福井・富山編(32):福井(16.3)

 北陸本線に乗ること十四分ほどで福井駅に到着。駅構内に「福井市宣伝隊長朝倉ゆめまる」というご当地キャラクターのポスターがありました。越前国を拠点とし、後に発展して戦国大名となった越前朝倉氏のことでしょう。
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 駅前には、虎(猫?)と狸のガードレール・アニマルがありました。
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 そして北の庄城址公園・柴田神社へ、戦国時代の武将・柴田勝家とその妻・お市(織田信長の妹)を祀る神社です。このあたりは勝家の居城であった北ノ庄城の跡地とされ、境内には発掘された当時の城の石垣も展示されていました。
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 なおこちらには、茶々、初、江の三姉妹彫像が設置されていました。兄である織田信長の命令で浅井長政に嫁いだ市が生んだ三姉妹ですね。やがて長政と信長は対立、1573(天正元)年の小谷城の戦いで敗れた長政は切腹、その後、市は柴田勝家と再婚し、三姉妹と共にここ北ノ庄城に入りました。1583(天正11)年の賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れて北ノ庄城は落城、勝家と市は自害し、三姉妹はそれぞれ数奇な生涯を過ごします。
 茶々(淀殿)は豊臣秀吉の側室となり、嫡男・豊臣秀頼を産みました。秀吉の死後は、秀頼の生母として豊臣家政を掌握しますが、大坂夏の陣で徳川方に敗れ、秀頼と共に自害したとされます。なお『考える日本史』(本郷和人 河出新書002)によると、秀頼は淀殿の実子ではない可能性が高いとのことです。以下、引用します。
 産婦人科の先生たちに聞くと、秀頼が秀吉の実子である確率は、まず天文学的な数字になってしまうのだそうです。あれだけ子どもに恵まれない秀吉なのに、たくさんの女性のなかで淀殿だけが妊娠した。これがまず奇跡的。しかも、その子どもが早逝した後に、さらに同一人が再び妊娠したとなると、これは天文学的な確率の出来事になる。だから医学的に見れば、まず秀頼は、秀吉の子どもではない。DNA的には血は受け継がれていない。
 しかし家の継承ということを考えるのであれば、秀吉が「この子は俺の子だ」と認めると、それはもう、豊臣家の後継者として、問題なく秀吉の子どもになる。
 週刊誌的な興味で言えば「秀頼は不倫の子?」というスクープになるのかもしれません。しかし歴史的にも、政治的にも、実際は誰の子であろうが、秀吉が後継者に指名した以上、秀頼は秀吉の子以外のなにものでもないのです。(p.57)
 初(常高院)は小浜藩主・京極高次の正室となり、高次に先立たれた後は出家して常高院と名乗りました。大坂の陣の際には、姉妹の嫁いだ豊臣・徳川両家の関係を改善すべく、豊臣方の使者として仲介に奔走しました。
 江(崇源院)は徳川秀忠の妻(御台所)となり、3代将軍徳川家光や中宮源和子(明正天皇の生母)を産みました。自らの子孫を後代に残せなかった姉二人とは対照的に、多くの子をもうけた彼女の血筋は現在の今上天皇にまで続いています。

 本日の一枚、左より茶々、江、初です。
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by sabasaba13 | 2019-10-16 07:50 | 中部 | Comments(0)
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