坂本繁二郎展

c0051620_21441940.jpg 最近、山ノ神がピアノの発表会にむけて、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」の練習に一所懸命取り組んでいます。私が持っているヴィルヘルム・バックハウスのCDを時々聞いて溜息をつきながらも、不撓不屈、傍から見ても感心するほどの集中力で日々鍵盤に向かっています。テンポはかなりゆっくりなのですが、先日、ほぼノー・ミスで弾き通しました。ブラービ…と言う代わりに思わず放屁してしまいました。すると山ノ神曰く、「なんだ、おなら一つか」 小生曰く「いや、五つ屁に値する演奏だったけど、部屋が臭くなると思って自制したんだ」 などという夫婦漫才はさておき、彼女が所属するテニス・サークルの知人から、練馬区立美術館で開かれている坂本繁二郎の展覧会が良いという話を聞いたそうです。さかもとはんじろう… 馬の絵… finite 嗚呼、情けなや情けなや、これしか思い浮かびませんでした。その方の審美眼を信じ、そして地元の美術館を応援するため、自転車にまたがり二人で行くことにしました。まずは練馬駅近くのソバ屋「176」で天丼とせいろをいただいて腹ごしらえ。再び自転車にまたがり、練馬区立美術館に到着しました。公式サイトより、展覧会の紹介文を引用します。
 坂本繁二郎(1882‐1969)は福岡県久留米市に生まれます。同級生に青木繁(1882‐1911)があり、互いに切磋琢磨する青年期を過ごしています。20歳で青木を追うように上京。小山正太郎の主宰する不同舎に学び、展覧会出品作が数々の賞を受けるなど順風満帆な画業をスタートさせます。39歳の時に渡仏し3年間の留学生活を終えると、その足で家族の待つ久留米に帰ります。以降、画壇の煩わしさを避け、郷里にほど近い八女にアトリエを構え、文人のごとき作画三昧の生活を送ることとなります。戦後になって、九州の彼の地で戦前と変らぬ穏やかさをたたえた作品を制作し続けていた坂本が"発見"されます。坂本の人となりと作品は瞬く間に人々の注目と喝采を浴びる存在となり、74歳の時に文化勲章を受章するにいたります。
 坂本は、ヨーロッパ留学までは牛を、帰国後は馬を、戦後は身の回りの静物、最晩年は月を主なテーマとして取り上げます。限られたテーマを描き続けた坂本の作品は、同じモティーフを取り上げながらも一つ所に留まることはなく、主題は平凡でありながら、精魂を傾け仕上げられた画面は厳かな静謐さを秘めています。「描きたいものは目の前にいくらでもある」という言葉は、奇をてらうことのなく、自然と向き合い対象を凝視する彼の作画態度を表した言葉といえましょう。
 本展は、坂本の最初期から晩年まで、彼の絵画が成熟していく過程を人生の歩みとともに明らかにしていくものです。約140点の油彩、水彩、水墨画等に加えて、互いに磨きあい、支えあった盟友、青木繁の作品も合わせて展示します。
 喜ぶべきか悲しむべきか、来館者は少なく、じっくりと鑑賞することができました。牛、馬、自然、人物を描いた絵もいいのですが、やはり真骨頂は静物画でした。「描きたいものは目の前にいくらでもある」という彼の言葉どおり、題材は身の回りにある何の変哲もない物ばかりです。能面、箱、本、卵、柿、茄子、植木鉢、毛糸、人形、鋏、モーター… なおモーターは変哲がありますが、これはモーター会社に依頼されたそうです。さすがに描くのには苦労したそうですが、それでもちゃんと一幅の絵になっているのはさすがですね。
 ぬくもりを感じさせる暖かいタッチと色、静謐な雰囲気など、実に魅力的な静物画の数々でした。さらに描く対象の配置や置き方を変えて、全体の構図についても細心の注意を払っていることがわかります。一番気に入った絵は「達磨」です。目は黒丸、口はへの字に結んだ愛くるしい達磨の人形を、暖色系の色で描いた作品です。後ろには図案化された「起」という字が描かれていますが、「七転び八起き」というメッセージですね。解説によると、知り合いの飲食店主人が苦境に陥ったときに、彼を励ますために描いたそうです。また、帰郷を歓迎してくれた裁縫学校女子生徒のために描いた「鋏」という作品もあります。彼は、絵というものが、画家の気持ちを伝え、相手を励ましたり喜ばしたりする力があると信じていたのでしょう。心が静かにあたたまる、喜ばしい展覧会でした。

 もし彼が生きていたら、山ノ神を励ますために「ピアノ」という作品を依頼したかったのですが、どんな絵を描いてくれたことでしょう。叶わぬ夢なので、「達磨」の絵葉書を買って、そっとピアノの上に飾っておきました。
by sabasaba13 | 2019-08-25 09:06 | 美術 | Comments(0)
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