福井・富山編(13):福井(16.3)

 それでは「橋本左内生家跡」へと参りましょう。途中で路面電車と並走、路面電車が走っている町ってどこかホッとします。道路は、あの「悪魔の機械」の独占物ではありません、断じて。昔懐かしいコンクリート製のごみ箱を見かけましたが、もう使われていないようです。
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 そして「橋本左内生家跡」に到着。解説を転記します。
 景岳左内先生は天保5年3月11日藩医橋本長綱の長男として此の地に生まれた名を綱紀・別名黎園(けいえん)ともいった。常盤の井は生ぶ湯の井戸である。
 幼少から学問を好み藩儒吉田東篁(とうこう)に儒学、大阪の緒方洪庵江戸の坪井信良杉田成卿等に蘭学を修めた。
 有名な「啓発録」は15才の時自戒のために書いたものである。
 嘉永6年ペルリ来航以来国事多難となり松平春嶽公の側近に加えられたが公の幕政改革は井伊直弼と相容れず安政6年江戸伝馬町の獄内にで26才の短かい生涯を終えた。
 なお「左内先生 初湯の井」がそばにありました。
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 その近くにあったのが「中根雪江宅跡」、解説を転記します。
 幕末福井藩の名主松平春嶽帷幕の老臣として知られた雪江中根靫負の宅跡である
 大学のゼミナールで、彼の『丁卯日記』を輪読した記憶がよみがえりました。松平慶永(春嶽)の片腕として、一橋慶喜の擁立、公武合体運動に奔走した側用人ですね、たしか。
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 なおまったくの余談ですが、『宇垣一成 政軍関係の確執』(渡邊行男 中公新書1133)を読んでいたら、春嶽の子息が、陸軍によるクーデター未遂計画「三月事件」(1931)に関わっていたことがわかりました。へえー。
 一見してお粗末な計画(※三月事件)だが、大川(※周明)はこの計画で「数万金を費した」し、その金の出所は「華族階級の者」であった。大川に金を出したのは徳川義親侯爵で、この三十七万円とも五十万円ともいわれる金は、戦後、日本社会党創立のために使われた(矢次一夫 『昭和動乱私史』)。
 徳川侯はあの幕末の賢侯越前藩主松平春岳の五男で、"トラ狩りの殿様"として有名だった。父の血をひいて革新好みの性格であったろうといわれる。(p.74~5)

by sabasaba13 | 2019-09-25 06:21 | 中部 | Comments(0)
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