鎌倉錦秋編(3):建長寺・寿福寺(15.12)

 鎌倉街道をすこし走って浄智寺へ。鎌倉五山の第四位で、北条宗政の妻と子の師時が1281(弘安4)年ごろに創建しました。苔むした石段と上に鐘楼のある山門が印象的ですが、モミジはそれほど多くありません。
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 横須賀線の踏切を渡って、鎌倉街道をさらに進むと建長寺に到着。鎌倉五山の第一位で、北条時頼が1253(建長5)年に宋から蘭渓道隆を招いて創建した古刹です。こちらもモミジは多くはありません。仏殿の前にある樹齢約730年のビャクシンの古木は一見の価値あり。おっ、境内では坊さんたちが餅をついて参拝客に配っていました。
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 すぐ近くにある長寿寺は、錦秋の週末のみ特別公開される紅葉の隠れ名所と聞いたのですが、残念ながら特別拝観は先週で終わっていました。再訪を期しましょう。門から、きれいに色づいた紅葉を撮影しました。
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 それでは亀ヶ谷切通しを通り抜けて海蔵寺へ向かいましょう。途中に「田中智学師子王文庫趾」という石碑がありますが、田中智学、宮沢賢治や石原莞爾に大きな影響を与えた日蓮宗の宗教家で、国柱会を主宰した方ですね。余談ですが、関東大震災時の朝鮮人虐殺を調べている時に、朝鮮人排撃を主張し「鮮人暴動」など無根の報道を流布する『天業民報』を彼が発行していたことを知りました。
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 ふたたび横須賀線の踏切を渡って少し走ると、海蔵寺に着きました。知る人ぞ知る「花の寺」ですが、モミジはあまりありませんでした。無念。
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 また踏切を渡って常光明寺へ。こぢんまりとした小さなお寺さんですが、綺麗な紅葉を愛でることができました。観光客もなく、静謐な雰囲気がいいですね。ちょっとした穴場でした。
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 またまた踏切を渡って寿福寺へ。1180(正治2)年に、源義朝の居館跡に北条政子が創建した古刹で、鎌倉五山の第三位です。紅葉はあまりありませんが、並木の中を通る長い参道とリズミカルな桂敷きの敷石が見たくてしばしば立ち寄ります。新緑の頃は、とりわけ美しい光景です。なお墓地には源実朝、北条政子の墓と伝えられる五輪塔、陸奥宗光、高浜虚子、大佛次郎などのお墓があるそうです。
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by sabasaba13 | 2019-09-03 06:22 | 関東 | Comments(0)
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