宇都宮編(7):宇都宮・鹿沼(15.12)

 そして宇都宮大学に到着、お目当ては峰ケ丘講堂という古い校舎です。宇都宮大学の前身である宇都宮農林学校の講堂として1924(大正13)年に竣工されました。ファサードのアール・デコ風装飾、リズミカルに連なる三角破風、車寄せの柱など、洒落た意匠にあふれた瀟洒な建築でした。校内には大谷石造りの倉庫が散見されました。なおこちらの大学のオリジナルキャラクターが、脱力感にあふれる「宇~太」。でもこの安っぽさが、そこはかとなく気持ちを和ませてくれます。東日本大震災や福島原発事故の救済のために使われるべき私たちの血税を湯水のように注ぎこんで、東京オリンピックのために考案させたマスコット「ミライトワ」「ソメイティ」のあざとさに比べれば提灯と釣り鐘です。
c0051620_1817919.jpg

 それでは新鹿沼へと向かいましょう。大学の近くにスフィンクスらしき石像が置かれていましたが、どういう由緒なのでしょう。ご教示を乞う。宇都宮駅近くの公衆便所は、大谷石造りの豪奢な建物でした。
c0051620_18175147.jpg

 宇都宮駅から湘南新宿ラインに乗って小山へ、両毛線に乗り換えて栃木へ、東武日光線に乗り換えて新鹿沼に着きました。以前に鹿沼にある川上澄生美術館を訪れたことがありますが、新鹿沼ははじめてです。駅前には幽鬼のように立つ松尾芭蕉の木像がありましたが、チェーンソーによるアートでした。解説を転記します。
「ようこそ鹿沼に」 チェーンソーカービング 松尾芭蕉像

 私、松尾芭蕉は、今から325年前、元禄2年3月29日(旧暦)に、おくのほそ道の道中、曾良とともにここ鹿沼に一泊しました。
 千住(足立区)を矢立て初めの地とし、一泊目は春日部、翌日間々田に泊まって室の八島(栃木市)を訪ね、三泊目が鹿沼でした。今走っている特急スペーシアの停車駅と同じ間隔で宿をとってきたことになりますね。

 その日の夕暮れ、私は「入りあいのかねもきこえすはるのくれ」と詠みました。その句碑を屋台のまち中央公園の掬翠園に建てていただきました。笠が傷んでしまったので西鹿沼町の光太寺置いていきました。お寺にはごていねいにその笠塚をつくって供養していただき、そこには、私の弟子たちが何人も訪れ碑等を立てたそうです。今宮神社や銀座二丁目の薬師堂、永野の大越路峠にも、私に縁の句碑等があります。
 私は、蕎麦やこんにゃくが好きでした。鹿沼の特産ですが、あの時蕎麦を食べたかどうかは忘れてしまいました。今は「芭蕉のそば屋」というお菓子もあるんですね。
 鹿沼は「木のまち」として昔から有名です。この像は、地場産の杉材で市内のチェーンソーアーティスト小林哲二さんにチェーンソーだけで彫ってもらいました。「まちの駅"新・鹿沼宿"にも小林さん作の私と曾良の像があります。

 東武鉄道でお越しみなさん、鹿沼は、私芭蕉が日光に向かう前の日に宿をとりお世話になった町です。ぜひ、句碑等を訪ね、お蕎麦などを食べながら彫刻屋台等の伝統文化や美しい自然を満喫する旅を楽しんでください。
 駅前広場には、岡本太郎の「たわわに実る夢の樹」という彫刻がありました。
c0051620_18191625.jpg

 本日の一枚です。
c0051620_18194299.jpg

by sabasaba13 | 2019-08-05 08:10 | 関東 | Comments(0)
<< 8月6日に寄せて 宇都宮編(6):宇都宮(15.12) >>