報国寺は境内の1000本の孟宗竹林で有名な「竹の寺」です。期待はしていませんでしたが、やはり紅葉はあまりありません。なお「やぐら」がありましたが、報国寺の開基である足利家時や永享の乱で自刃した足利義久のものだそうです。
それでは安国論寺へと参りましょう。久しぶりに迫力ある釈迦堂切通しをくぐれるなと、旧友に再会するような気持ちで向かいます。洞門のような切通しゆえ崖崩れの危険があり、通行禁止となっているのですが、そこはそれ、蛇の道は蛇と言いますか…むにゃむにゃ… ん?
前回は通行禁止の看板が一枚だけだったのですが、今回は行政当局の断固たる不退転の決意を示すように五枚に増殖しています。ただならぬ妖気を感じますね。近所の方はどうしているのでしょうか、しばらく紫煙をくゆらして待っていましたが誰も現れません。よろしい、×××××××、×××××××××××××。
途中に「日蓮上人辻説法跡」という記念碑がありました。後学のために解説を転記しておきます。
日蓮上人は建長5年(1253)、安房(千葉県)から鎌倉に来て、松葉ヶ谷(まつばがやつ)(現在の長勝寺、安国論寺の辺り)に草庵を結びました。
鎌倉時代、この辺りは武士の屋敷と商家町が混在した地域と考えられ、毎日のようにこの辺りを訪れて、法華経の功徳を説く辻説法を行ったと伝えられます。
文応元年(1260)、五代執権・北条時頼に提出した『立正安国論』が原因で、松葉ヶ谷の草庵は焼き討ちされました。
この辺りの道路は、道幅も歩道も狭く、自転車で走るのに難渋しました。たまたま持参した本が奇しくも『自転車に冷たい国、ニッポン 安心して走れる街へ』ですが、ほんとにその通り。人間や環境について本気で考えるのであれば、行政は自転車をもっと厚遇し、自動車をもっと冷遇すべきだと思います。
本日の一枚は、安国論寺へ行く途中で見かけた紅葉です。