに似たようなものがある。
 そのひとつが「kiss ass」だ。おべっかを使う、ゴマをする、あるいは媚びへつらうといった行為を揶揄するときに用いられる。イエスマンを揶揄する単語としても、意味が通じるだろう。(p.145~6)
 官僚たちが何の痛痒も葛藤もなく、首相の尻の穴に接吻ができるのか。『「安倍晋三」大研究』 (望月衣塑子 KKベストセラーズ)の中で、内田樹氏が見事な分析をされているので紹介します。
 安倍マイレージ・システムでポイントを貯めたいなら、政府の政策の適否についての評価はしない、ということです。首相を支持すると必ず良いことがあり、反対すると必ず悪いことがある。そして、誰でもが「それは良い政策だ」と思えるような政策を支持するよりも、「それはいくらなんでも…」と官僚たちでさえ絶句するほど不出来な政策を支持するほど与えられるポイントは高くなる。だから、高いポイントをゲットしようとすれば、官僚たちは「できるだけ不出来な政策を、できるだけ無理筋の手段で」実現することを競うようになる。森友・加計問題で露呈したのは、まさにそのような官僚たちの「ポイント集め」の実相だったんじゃないですか。
 安倍政権はこの六年間でほんとうに見事な仕組みを作り上げたと思います。自分でやっているのはただ査定することだけなんです。そうすると、官僚たちが高いスコアを求めて、自主的に官邸が喜びそうなことをやってくれる。別に特高や憲兵隊が来て、反対派を拉致して、拷問して…というような劇的なことが起きているわけじゃないんです。でも、官邸の覚えがめでたい人たちは、政治家でも、官僚でも、ジャーナリストでも、学者でも、必ず「いい思い」ができる。これはほんとうに正確な人事考課が行われています。(p.254~5)
 というわけで、日本における政治の劣化とおぞましさを見せつけてくれる、必見の映画です。一人でも多くの人が見て、投票所に足を運んでくれることを切に望みます。結局、政治がここまで堕落したのも、あの御仁に権力を与え続けている有権者の責任ですから。前掲書で内田氏はこう述べられています。
 でも、問題は彼の独特のふるまいを説明することではありません。嘘をつくことに心理的抵抗にない人物、明らかな失敗であっても決しておのれの非を認めない人物が久しく総理大臣の職位にあって、次第に独裁的な権限を有するに至っていることを座視している日本の有権者たちのほうです。いったい何を根拠にそれほど無防備で楽観的にしていられるのか。僕にはこちらのほうが理解が難しい。(p.209~10)
 追記です。exciteニュースによると、この映画の女性記者役決定がたいへんに難航したそうです。最初は女優の宮崎あおいや満島ひかりにオファーしていたのですが、この映画に出演すると"反政府"のイメージがついてしまうため断られたとのこと。大手事務所に所属の女優さんは誰もやりたがらなかったそうです。だからしがらみのない韓国人の女優さんに決まったというのですね。マイナス・イメージを恐れただけなのか、あるいは官邸からの有形無形の圧力があるのか。ぜひ知りたいところです。このままだと国家権力と闘う気概にあふれた映画の主演俳優はすべて外国人になってしまいます。
 その意味では、主演男優を引き受けた松坂桃李氏は称賛に値します。こういう俳優をみんなで応援していきたいものです。
by sabasaba13 | 2019-07-16 06:17 | 映画 | Comments(2)
Commented by omachi at 2019-07-23 20:55 x
お腹がくちくなったら、眠り薬にどうぞ。
歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)

読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。
Commented by sabasaba13 at 2019-08-13 17:22
 こんにちは、omachiさん。有益な情報をありがとうございました。機会があったら読んでみたいと思います。
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